四
どすどすと、足音を立てて道庵は養生所の渡り廊下を歩いて行く。右手に薬草園が広がり、数々の薬草が植えられている光景が見える。
「当、養生所で栽培している薬草の中には、先ほども申したように、麻薬の成分を含むものが幾つか植えられている。それらには、充分に目を光らせ、不届きな者が利用しないように気をつけなくてはならぬ!」
歩きながら、道庵は大声で説明した。
永子は追い掛けながら、質問を投げ掛けた。
「あの……、なぜ、そんな危険な薬草を栽培しているんですの?」
「麻酔薬のためだ! 痛み止めに効果のある薬効は、同時に麻薬としても使える。良く言うではないか。毒薬転じて、良薬となる──と! 毒も薬も、効き目の違いを表現しているに、過ぎぬ!」
健一は一つ、疑問を呈した。
「それじゃ、道庵さんは、現実世界でも、医者の資格を?」
ぴたり、と道庵の歩みが止まる。くるっと振り向き、健一をまじまじと見詰めた。
「いや。拙者が医者として通用するのは、この江戸仮想現実だけだ! 拙者は、こちらで少々医術の真似事をしておるが、現実世界では、素人に過ぎぬ」
にやっと笑って、続けた。
「それが何か? 現実世界で患者を診るわけではないし、拙者の知識でも、こちらの人間は、感謝してくれる。これでも、何人かの病を、治療したのだぞ!」
背を聳やかし、道庵は再び歩き出す。
健一は、聞いておいて、良かったと思った。もし、こちらの江戸仮想現実で、自分が医者に掛かるような事態になっても、道庵だけには診察を頼まないようにしよう……。
もっとも、【遊客】が仮想現実で、病気に罹るかどうか、未知数だが。
病人を隔離しているという、離れに近づくと、どんどんと壁を叩く音が聞こえてくる。時折「うおーっ!」とか「わーっ!」などの、意味不明の叫びが混じる。
建物は、牢屋になっているようで、木格子が前面に嵌められ、その向こう側に、数人の患者が隔離されていた。
年齢は、若者から、老人に近い年齢の者様々だが、どれも虚ろな顔つきで、伸ばし放題に髭が生えている。
「髭を剃りたいのだが、刃物を近付けるのも、危ないのでな。ああして、伸ばしっ放しなのだ」
道庵は、いかにも不本意であるという顔つきで説明した。
離れの前には、見張り役の中間が厳しい顔つきで控えていた。江戸NPCらしく、小柄だが、全身胆力の塊といった面構えの男である。
中間は道庵に近づき、一礼した。
「どうだ、近ごろは?」
道庵が尋ねると、中間は顔を顰めた。
「どうも、いけませぬ。昼となく、夜となく、ああして叫んだり、転げ回ったり、手がつけられませぬ。食事の時ばかりは、少しばかり静まりますが、こちらの制止の声など、一言も耳に入らぬようで……」
木格子に近づくと、ぷーんと異臭が漂った。人間の排泄物の匂いだ。
健一の顔つきを読んだのか、道庵が言い訳のように説明する。
「本来は、患者の身の回りは清潔を保たなければならぬ。しかし、ああも騒がしくされては、思うように掃除も行き届かぬ」
億十郎が、非難するように尋ねた。
「どのような治療をなさっておられる?」
「何も!」
道庵の答に、全員が呆気に取られた。道庵は呟くように、言葉を続けた。
「症例に合わせ、苦痛を減じるための投薬は続けておるが、対症療法に過ぎぬ。根本的な治療は、手をつけようがないのだ」
道庵の表情が、苦渋に歪んだ。
二郎三郎が口を挟む。
「診察ができるくらいの、大人しい患者はいないかね?」
道庵が中間を見ると、中間は頷いた。
「こちらに連れて来られた中で、古株の中には、大人しい者もおります。別棟に入れておるので、案内いたします」
中間に案内され、一同は別棟へと移動した。
こちらは普通の造りで、板の間に数人の患者が、日溜りにぼんやりと座り込んでいる。虚ろな顔つきは、先ほどの患者たちと共通しているが、着ているものはきちんと前は合わされ、顔の髭も綺麗に剃られていた。
二郎三郎は、一人の目の前に座り込んだ。
年齢は四十代の中頃と思われる、痩せた男である。目の下に、どんよりと隈があって、両目は真っ直ぐ前を見詰めている。
二郎三郎が視界を遮っても、視線を動かそうともしない。
「名前は?」
二郎三郎が呼びかけても、黙り込んだままだ。二郎三郎は、中間に顔を向けた。
「身に付けていた財布に〝竹蔵〟とありましたが、それが名前かどうか、判りません」
ふうん、と頷くと、二郎三郎は出し抜けに男の腕をぐいっ、と引き寄せた。袖から、二の腕が剥き出しになる。二郎三郎は、腕の内側を、丹念に検める。
道庵が、二郎三郎の横に腰を下ろした。
「何を探しておいでだ?」
「注射の跡を探している……」
二郎三郎の答に、道庵は皮肉に笑った。
「江戸仮想現実でか? まさか!」
「その〝まさか〟だ。見ろよ、これを」
二郎三郎は、竹蔵の腕を捻った。
腕の静脈近くに、点々と小さな傷跡があった。
「注射針の跡だ……。使われた麻薬は、恐らく、コカインか、ヘロイン、シャブの類だろうな」
道庵は絶句していた。




