「とある国家の最高会談(ティータイム)」
なんでかたまに見たくなるそれが勇者様クオリティ(洗脳)
所詮この世は諸行無常、夢幻の如く。
永遠に形をとどめられるものなどありはしない。
しかして世界のあり方の前に、貴方の姿はあまりにも矮小だ。
たとえ人類史にその名を残す偉業を為したところで、時間と距離の、宇宙の広大さの前では、その行為の全てが無意味に見えるほど、滑稽に思えるほどの砂粒一つに過ぎない。
けれど――、けれどそれが、貴方の歩みを止める理由になるだろうか?
どれほど無意味で力無い歩みでも、世界がどれだけ無限でも、歩き続けない限り、貴方の目に映る世界が広がることはないのだから――。
「……おお勇者よ……死んでしまうとは情けなァァァァァァァい!!」
大変に気合いの入った金髪の女性の声が大理石の敷き詰められた広い部屋に響き渡る。
「……………………………は……?」
というのは、今しがた両開きの豪華な扉を開けて部屋に入ろうとしているもう一人の女性の疑問の声。
知的な印象を立たせている眼鏡の奥にある、その眠たげにも見えるほど力の入ってない視線は、部屋の中央に置かれた玉座へと向かっていた。
そこに座っているのはパンツルックのスーツに身を包んだ声の主。こちらも美女だ。纏め上げた絹のような金髪が目に眩しい。
「はあじゃないわ!私はあなたが無事に帰ることを真心をこめて祈っていたのにこの結果。お姉さんはとても悲しい!」
「はあ。」
その胸中に浮かんだのは困惑だろうか、それとも呆れなのか?
ただの一歩を踏み出して部屋に入ろうとすらもせず、もう一人の、こちらは背中の中央ぐらいまである艶やかな黒髪の女性は、扉を開けたままの姿勢で金髪の女性のやたらテンション高め外角な叱責を聞きそう返した。
黒髪の女性はスーツの女性に比べるとラフな格好で、ノースリーブのシャツの上に襟付きのしっかりした白いジャケットを羽織り、ぴったりとタイトなジーンズを身に着けていた。細身で長身な彼女にはよく似合っている。
そして彼女は何かを思案するように視線を落とし、静かに溜息をつく。
「……失礼。どうやら部屋を間違えたようなので失礼します。」
と、思ったら次の瞬間には一歩身を引いて扉を閉めようとしていた。
「いや、ちょ、ちょっと!どこへいくのよ!間違いなく貴方の目的地はこの部屋よ?」
黒髪の女性の美しい顔が扉の向こうへ消える前に慌てて玉座の女性が引きとめる。一応それで扉が閉まる動きは止まったが、返ってきた言葉はとても冷たい。
「いえ、多分お互いに誤解があっただけで私がここに呼び出された事は、きっと間違いだったに違いありません。陛下がこれから呼び出すべきは主治医とか近しい親族とかそのあたりの方々ですから。無事でなかったのは私の方ではなく、どうやら陛下の尊い御頭脳のようですから。聡明な主人を失ったこの国は癒し難い深い深い悲しみに暮れるでしょうが、優秀な臣下の方々はきっとこの悲劇も間もなく乗り越えてくれることでしょう。それでは私は忙しいのでこれで。お大事に。しーゆー。」
「いやいやいや、勝手に人を再起不能にしたあげくそれを乗り越えて立ち直った未来までシミュレートしないで!?大体まずあなた、基本的に予定を詰め込んだりしない人間でしょう?」
本当に帰ろうとする寸前の黒髪の人に、金髪の女性は慌てて玉座から軽く腰を浮かし、その美麗な唇から悲鳴に近い甲高い声をあげる。
これに対し、黒髪はなんだといわんばかりの迷惑そうなやる気ない表情を返した。
「いや、もう帰って世知辛い浮世のことを忘れて寝たいんで。私は夢の世界で妖精さん達とたわむれていたいんで。」
