第四章 探索部隊の帰還
仲良しスイーツ大作戦の二日後、時刻は夕方。いつもなら少しずつ一日の終わりに向かっている静かな時間帯だけど、今日はなんだかお城の中が騒がしい。話しかけても無視しなくなったアオイくんに尋ねてみると、探索部隊のひとつが今夜帰還するからその準備が始まっていることを教えてくれた。
「ってかなんで俺に聞くの。ステラかアカリでしょ普通」
「だって……」
なんでもいいから話したいって言うと、きっとまたそっぽ向いてしまうだろうから、私は黙ったままにした。
「……まあいいけど。今回戻ってくるのはガルガンの部隊だから夜はもっと騒がしくなるよ。俺はイヤホンあるから平気だけどね」
ガルガンさんとは誰なのか、と質問したら「何でも俺に聞かないで。あっちで退屈してるチビオオカミの相手でもしてあげたら?」と言われ、アオイくんはその場を去って行った。……今日の会話はこれで終了かな。でも私はアオイくんをひとつ理解したので、これは自分より詳しい人がいるよという意味の、彼なりの親切なのだ。私は早速ウーニャくんの元へ向かった。
「ガルガンは俺の兄ちゃんだよ!兄ちゃんの部隊は近場の探索をしているから、結構頻繁に帰ってきてくれるんだ」
ウーニャくんによると魔族達の探索部隊はふたつあり、お兄さんの部隊は城の近場を調べている少数部隊。もうひとつは星を一周するために上級魔族達で編成した大人数の部隊で、そちらにはウーニャくんの両親が参加しているということだった。
「兄ちゃんの部隊にスノウの父さんと母さんも参加してるんだよ。久しぶりに会えるからスノウも楽しみにしてるんだ!」
「えっ?スノウちゃんのお父さんって確か人間じゃなかった……?」
「そう、本当はもうひとつの部隊に参加して星を一周したいって言ってたけど、さすがに止められてた。スノウの父ちゃん、この星の地図を作りたいんだってさ」
「地図を……?すごいなあ」
「うん、難しい本いっぱい読んでてすげー頭良いんだよ。シモンさんっていうんだけどね、ステラが初めて星へ招いた人間で、親友だって言ってた」
「親友……」
魔王であるステラと親友の人間。以前アカリちゃんが言っていた魔族と人間の友情って二人のことなのかも。
「あとね!兄ちゃんとベルナールも親友で……」
「それはきき捨てならないわね!」
がう!と今まで聞いたことのない声を出しながら、マロンちゃんが割り込んでくる。いつもご機嫌なのにどうしたんだろう?ベルナールさんはいないみたい。
「ガルガンはかいぬしにあぶないことさせようとするでしょ!そんなの親友っていわないのよ!」
「もう、マロンってばまたその話?決めるのはベルナールだからって、一旦保留になっただろ?」
「ぜったい、ぜったい認めないんだから!」
「あの……マロンちゃん、何があったのか聞いてもいいかな?」
「ふん、そんなの口にするのもおぞましいわね」
……どこでそんな言葉覚えたんだろう。口をへの字にして黙り込んでしまったマロンちゃんの代わりに、ウーニャくんが説明してくれた。
「ベルナールはね、兄ちゃんに探索部隊へ誘われてるんだよ。でもマロンがずーっとこの調子で猛反対してるんだ」
「そうなんだ……お留守番寂しいもんね?」
「そんなぬるい理由なんかじゃないわ」
「え?」
「マロンはもうかいぬしのそばを離れたくないの。あんな後悔はいちどでじゅうぶんなのよ」
ふう、とため息をついて夕焼けに染まる窓の外を眺めるマロンちゃん。昔何があったのかな?どういう感情なのか読み取れないけれど……。
「ん?もう離れないって言うなら今ベルナールのところにいなくていいのかよ」
「は……しまったわ!だってあんたがトトリにまちがったこと教えているんだもの、そんなのみすごせないじゃない」
「え~?俺のせいじゃないでしょ」
「ベルナールさんがいるなら、やっぱり食堂じゃないかなあ」
「いっつも何か食べてるもんな。この前俺がフェザーさんの真似して失敗した丸焦げの卵焼きも全部食べてくれたし」
「嫌いなものないって言ってたよね。羨ましいな」
