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電脳役者~月村健一の意外な運命~  作者: 万卜人
第七回 妖艶! 仮想体験劇出演決定美少女之巻
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「これから、小石川養生所へ行くぜ!」

 鞍家二郎三郎は、健一らに向かって、宣言した。

 健一は二郎三郎の言葉に、問い掛ける。

「そこで、何があるんだい?」

「最近、妙な患者が運び込まれるようになった。突然、道の真ん中で大声を出したり、他人に襲い掛かったり……。たいていは、身寄りのねえ、浮浪者だったりする。そういうのが、小石川養生所に沢山、収容されているんだと!」

 健一たちは、二郎三郎の言葉に、顔を見合わせた。億十郎はぐっと眉を寄せ、大きく頷いた。

「二郎三郎殿が仰っておった、麻薬患者で御座るな?」

 二郎三郎は頷き返す。

「そうだ。そいつらを調べれれば、麻薬の出所が判明する――かもしれねえ」

 なるほど、と健一は思った。うっかりしていたが、健一は億十郎と共に、江戸に蔓延る麻薬の探索を命じられているのだった。

 いよいよ、本格的に、健一らの活動が始まるのだ!

 健一は二郎三郎と、紗霧をそっと見やった。

 二郎三郎は、紗霧に対し、わざとらしく無視を決め込んでいる。紗霧も用心深く、二郎三郎には、近づこうとはしない。二人の間には、妙な緊張感が漲っている。

 やはり、二郎三郎は、紗霧を知っているのかもしれない!

 小石川養生所へは、陸舟奔車と呼ばれる自転車を使った。

 そう、仮想現実の江戸には、自転車があるのだ。現実世界の自転車とは、相当違っているが、ちゃんと足で漕ぐためのペダルがあり、木製の車輪がある。但し、三輪車である。

 全体は舟形をしていて、奇妙奇天烈な飾りが施されている。江戸時代に実用化された自転車なので、江戸仮想現実の幕府も、認めざるを得ない。一応、史実にあるものは、再現を許可する方針なのだ。

 江戸の市中あちこちに、貸し自転車屋があって、歩くのが嫌いな【遊客】に利用されていた。

「こんなのがあるなら、馬車でも使えば良いのに」

 ぶつぶつ不平を言いながら、永子は陸舟奔車のサドルに跨った。着物なので、跨り難そうだ。

「馬車は禁止されているんだ」

 二郎三郎は、ぶっきら棒に、返事をした。

 健一は黙って、ぐい、と足元のペダルを押し下げた。がちゃがちゃ、と騒がしい音を立て、陸舟奔車は驚くほどの速度で、走り始める。

 しかし、道路は舗装されていないため、がくがくと震動が尻から突き上げる。何しろ車輪が木製なのだ。直に、伝わる。

「なんで、馬車は禁止されているの?」

 永子が舌を噛みそうな震動の中、二郎三郎に質問した。

「馬車を許可すると、道を整備しなくちゃならねえからな。乗り心地を良くするため、総ての道路を石畳にするとなると、膨大な費用が掛かる……おっと!」

 言っている側から、当の二郎三郎も舌を噛みそうになり、苦笑いをして続ける。

「知っているか? 欧州や、中国では、紀元前から舗装道路ができていたが、それは馬車のためだ。日本は先進国の中では、舗装率は今でも低いんだが、それは江戸時代に馬車を許可しなかったからなんだ。まあ、自転車くらいなら、何とか走れるってものさ!」

 確かに乗り心地は悪いが、てくてくと小石川養生所まで歩く羽目に陥らずにすんで、健一は、ほっとしていた。

 江戸の人間は、たいていどこへ出掛けるにも、歩きで済ませる。仮想現実に接続した【遊客】は、江戸NPCに比べると、卓越した体力、反射神経を備えているが、やはり歩きっ放しというのは、堪えるのだ。

 浅草から小石川程度の距離で、わざわざ、自転車に乗るのは、江戸に慣れない【遊客】くらいなものだ。

 現代の東京では、都営三田線の白山駅近くに、小石川養生所はある。幕府が倒れた後は、東京大学に移管され、小石川植物園として残っている。

 小石川養生所を描いた文学作品としては、山本周五郎の『赤ひげ』が有名で、映画でも、黒澤明が監督した同名の映画が知られている。健一は仮想現実劇で、時代物を手掛ける関係から、時代劇映画の名作とされる『赤ひげ』くらいは、見ていた。