「えええ帰ってきて!?貴女、世界の平和を背負って立つ尊い“勇者”なんだから自覚を持ってッ!?」
「そうですか。でもお言葉を返すようですが、どちらかというと私は貴女に国家元首としての自覚を持って欲しいですわ。――――ていうか私だけじゃなくてみんな思っていますわ。」
「……ぇうっ……!?お、おたがいさまだとは思うけど正直!?……む、胸に突き刺さる一言ね……!!まあ……善処はしましょう。……治るかどうかは別問題だけど。まことに遺憾なことですね。」
大変戸惑いつつ苦虫を噛み潰したような顔はしたものの、澄まし顔を取り繕った金髪の女性はとりあえず腰を落ち着ける。黒髪の女性も再び扉を開け広間へと入ってきた。
「それにしてもその他人行儀な口調をやめにしてよ。友達でしょう?」
「…………………誰と誰が?…………え?」
黒髪の女性の素朴すぎて胃が痛くなりそうな質問に金髪の女性が眉と口許の筋肉をぴくりと動かしたが、気を取り直して大人の反応をすることに決めたらしく笑顔を作った。
「……私と貴女。よ?長い付き合いでしょ。」
「死にたい。」
「なぜゆえだァっ!?」
この一言には女王陛下も淑女ではいられなかったようだ。
「わ、私があなたに何をしたってのよ!どどどどうして友人関係を確認しただけで相手に死なれないといけないわけ!?マジ泣くわよっ!?」
「まあまあまあまあ落ち着きなさいグレートクイーン。どんなに貴い身分でも人の生だからそういうこともあるわ?」
「いや、私も世間知らずなことは自覚しているけど、“無い”と思うわ、普通。」
「ほう、意外と世間ってものがよくわかってるじゃない?立派な事よビッグマザー。」
「……私って、どうしてかしら。――――――時々どうしてあなたを勇者として認めているのか深く考えたくなるときがあるのよね。」
金髪の女性、つまりはなんと女王陛下であるらしい彼女は、優しい表情で“勇者”であるらしい黒髪の女性の自由闊達な言動に頭を抱えている。比喩ではなく実際にである。
「あら良い傾向じゃないの。これを機に給料泥棒や名前だけの存在についてもっと考えてみるのはいかがかしら?きっとより健全な国家運営に役立つわ。」
まるで他人事である。ていうか他人事以外の何物でもないらしい。
「貴女に言われるまでもなく!王様の仕事の半分はそこにあるんじゃないかと思うぐらい頭を悩まされているわよ!!どうして能無しに分類される輩ほど、楽をして生活の糧を得ようとするのかしら!!ねぇ!?」
「無能とは往々にして怠惰からくるものだから。付け足すなら、愚者は悪事こそ本当に知恵が必要ということも知らないから。『無知とは罪』。よく言ったものね?まあ才能だけで全ての怠惰を補う人間もいるけど?ここにいる私とか私とか。それから……私とか。」
「マジレスしてんじゃねえわよっ!!」
顔色一つ変えずに芝居がかった所作で天(井)を仰ぎ、辛辣かつ不遜なコメントを述べながら、勇者殿は女王の玉座の前まで足を進めていた。
同時に素早く数名の女王の侍女が動きだす。その様に視線を移した黒髪の女性の元へ駆け寄り、傍らにテーブルをおく。第二陣が椅子を二つ用意したところで、女王が玉座から下りてきた。
「フフフ。ハハハハハ。……ふぅ。世界中を駆けずり回って人の理の範疇を超えた化け物を討ち滅ぼして回る存在が、果たして世間では怠惰なのかしら?……おもてなしの準備が整いましたわ。お茶に同席してもらえるかしら?勇者ユラ・T・コウメイ閣下。」
「私は閣下と呼称されるような尊い地位には居りませんが。しかしお茶のお誘いにはこうお答えしましょう?“喜んで”。」
“勇者”は胸に手を当て、女王に向けて跪いた。
「やれやれ、ね。――――ふふ、楽しいお茶になるといいわ。」
