一
村雨座という、剣鬼郎が噛んでいる芝居一座へは、下働きの源三が案内に立った。
軽い物腰で連れ合いに手早く指示を出すと、源三はそれまでやっていた襷掛けを解き、先頭に立って歩き出す。
年齢は三十代後半か、四十近いだろう。中肉中背で、草履を突っ掛け、さっさと歩く。
後に億十郎が続き、隣に健一が並んだ。
億十郎が前を歩く源三に、声を掛けた。
「源三とやら。そなた、何か武道の心得が御座るな?」
「へえ」と、源三は億十郎を振り返り、軽く頷いた。
「お判りになりますか?」
「うむ」と億十郎は頷いた。
「そちの足捌きは、並みの町人のものではない!」
億十郎の指摘に、源三はひょこっと首を竦めて見せた。
「恐れ入ります。御察しの通り、手前は若い頃から、合気術の道場に通っておりました。有り難くも、切紙の免状を頂いております」
「それが、どうして、村雨殿の、身の回りの世話をするようになったのだ?」
源三は薄笑いを浮かべた。
「今は剣鬼郎様の、お世話をするようになりましが、以前は世間を憚る……。まあ、有体に申し上げますと、ヤクザ仲間に加わっておりました。そんなヤクザ同士の争いに巻き込まれたところを、剣鬼郎様にお救い頂き、それまでの仲間からスッパリ、足を洗った……と、言うわけで御座います」
会話を聞きながら、江戸仮想現実とは、自分の考えている江戸とは、かなり違うなあ、と健一は考えていた。
町人が道場に通うなどとは、想定外だったのだ。武道は、侍階級の独占物という先入観は、修正しなくてはならない(健一は時代考証に無知である。有名な剣客、千葉周作も、その師匠の浅利又七郎も、斎藤弥九郎も、馬庭念流の樋口家も、本間念流の本間仙五郎も、みんな出身は百姓階級である)。
源三の案内した先は、浅草寺の裏手である。現実世界では人家やビルがぎっしりと立ち並んでいるが、江戸では農地になっている。
浅草寺そのものの敷地は、実に広大だ。
「あれが、村雨座の建物で御座います」
指を挙げ、源三が示した建物を見て、健一は茫然としていた。芝居一座と聞かされていたので、粗末な芝居小屋を想像していたのだが、健一の予想は完全に裏切られた。
むしろ、遊園地といった印象である。
前面に巨大な剣鬼郎の全身像が、どーんとおっ立っている。刀に手を掛け、ぐっと両目を見開き、今にも抜き放とうと身構えた一瞬を捉えていた。
入口には、入場を待つ人の列が長々と続いていた。ほとんどが町人で、皆、顔には期待が一杯に溢れている。夫婦者に手を引かれた子供、剣鬼郎のファンらしき娘たち。その娘に付き合わされた若い男などで、村雨座前はごったがえしていた。
入口から向こうには、大小の小屋が立ち並んでいる。こちらは江戸時代の芝居小屋らしく、莚掛けである。
入口近くには、雑貨屋、小間物屋が店を広げている。
「さあさあ! 剣鬼郎印の腹掛け、半纏、ついでに越中褌もあるよ! これを身に着けりゃ、剣鬼郎様のように、勇気凛々、元気もりもりだあ!」
「こっちは剣鬼郎様の大顔絵だい! 評判の剣鬼郎様のお姿を、写し絵にした組本は要らいないか? 今なら、『剣鬼郎百番勝負』の双六もついてくるぜ!」
「飴だ、飴だあ! 剣鬼郎様公認の、力飴! 滋養たっぷり、飛びっきり甘い、剣鬼郎力飴! そら、そこのお子さん、一ついかが?」
入場を待つ町人たちが、わっと群がり、品定めをしている。大変な賑わいだ。
「これは……まるで祭りで御座るな」
億十郎が、呆気にとられて呟いた。源三は「いやいや」と首を左右に振った。
「祭りでは御座いません。まあ、毎日がこんな按配で御座います。今日は、剣鬼郎様、自ら芝居に出演すると報せがあったので、娘たちが多く集まっておりますな」
源三の「芝居」という言葉に、健一は顔を挙げ、村雨座の莚小屋を見やった。
途中『剣鬼郎百番勝負』という言葉を、何度も町人たちが口にしているのを、健一は耳にしていた。
「糞っ! あいつめ、俺たちに勝手に、仮想体験劇を上演しているのか?」
永子が、健一に話し掛ける。
「まさか! だって、あれは、仮想現実接続装置がなければ、体験できないはずよ。この江戸時代に、そんな装置があるはず、ないじゃない!」
「そうじゃないんだ。俺が腹を立てているのは、仮想体験劇のストーリーを、こちらで無断で芝居の筋に仕立てているんじゃないか、と思われるからだよ! それなら、江戸のNPCだって理解できる」
永子は納得したように、頷いた。
「そうか……。著作権侵害の疑いがある、と言いたいのね? でも、江戸仮想現実でも、著作権は通用するの?」
「芝居を楽しんでいるのが、江戸NPCだけだったら、何も問題はない。しかしこっちには、現実世界から接続している【遊客】もいるんだ……。あの開闢【遊客】の、鞍家二郎三郎だって、剣鬼郎の名前を知っていたじゃないか!」
永子の口許が、きゅっと引き締まった。
「そうね……。それは、問題だわ……」
『剣鬼郎百番勝負』のストーリーは、健一自ら、夜も寝ないで練り上げた、苦心の賜物である。時代劇のファンに楽しんでもらえるよう、しかし決して、媚びないよう、工夫を凝らしたつもりだ。
それを、易々と、無断で上演するとは! これは健一の、プライドの問題だった!