「そりゃあね、すききらいしてる場合じゃないことってあるのよ。あんたたちも生き残りたかったらすききらいするんじゃないわよ」
マロンちゃんはそう言うとトコトコと食堂へ歩いて行った。探索部隊が帰還することで一番忙しくなるのは食堂のフェザーさんじゃないかな?そう考えた私はお手伝いをするために、ウーニャくんと別れてマロンちゃんの後ろについて行く形で食堂へ向かった。
*
食堂には案の定、いつもの数倍の料理を慌ただしく準備しているフェザーさんの姿があった。隣でお菓子作りをするクラレットさんも、いつものように手際よく作業を進めている。そんな中ベルナールさんはというと……。
「味見係ならいつでもやるからな~」
「はいはい、あんたは最初からそれが目当てでしょ?いいからちゃんと人数分の食器用意して」
フェザーさんの指示で広い食堂にあるたくさんのテーブルへ次々と食器や出来上がった料理が並べられていく。
「なあクラレット、このクッキーひとつ食っていいか?」
「答える前に触っているじゃないか。触れたものを戻されるくらいなら食べて構わないが、子供の前で行儀が悪いぞ」
「子供?」そう言うとベルナールさんは振り返り、こちらに気付く。私が三人へ挨拶するのとほぼ同時に、マロンちゃんは嬉しそうにベルナールさんの元へ駆け出した。
「かいぬし~!」
「マロン!このクッキー美味いぞ、ほら食べるだろ?」
そんなやり取りが始まるとクラレットさんは呆れ気味にため息をつきつつ、その皿にある分だけだぞと言ってマロンちゃんの頭をそっと撫でていた。
「フェザーさん、私にもお手伝いできることありますか?」
「あら、良い子だねトトリは。……そこの男にも見習ってほしいわね。ダラダラしているだけの大人は、ちょっと教育に悪いんじゃないかしら?」
「いや、ちゃんとやってるって——もぐもぐ。ただ俺にはお前達みたいに特技を生かした役割とかないからな~」
「私も好きで菓子作りをしているだけで、誰に頼まれたわけでもないのだが……」
「あ、でもクラレットさんは元々パティシエなんですよね?この間教わった時も、プロのお仕事!って感じで勉強になりました」
「仕事……か」
そう言うとベルナールさんは、腕の中で丸まりウトウトし始めたマロンちゃんを優しく撫で、いつになく神妙な顔で何かを考え始めた。
「フェザーさんは料理、クラレットさんはお菓子作り……あ、この前テオさんがお城の壁を修理しているのを見かけました」
「あの子昔から手先が器用でね、城から出ない代わりにあちこち修繕して回ってるの」
「そう考えると確かに大人の皆さんは、このお城で仕事をしているんですね」
「ステラがあんな感じだからつい甘えちゃうけれど、やっぱり世話になっている以上は役に立ちたいって思うのよね」
「……まあ、働かざる者食うべからずってのは俺もわかってるつもりだよ」
「ベルナールさんは何が一番得意ですか?」
「得意なこと……そうだなあ」
飼い主の腕の中で安心したマロンちゃんはすっかり眠りについている。そんなマロンちゃんを起こさないように、ベルナールさんは静かにこう言った。
「——サバイバル、かな」
「……すう、すう」
「マロン、寝たか」クラレットさんがベルナールさんへ視線を向ける。
「仕事の話になったのでついでに聞いてもいいか?——例の話を受けるのかについて」
「……」
「そういや保留にしてるあれ、期限は今日だったわねえ」
「それって……ウーニャくんのお兄さんが誘ってるっていう?」
「なんだよ、もうトトリの耳にまで入ってるのか」
「すみません、さっき話の流れで聞いちゃって。でもマロンちゃんがすごく嫌がってましたけど……」
「ベルナールが心配なのよ、未開の地を探索に行くんだもの」
「……今まではマロンがそう言うと誰も反論できなかった。だけど、今回はそれでガルガンが納得するとは思えない」
「どうしてですか?」
「今回は部隊に人間が同行しているからな。スノウの父ちゃんだ」
「シモンさんが無事帰還したなら、ベルナールはもう断れないだろうな」
「あんたの方がどう見てもタフそうだものね」