己の芝居がかった言葉にさらに芝居がかった態度を返した彼女に向けて女王がほほ笑む。先ほどまでの奇行が嘘にしか見えないほど、その笑みは気品に溢れていた。堂々としたその笑みを浮かべたまま、女王は威風すら感じさせる所作で侍女が引いた椅子に腰かけた。
対して勇者ユラはそばの侍女を手で制し、己で椅子を引いて椅子に腰を下ろす。
「仕事なんだから彼女のやりたいようにさせてあげればいいのに。」
「ひとのカネで偉そうにするのは趣味じゃないの。」
「あら?意外と庶民的なのね。」
「庶民的じゃないと旅なんてやってられるわけないだろ。」
「なるほど?それもそうかしら。」と小さく返した女王陛下がテーブルの上で組んだ手の前にティカップが置かれ、杯に満たされた琥珀色の液体から芳醇な香りが立ち上る。
「どうぞ。お口に合えばいいのだけれど。」
「では遠慮なく。」
顔の前で少しだけ匂いを待った後、カップを口に含む。
「どう?」
「毒ね。」
短い勇者の言葉に侍女の動きがぴたりと止まる。覚えのないことに彼女の全身が強ばった。
だが他の侍女を手で制し、微笑を浮かべたまま女王陛下は勇者に先を促した。
「この味は私から“庶民”を奪うわ。」
続く言葉の意味に一瞬悩んだ彼女だったが、それが賛辞だと気付いたらしくほっと胸を撫で下ろした。
「ひねくれものめ。可愛い部下の心臓に悪い悪戯はほどほどにして欲しいものね。何より、もう少し素直にほめ言葉を口にできないものかしら?」
「ギャップがある方が萌えるでしょう?」
軽くユラを睨む女王の言葉にも、顔色一つ変えず紅茶を飲みながらしれっと返すこの勇者はなんというかまさに「大物」らしい。
「あんたにそんなもの求めている奴なんかそうそう居やしないと思うわ。」
「あんたも似たようなもんでしょ?っての。」
お茶菓子も用意され、ここから一時間ほど本当にとりとめのない世間話が続くことになる。
――――――そしてたっぷりゆっくりと時間が流れた後、彼女は気付いた。
「……ちょっと待て。いや待て。もう一度待て。よく考えたらあんた何のために私を呼び出したわけ?」
「え?世間話をするためよ?」
王様の極上のほほ笑みに勇者はとびきりのしかめ面を返すことになる。それに見合う言葉を探すならそう……、ドン引きである。
「……おい、マジか?」
「さあ、どっちだと思う?」
にこにこと楽しそうな王様の姿はひどくユラの癇に障るらしい。
「私を本気で帰したくないならそろそろ本題に入ったほうがいいと忠告しておくわ。」
眉間に寄った皺をほぐしている様子のユラの一言。
「あっらーん、つまらないわあ?貴方みたいなのこそこんな時間を大切にするべきなのに。」
「……あんたとの時間は一時間もあれば十ーーーー分、堪能した気分になれんのよ。ごたくはいいからさっさとしてくれ。あるんでしょ?本題。」
「しょうがないわねえ。」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめながらも、どうやら本題というものに触れるつもりにはなったらしい。
「“ラストワード”って知ってるかしら――――?」
少し妖しさの漂う、意地の悪い問いかけをするときのような顔で王様はその単語のことを尋ねた。
そんな問いかけに、ほんの少しだけ間をおいてユラは口を開く。
「……あらあら最後通告なんて物騒じゃない。私は一応借金は無いわ。――――今はっ!!」
「昔はあったんかい。未来に予定があるんかい。別にそんな意味じゃないし、そこから借金が気になりだすとか少し屑人間がすぎるんじゃなくて?借金がないと言えるのがむしろ不思議ですわ。はん、まあまずあなたからお金を取り立てられる企業なんてそうそう無いでしょうしね。」