「ここが、そうかい?」

 陸舟奔車を、近くの貸し自転車屋に返却した健一は、養生所の入口に立って、疑い深そうな声を上げた。

「思ったより、小さいと思ったんだろう?」

 二郎三郎が、健一の心を読んだごとく、ズバリと言い当てる。幕府の建物であるから、門はあるが、そんなに大きな門ではない。建物も、思ったよりは、規模が小さい。

「収容人数四十名だからな。そう、大きな規模じゃないさ。敷地が大きいのは、薬草院があるからだ。薬草院だけで、敷地の大部分を占めるんだ」

「たった四十人……! でも、幕府の……いや、お公儀の病院なんだろう?」

 二郎三郎は首を振った。

「病院、というのは、明治時代になってからの言葉だ。江戸では施療所とか、施薬所と呼ぶのが、普通だぜ」

 当時、百万都市とされた江戸に、たった一つある貧民救済策として建てられた病院が、僅か四十人の収容人数しかないとは、健一の現代人としての常識では、考えられない。

 しかし、貧民救済という名目がある以上、誰でも闇雲に養生所の扉を叩くというのは、当時の江戸町人には有り得ない行為なのだ。貧しい者を専門に診る町医者もいるし、医者にかからず、神社仏閣、祈祷に頼る場合もある。

 江戸時代での医療行為とは、現代と違い、病気を完治させると、医者が請合うものではない。漢方でも、蘭方でも、江戸時代の医療技術は、それほど進んだものではない。

 それよりも、苦痛を和らげる技術に期待する向きがあり、加持祈祷と、感覚的には変わらないのだ。

 長屋に住んでいれば、よほどの事情がない限り、隣近所で面倒を見てくれる。養生所に預けられるというのは、相当に切羽詰った事情がある困窮者であると、本人が認める事態になるから、恥とされた。

 戸口から案内を頼むと、やがて一人の医者が姿を現した。

 どっしりとした身体つきの、坊主頭をした男性である。映画『赤ひげ』では、主演の三船敏郎は、慈姑頭と呼ばれる髪形をしているが、あのような髪型は、京都大坂など、上方の一部の町医者でしか通用していない。通常、江戸での医者は、町医者、御用医者どちろも、頭を剃り上げた坊主頭が普通である。

 坊主頭の医者を一目見た健一は、相手が【遊客】の気迫を発散させているのを、即座に感知した。相手も、健一、永子、剣鬼郎、二郎三郎が、【遊客】だと悟ったようだ。

「どちら様で……」

 問い掛けるような態度に、二郎三郎は名乗りを上げる。

「俺は鞍家二郎三郎。開闢【遊客】の一人だ。少々尋ねたい事情があって、やってきたんだが、時間はあるかな?」

「開闢【遊客】……。それはそれは……。拙者は小倉道庵と申して、養生所の総監を務めております。ささ、奥へどうぞ……」

 途端に、小倉道庵と名乗った、医者の態度が改まる。開闢【遊客】というのは、江戸仮想現実では特別な意味を持つのだ。

 丁寧に養生所の建物内に通された健一らは、板の間の一室に迎え入れられた。内部に踏み込むと、ぷんと薬草が香る。香辛料の香りである。健一の腹の虫が、ぐうと鳴った。カレーの匂いを、連想したのだ。実際、カレーに用いられる香辛料の多くは、漢方薬の材料でもある。

「江戸で、麻薬が蔓延っている疑いがある」

 向かい合って座った二郎三郎が、出し抜けに本題に入ると、道庵は瞬時に、顔を真っ赤にさせた。見る見る、道庵の表情が、怒りに歪んだ。

「貴様っ! この養生所に、疑いを掛ける気なのか?」

 だっと立ち上がり、全身で怒鳴った。

【遊客】が発散させる、怒りの気迫に、江戸NPCの億十郎は真っ青になった。【遊客】が感情を爆発させると、その際発する気迫は、江戸NPCにとっては、耐え難い感覚を与えるのだ。

 しかし紗霧は、顔色を変えない。

 あれっ? と、健一は奇妙さを感じていた。

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