「……正直、俺は受けてもいいと思ってる。今も言ったけど、俺が役に立てることって城の中で細かい作業をするよりも、外にあるだろうしな」
「まあ、そんな気はしてたわよ」
「問題はマロンをどう安心させてやるか、だ……」
ベルナールさんはクッキーを食べる手も止まるほど考え込んでいる。
「……あの、探索にマロンちゃんも連れて行くのはダメなんですか?マロンちゃん、ベルナールさんと離れたくないって言ってたので」
「そりゃダメだろ!マロンを危ない目に遭わせるわけにはいかねえ、絶対にな……!」
すやすやと眠るマロンちゃんを抱くその腕に、力が入る。その時のベルナールさんはまるで、外敵から我が子を必死に守る親のように見えた。
「じゃあベルナールさんとマロンちゃん、同じなんですね」
「同じ?」
「うん。相手のことが何より大切で、どちらも心配しているから」
「……まあな、マロンは俺の唯一の家族だから」
——離れて働くことになる家族。……そうか、あれがこの星にもあればマロンちゃんは安心できるのかも。
「あの、お手伝いするつもりでここに来たんですけど……ちょっと失礼します!」
「トトリ?」
「試してみたいことができたの、うまくいくかわからないけど……!」
そう言って私は足早に食堂を出ていく。向かう先はあの子のところ。今日はもう話してくれないかもしれないけれど、どうしても聞きたいことができたから。
*
「は?嫌ですけど」
思った通りの塩対応——今日のアオイくんはやっぱり『これ以上俺に構うなモード』になっているようだった。自室の大きなベッドに寝転がり、目線は片手で操作しているスマホへ注がれたままこちらを見る様子はない。
「そこを何とか……あ、どうやって動いているのかだけでも教えてほしいの」
「急に来て何ほんと。なんで動くのかは俺だって知らないし……それにこのスマホ、解約済みだから通話機能なんて元々死んでるんだよ」
「そ、そんなあ」
離れた相手と連絡を取る手段。私は自分のお父さんが出張へ行った時に毎日電話で話していたことを思い出し、ベルナールさんとマロンちゃんもそうやって連絡が取れたら安心できると考えたのだった。そしてこの城で唯一スマホを持っているアオイくんに、協力してほしいと伝えに来たのだけど……。
「いい案だと思うんだけどな……」
「……あのさあ、あんたってコミュ力つけたいんじゃなかったの?一方的に言いたいことだけ言って、俺は何の話してるのかさっぱりなんだけど」
「う……ごめんなさい、ちゃんと説明するね」
「ま、しょうもない話なら出て行ってもらうから」
私はアオイくんに追い出されないように、いつもより早口で事の次第を説明した。すると意外にもアオイくんは最後まで聞いてくれたばかりか、協力的な姿勢を見せてくれた。
「——というわけなんだけど」
「ふうん……」
「電話があればベルナールさんが探索に出ている間も毎日連絡ができるから、マロンちゃんも安心して送り出せるんじゃないかなって思ったの」
「……でも悪いけど、さっきも言った通り俺のスマホは貸せないから。魔法石で別のスマホを召喚すればいいんじゃないの?」
「あれは……欲しいものを新しく作り出すというよりどこかから取り寄せるイメージだから、誰かのスマホを盗むことになっちゃうんじゃ……」
「通話するならどっちにしろふたつ必要だし。それに今までもいろんな物資を調達しているから、今更なんじゃない?」
「う~ん……でも、写真とかメールとか、誰かにとって大切な思い出が保存されているかもしれないし。それはやめておこう」
「……そう」
「誰か他の人の故郷にも電話が普及していたりしないかな」
「じゃ、一人ずつ確認するのも面倒だしステラに聞いてみよう。あいつチャージ期間はどうせ暇してるだろうから」
「わあ~!二人共ようこそでふ~!」
私とアオイくんはステラの部屋を訪ねた。ここへ招待された時に初めて見た室内は、相変わらずラスボスが待ち構えていそうないかにも魔王の城という雰囲気で、その玉座にちょこんと座る小さなヤギのぬいぐるみのギャップに気が抜けてしまう。
「ううっ、アオイにお友達ができたなんてボク嬉しいでふよ……」