今度は王様が嘆息する番だった。
「余所はとやかく言わないから、うちのシマを荒らすのだけは勘弁ね。…まあ、あなたの能力から言って大した借金なんて額がそうはないのも事実でしょうけど」
「買いかぶりは良くないわ。貸ししぶりも良くないけれど。……良くないのよね?」
「……あなたとの契約ほんとに見直そうかしら」
なんというか、ユラが喋るほど王様の顔に疲労が浮かぶ関係のようらしい。
「それも悪い考えじゃないわね。色んな人が楽ちんになるわ。主に私と私を探すあんたの部下が。」
「冗談よ。…話を戻すわ」
「あら残念。バカンスの計画まで立て始めていたのに」
「頭の中から生活の隅々まで、余さずバカンスみたいな人間がよっく言うわ。ていうかさっきまで忙しいって言ってなかった?……話を戻すわ。よろしくて?」
「よろしくでぇ~」
手をひらひらさせて先を促すユラ。自分の年を考えろ。そして主に人生にやる気が感じられない。
「ラストワードというのは、禁呪の最高峰に位置する魔法よ。むか~し昔に封印された、ね。…ていうか、あんたなら絶対に、耳にしたことくらいはあるでしょう?」
ユラに咎めるような目がむけられる。
「うん。まあ聞いた事はあるんじゃない?でも私ってさー、下らない事は気にしないしすぐ忘れる質なの。昨日飲んだビールの産地とか。……の方が覚えてるなあ。」
だが対してユラはこのとおり。しれっととぼけた反応をする。
王様もどこか、眉間に皺を寄せてあきれながらも、同感というか羨ましいというか、とそんな表情を浮かべた。
「……ま、そこには多少のシンパシーを感じてあげてもいいかしらね。でも世の中下らない人間ほど下らない事が気になってしょうがないみたいよ。こっちは残念でしょうがないのだけれど。」
王様はわざとらしいともとれる仕草で溜息をついた。
「世の常ね。仕様がないわ」
ユラは達観した老人のごとくゆったりと、おかわりを持ってこさせたお茶をすする。
まるで他人事だ。
「ええそうでしょうとも。けれどしょうがないで済まない事態が下手をすると起きそうだからあんたに話をしているの」
「しょうがないわね。聞いてあげるわ」
「それ、いい加減しつこいと思うわ…」
未だ余裕の塊のユラと対象的に、げんなりとした王様が警告を告げる。
「続けるわ。ラストワードを作ったのは古の大魔導師レッドアイ。と言っても原型……というか基盤というか、そこは自然と悠久の時間の産物とでもいったところなのだけど…」
考えるように眉を寄せる王様と、退屈そうにカップで揺れる水面を見つめるユラ。
一応聞いてはいるようだ。
「もともと在った強い魔力の流れを利用して収束・調整して構築した魔法…だったかしら。そういえば。」
「思い出して来たようね。助かるわ」
未知の大魔法に思考を巡らせるように虚ろになったユラの視線に、王様が微笑を浮かべる。
「補足するなら、いわゆる竜脈などと呼ばれる、地脈を流れる大地の気の流れが集中する地や、何らかの事情で精霊の活動が極端に活発になった地など、溢れる程の魔力が眠るような地、大抵は聖域として祀られるような場所の魔力を集めて蓄積し、力の使い方を調整して巨大な魔法にしたものがラストワード」
「自然の力を利用したその威力はまさに自然災害に匹敵する、か…。昔の人も夢のあるもの作るわー。もちろん皮肉だけど」
片頬を引っ張り喋り辛そうに喋るユラ。まったく厄介なものを、といったところだろう。
「金と力にしか興味ないような可哀想な輩達には刺激的すぎる代物だから、ただの伝説ということにして、ほんの一握りの人材が半信半疑で知ってる程度に管理していたのだけれど…。何故か最近小悪党にまで噂がながれてるらしいのよね」
「私が知ってるぐらいだから最初から情報操作もあてになってないんじゃないの?案外頼りにならない王様ねえ?」
「あなたも一握りに入るレベルの人間てことを自覚しなさい。小耳に挟んだ程度と言うのがむしろ間違いだ。しかもそんなもの眉つば程度にしか思ってなかったでしょ?あなたがそうなら一般の人間はもっとそうよ。」
「まあそうなのかもしれないわね。でも、知っておくべき知識っていうなら面と向かって説明して欲しかったわね。私がそんな生活の知恵にならないようなことをわざわざ調べるわけないじゃない」
王様の非難の内容を逆に非難する勇者ユラ。ここまで勝手だと確かに大物臭も……しないか。
「いや、生活の知恵って主婦じゃないんだから……。それに、あなたがこういうものに興味を持っていないのが意外なぐらいだけど?」
「まったく見当違いだわ。ひいひい言いながらあちこち駆け回って雑用をこなしてる私みたいな人間に、そんなものに首を突っ込む余裕なんてありまっせぇン。」
「そう?まあそれでいいならそういうことにしておきましょうか。」
両手を広げ顔を逸らすユラに、王様は苦笑のような微笑を返した。
「ま、知らなそうなら機を見て話してあげるつもりだったわ。それが今。それだけのことでしょう?」
王様が薄く笑う。すっと細められた目の端に、どこか妖しさの漂うような笑みだった。
「ま、別にそこはいいわ。……それで?私に何をしろと?」
給仕に飲み干したティカップを返し、王様の方へ向き直る。
膝を組み、その上に拳を乗せたユラ。すっと背筋を伸ばしたその体から、ひやりと冷気にも似た感覚が漂ってくる。はっきりどこがどう変わったとは指摘できないのだが、部屋に入って来てから今までのとぼけた姿とは、明らかに雰囲気が違っていた。
強いて言うなら、眠そうな印象を与える眼のその瞳に、心の底を見透かすような鋭い光が加わったことだろうか。
「…そう身構えないでくれるかしら。大した事じゃないの。」
漂い始めた緊張感をあしらうように、王様は肩をすくませる。
二の句までに若干、ユラの目を見つめて間をおいた。それから薄く笑顔を浮かべて説明を始めた。
「ここに呼んだのは貴方から諸国の様子の報告を聞くためよ。この件はただのついで。そう。大した事じゃない。貴方には、とある他国に委託しているラストワードの管理状態を調査してほしいだけ。」
「調査?」
王様の言葉に間髪入れず、低く疑問の声をあげ、ユラは眉をひそめてみせる。
静かに吐き出されたため息は冷気のようで、そういうものに慣れない人間なら萎縮してしまいそうな鋭い懐疑の目が王様に向けられていた。
「貴方にしてはまたえらく悠長な話だ。馬鹿が夢を見るのに不足がないようなものが外に漏れたんだろう?露払いの間違いじゃないのか?」
「…もちろん、任務に支障をきたすものは排除していただくわ。けどまあ、何もなければ何もせずに経費で旅行を楽しんでくれていいのよ。」
その目を見て王様が苦笑いする。
「ものがものだから慎重にならざるを得ないのよ。わかってもらえるかしらね……?狙われてる可能性があるのなら万全の上に万全を期したいわ。貴方への依頼はそういう意味よ。そこを理解しておいて欲しいところかしら?急を要する一大事なら、一人でも必要なだけ問題を解決できる人材なんて、……結局とても限られるの。」
王様の口許は笑ったままだが、瞳は笑うのをやめた。沈黙したユラにはその言葉に込められた真意までが伝わっている。
彼女は言外にこう言っている。お前はその限られた人材だ。死ぬのも逃げるのも許さない、と。
「いや、……待て。これは露払いどころじゃないな。貴方は……もしもの有事には私一人で戦えと、そう言ってるのか?」