「お、お友達……!」と私が舞い上がっているのに気付いたのかいないのか、アオイくんは即座に否定する。
「違うから。今ちょっと目的が一致してるだけだから」
「おや、トトリってばまた何か楽しそうなことしてるでふか?」
「うん、えっとね……」かくかくしかじか、と説明するも、ステラは電話に心当たりがない様子だった。
「ボクの故郷にそんな機械はないでふね~、それにボクはお手紙が好きでふし」
「他の人は?別にスマホじゃなくてもいいんだけど」
「う~ん、キッチンの道具はクラレットがお店で使っていた物らしいんでふけど、電話はふたつ必要となるとなかなか——あ」
「何か思いついた?」
「エマの故郷にならあるかもでふ」
「エマさんね、わかった!ありがとうステラ」
「待って。ちょっと聞きたいんだけど……電話を持ってきたところで、この星でちゃんと使えるようになるわけ?無駄な魔力の消費はご法度でしょ」
「それなら大丈夫でふ、『招待』されたものはすべてこの星へ適応するようになってまふからね。皆が同じ言葉を話すのも機械が魔力で動くのも、全部そうなる仕組みになってるからでふよ」
「へえ……今更だけどそういうことだったんだ。じゃあ遠慮なく使わせてもらうよ」
「うん、行こうアオイくん!」
城の中庭で日向ぼっこをするエマさんを見つけ、私とアオイくんは片方の腕をそれぞれ掴み、ぐいぐいと引っ張るようにして魔法石の部屋まで連れ出した。せかせかと動く私達とは対照的にエマさんはのんびりとした性格で、急なお願いにもにっこりと笑って承諾してくれた。
「電話?うん、あったよ。持ち運びにも対応してるよぉ。ふたつ召喚すればいいの?」
「はい、お願いできますか?」
「……ちなみにそれって、他人の所持品じゃないやつ持ってこれそう?」
「大丈夫。どうせ有り余ってるよぉ」
そう言うとエマさんは魔法石へ手を添えて、ふたつの電話機を召喚してくれた。電話は私達の知っているスマホではなく、真鍮製のレトロなダイヤル式電話だった。
「ちょっとテストしてみるねぇ。……もしもーし」
「わ、もしもし?」
「ちゃんと聞こえるねぇ、これで大丈夫そう?」
「はい!エマさんありがとうございます!」
「どういたしましてぇ」
エマさんはワンピースの裾を両手で持ち、お姫様のようにお辞儀をする。ちらりと見える彼女の義足は、電話と同じ金色の輝きを放っていた。
食堂へ戻る途中、窓の外に数人の人影が見えた。先頭を歩く大きな獣耳の男性がウーニャくんにそっくりだったので、私は彼らが探索部隊であることにすぐ気付いた。
「ねえアオイくん、マロンちゃんとガルガンさんって……やっぱり仲悪いのかな」
「俺がガルガンの部隊が戻ると騒がしくなるって話した理由はそれのことだよ。犬が二匹いたら吠えてうるさいでしょ」
「い、犬によるよ……!」
——とはいえ、先程の一歩も引かないマロンちゃんの姿は私の目に焼き付いていた。急いで電話を見せた方が良さそう。私とアオイくんは食堂を目指して走った。
*
「パパ!ママ!おかえりなさ~い」
「兄ちゃん、お土産ある?」
十人で編成された探索部隊は、城の玄関ホールで帰りを待っていた皆に群がられ、もみくちゃになっていた。淡い栗色の髪に丸眼鏡の優しそうな男性と、腰まで伸ばした緑色の巻き髪に薔薇をあしらった黒いドレス姿の妖艶な女性。二人に抱き着いて喜んでいるのはスノウちゃんだから、きっと彼女のご両親なのだろう。その横では先程窓から見えた、大きな獣耳とふさふさの尻尾が立派な赤毛の男性。ウーニャくんにそっくりなこの男性がガルガンさんで間違いないようだった。他にも翼が生えていたり、大きな角や鋭い牙を持つ強そうな魔族がいる。けれど、そんな魔族達は皆わいわいと楽しそうに談笑しながら城に入っていく。私は彼らを見ても、怖いという感情は抱かなかった。
探索部隊の魔族達はそのまま食堂に移動し、帰還を盛大に祝う宴が始まる。彼らが不在の間に招待された私はステラによって紹介された。久しぶりに注目を集めてしまったことで私は緊張がピークに達し、電話を渡すどころではなくなっていた。と、まあ……そんな感じで最初は和やかに始まったけれど、やはり予想通りの展開が待っていて——。
「ようベルナール!俺がいない間退屈していただろう!」
ガルガンさんが豪快に骨付き肉を頬張りながらベルナールさんのテーブルへ移動する。
「お~ガルガン、何か美味いもん持ってきたか?」
「お前は本当に食うことしか考えてないのな」
魔族の年齢は見た目で判断できないところだけど、ガルガンさんはぱっと見ベルナールさんと年齢や背格好が近いように感じた。楽しそうに会話が弾む様子を見ていると、ウーニャくんが二人は親友だと話していたのにも頷ける。マロンちゃんは否定していたけど。
「ちょっとガルガン!かいぬしになれなれしいわよ!」
お昼寝から目を覚ましていたマロンちゃんは二人の間に割って入り、ガルガンさんをキッと睨みつける。
「んだよ、俺とベルナールが仲良いからって妬くんじゃねえよ」
「でもマロンのかいぬしだもん!」
「なんだなんだ、縄張り争いか?俺は両方飼ってもいいぞ~」
「いや、俺はお前の犬じゃねえって!」
このやり取りは恒例行事になっているらしく、誰も止めに入る様子はなかった。このために準備をしていたのか、アオイくんはイヤホンを装着してひとり静かに食事を進めていて、ヘルプの視線を送っても見事にスルーされてしまった。絶え間なく続くマロンちゃんとガルガンさんの縄張り争いに、私は話しかけるタイミングを見つけられずにいた。
「——ところで、俺が何の話をしたいのかは当然わかってるんだよな?」
ガルガンさんは呼吸を整えるとベルナールさんを見つめ、真剣な顔で話し始めた。
「ああ、今日が期限のあれだろ?」
「かいぬし!そ、それは……」
ベルナールさんは言いかけたマロンちゃんの頭を優しく撫で、その手でぬくもりを伝えながらもガルガンさんをしっかりと見据えている。
「いつまでもお客さんでいるつもりはないからな。俺が必要ってなら引き受けるぜ」
「かいぬし!」
「大丈夫だ、マロン。俺が人より頑丈なのは知っているだろ?」
「……っ、やだ、嫌なのよ」
マロンちゃんはその瞳にうるうると涙を溜めている。私は食堂でのやり取りを思い出す。あの時すでにベルナールさんは、探索部隊に入ることを決めていたようだった。きっと反対しているのはマロンちゃんだけで、マロンちゃんの心配している部分を取り除くことができればこの問題は解決できる。——タイミングは、今だ。
「……あの、私二人に渡したいものがあるんですけど」
深呼吸して心を落ち着かせ、私はベルナールさんとマロンちゃんへ先程手に入れた電話を見せた。
「電話……?」
「一台は城に置いてこっちの小型のをベルナールさんが持っていけば、離れていても毎日マロンちゃんと連絡取れるから、安心できるんじゃないかと思って」
「へえ、さっき勢いよく出て行ったのはこれの調達だったのか。ありがとなトトリ」
「うん。……どうかな、マロンちゃん」
私はマロンちゃんの顔をそっと覗き込んだ。溜めていた涙は零れ落ち、ふわふわの毛を濡らしている。
「そんな、そんなものがあったって、なにも保証されるわけじゃない。あのときみたいに突然いなくなっちゃうのよ」
「……」
「かいぬし、すぐ帰るって言ったのに。マロンはちゃんと待っていたのに。——それっきり戻ってこなかったのよ!」
その時ガタンと大きな音が食堂に響いた。皆が一斉にそちらを向く。それは一人離れた席で食事をしていたアオイくんだった。なんだかんだ気になっていたのか、アオイくんはいつの間にかイヤホンを外してこちらの様子を伺っていたのだけど——マロンちゃんの悲痛な叫びと同時に椅子から勢いよく立ち上がり、そのまま固まっている。
「アオイくん……?」
私は声をかけようとしたけれど、その言葉はすぐに引っ込んでしまった。長い前髪でいつもは表情のわかりにくいアオイくんが、一目でわかるほど青ざめていたからだ。
「……っ、なんでもない。——ほっといて」
アオイくんは絞り出すように一言だけ残し、食堂を出て行った。