王様の付け足しに、ユラは確認するような口調で尋ねた。
「あら、今をときめく勇者殿には、そう難しい話じゃないでしょう?」
「……これは私、挑発されているのかな?……そんなはずもないだろうに。」
王様のとぼけた回答に静かに抵抗するユラ。
「露払いどころか、結局サーチアンドデストロイというやつじゃないか?それも有難いことに私一人でだ!」
「……この件では他国にきちんとした形で兵士を送ったりできないのよ。あくまでも非公式に処理しないと、国家間の緊張を不用に高めてしまう…。既に送り込んでいる工作用員からの支援程度は受けさせてあげられるわ、これしかないの。任せたわ。見敵必殺ね。」
「素敵すぎて涙が出るな……。」
上目づかいにユラを見つめたあと、額を抑えるユラに笑いかける。
いい笑顔だ。
「私の辞書には不可能という言葉も、死という言葉もきちんと載っているのだけれどもね。赤線のアンダーラインつきでよーく目印をつけてある。」
「おお勇者!そのうち死んでしまうとは何事じゃ?」
「ははン。……死の安息も許されないってか?」
「……冗談よ。貴方はいつかきっと、充実した1日の終わりのように、安らかで楽しい眠りを迎えるのでしょう。」
からかうような笑みはすぐに柔らかくなり、安心感のあるしっかりした声が紡がれる。こういう顔をしていると、彼女も確かに女王に相応しい気品を漂わせているのだが…。
しかしまあ普段がひどいよね。
「でも、願わくばそれはもっとずっと先の事であって欲しいし、そうでなくてはならないの。年寄りは若者より先に死ぬものよ。」
ユラは王様の瞳をじっと見つめて、少しの沈黙の後、はあーっ…。と長い溜め息をついた。
「まったく貴方の相手をすると余計な疲れが溜まるな……、本当に。」
ユラから放たれ続けていた冷たい威圧感が無くなり、体からは力みが抜ける。
「あ~~ああ……。」
椅子に体を支えさせて全身から緊張を解いた。頭は天井を向き、手足はだらりと垂れ下がる。
例えるなら風呂上がりの休憩のような力の抜けきった態勢。…そのままユラは次の声をあげた。
「……言われなくともそのつもりよ。私は…、まだまだ生き足りない。………あんたがどうかなんてことは知らないけどね。」
「あら、私もまだまだ飽食を気取るつもりなんてないわよ…?」
ゆっくりと自分へ帰ってきたユラの視線に、王様はまさに非の打ち所のない完璧な笑いを浮かべた。
「何よそのいい笑顔。やれやれ……。このオババ、どれだけ生きれば満足して成仏するんだか…。。」
肩をすくめるユラ。いつの間にか、突き刺すような冷たい空気もどこかへやっていた。
「いいよ。…ま、行ってやるわ。バカンスがてら、あくまで調査に、ね。んで?勇者ユラをどこに連れ回してくれるのかしら?」
片目をつむったユラの表情は、おつかいを頼まれて『しょうがないわね』と答える少女にも似ていた。
「助かるわ。さすがみんなの勇者様ね。」
王様はほっと胸をなで下ろして、安堵の笑顔のままおつかい先を告げる。
「じゃあ早速ラストワードの管理状態の調査兼友好大使として、夜の国、“魔郷”ヴァンピールに行って来て頂戴。」
「…………………」
沈黙のまま、みるみるうちにユラの表情が変化していく。
「………まじでか…?」
それはまるで、おつかい先の肉屋が大嫌いな犬を飼っている店だった事を知ったときの、苦渋の少女のような顔だった。
「魔王殿直々のご指名よ」
その言葉がトドメとなったように、ユラはゆっくりと机に突っ伏した。
「……だ…………、騙された…………。」
残されたのは勇者ユラの乾いた笑いと、それを心配するように見つめる侍女達の視線だけだった。