追いかけたかった。だけどほっといてほしいと言われてしまった。こういう時、どっちが正解なのかわからない自分が情けない。ただ立ち尽くすしかない私の背後で、食堂を包み込むようなとても優しい声が聞こえてきた。
「ねえマロン。僕からも渡したい物があるのだけど」
声の主はシモンさんだった。
「……なあに?」
シモンさんの穏やかで心地良い声に安心したのか、マロンちゃんは少し落ち着きを取り戻している。
「これはね、ステラ特製のお守りだよ。探索へ同行するにあたって、僕に持たせてくれた物なんだ」
「ああ、なるほど!シモンそれはナイスアイディアでふ~!」
そう言ってステラは、お揃いのお守りを取り出して見せた。
「このお守りにはボクの魔力か込められていまふ。シモンは人間でふから、外で何かあったら大変でふよね?そんな時すぐ城へ戻って来られるように……念じると、転移魔法が発動するんでふよ」
「そして対のお守りがある場所へ一瞬で移動できるんだ。これをベルナールとマロンが持っていれば……あとはわかるだろう?」
マロンちゃんの表情がぱあっと明るくなった。受け取ったお守りを首輪に結んでもらい、嬉しそうに尻尾を振っている。一瞬で問題を解決したシモンさんは、その後何事もなかったかのように家族のいるテーブルへ戻って行った。ぽかんと立ち尽くしていると、トコトコとマロンちゃんが私の足元へやって来た。
「……トトリ、さっきはごめんなさい」
「えっ?」
「電話なんて意味ないって、ひどいこと言ったわ」
「ううん、お守りのこと知らなかったから……マロンちゃんが安心できるなら、きっとそれが一番だよ!」
「ちがうの、電話もほんとはうれしかったのよ。……だから、あのね」
マロンちゃんはすりすりと頭を擦りつける。私は屈んで彼女に目線を合わせた。
「マロンに電話のつかいかた、おしえてくれる?」
「……うん!もちろんだよ!」
「ありがとう、トトリ」そう言ったのは、私達を見ていたベルナールさんだった。
「昔いろいろあってな……マロンは置いていかれるのがトラウマになってるんだ。どうしたもんかと悩んでいたけど、助かったよ」
「いえ、私はそんな……何も」
問題を解決してくれたのはシモンさんだ。私のアイディアは、二人の役に立てたのか正直微妙なところだった——だけど。
「かいぬし!まいにちラブコールするからいちどで電話にでるのよ!」
「はは、もちろんだ。俺がマロンの呼びかけに遅れるわけないだろ?」
二人が嬉しそうに電話を触るのを見ていると、じんわりと胸が温かくなっていった。きっとこの先離れて過ごす日々の中で、何度も二人を繋いでくれるはずだから。……少しでも寂しい思いをしなくて済むように。
(……自己満足かもしれないけど、行動してよかった。そう思いたいな)
ざわついていた食堂は落ち着きを取り戻し、帰還を祝う宴は続く。私は静かにその場を離れ、アオイくんの元へ向かった。
「ほっといてなんて言っていたけど、あんな顔色で一人になんてしておけないよ」
息を切らし、部屋まで続く廊下を一気に駆け抜ける。そしてドアノブへ手をかけようとした、その瞬間——。
「……う、……ぐすっ」
(えっ?アオイくん——泣いてる?)
「……う、父さん……なんで、なんで……」
思えば私はアオイくんのことを何も知らなかった。知っているとすれば、テレビで流れた本当かどうかわからない報道くらいで。母子家庭、虐待疑惑、家出。いつも見ている解約済みのスマホ。マロンちゃんのために私と行動してくれたこと。
『すぐ帰るって言ったのに。マロンはちゃんと待っていたのに。——それっきり戻ってこなかったのよ!』
——置いていかれる、恐怖。
私は手を引っ込めた。この先へ踏み込むにはあまりにも、何も知らないのだから。
(……少し話すようになったくらいで、アオイくんを理解できた気になっていた)
全速力で走って来た廊下を、のろのろと引き返す。もしも——もしもアオイくんが打ち明けてくれたら、その時は私のできることで力になってあげたい。だけど。
「あれ、今日で何日目だっけ……」
残された時間は、距離を縮めるには絶望的なほど足りなかった。




