第一章 勇気の足りないはぐれ者
三月も終わりへ近付いているのに、せっかく見え始めていた地面を塗りつぶすような、季節外れの雪が降った。私の暮らす地域では珍しくないことだった。よくテレビドラマなんかでは桜の咲く中で卒業式を迎えているけれど、私――都鳥千尋の小学校卒業式は、淡い桜色ではなく真っ白な雪の中で行われた。それはまるで私の六年間のようだった。
「あらやだ、牛乳が切れているわ……千尋、お母さんちょっと買いに行ってくるからお鍋見ていてもらえる?」
「はあい」
「それから、休みだからってゴロゴロしていちゃダメですからね。中学生になったら勉強がとっても難しくなるんだから」
「……うん、じゃあここで勉強しながら見ているね」
お願いね、と言いながらお母さんは慌ただしく外へ出ていった。今日の晩ご飯はクリームシチュー。自分がリクエストした一番好きな食べ物だ。冬のイメージがあるメニューだけど、まだまだ寒いから食べたくなる。
お母さんの姿を見送ろうと外に目をやった。まだそんなに遅い時間ではないけれど、外はすっかり暗くなっていて、雲ひとつない夜空には綺麗な星が輝いていた。
「中学校かあ……行きたくないなあ」
小さい頃から極度の人見知りだった私は、とうとう親しい友達の一人もできぬまま、先日小学校を卒業してしまった。何も残せなかった真っ白な六年間。
中学校は代わり映えしない同級生達が集まる。つまり皆にはもう友達がいて、グループができていて、ひとりぼっちなのは私だけだ。気が重いに決まっている。
『――次のニュースです。七留咲市で当時小学六年生の水上逢生君が行方不明になった事件から、まもなく一年になります。依然として手掛かりはなく、警察は情報提供を呼び掛けており――』
「あ、この男の子の事件……そっか、もう一年になるんだ」
テレビで地元の名前を聞くことなんて滅多にないから、当時は大騒ぎだった。同じ地区で年齢も近い男の子がある日突然いなくなってしまった。誘拐かもしれないからと登下校に保護者が付き添ったり、夜遅くの外出が厳しく禁止されたり。小学生だからそんな時間にひとりで出歩くわけないんだけど、逢生くんはまだまだ肌寒い夜遅くに、上着も羽織らず家を出ていったらしい。
それからは連日ニュースで特集され、逢生くんの家が母子家庭であることや、その母親による虐待疑惑など、どこまで本当かわからない情報が嫌でも耳に入ってきた。でも、私は自分の目で見た。逢生くんのお母さんが、必死にチラシを配って情報提供を呼び掛けている姿を。子供のことを心配しない母親がいるわけない、テレビって酷い。――そう思っていた。
「もし私が今いなくなったら、中学校へ行かなくて済むのに……なんて、こんなこと考えたら怒られちゃうな」
誰かにいじめられたとか、そういうんじゃない。周りに悪い子なんてひとりもいなかったことをちゃんとわかっている。でも毎日おしゃべりしたり、一緒に帰ったり、放課後集まって遊んだり……そんな関係を築けるのかは別の問題で。誰かに自分の気持ちを伝えるのって、すごく勇気がいることで。私には、その勇気が足りなかったんだ。
「……あれは何だろう?」
ぼんやりと外を眺めていると、空からキラキラ光る何かが落ちてきて、地面にふわりと着地したことに気付く。まるで夜空からひとりぼっちの星が迷い込んできたみたいだった。
急いで確かめに行く。寒いけど上着は何も羽織らなかった。でも雪が積もっているから、サンダルではなくムートンブーツを履いていった。
近くで見てもやっぱりそれは光っていた。じっと見ていると目が開けていられなくなるほどの強い金色の光を纏っている。恐る恐る手に取ってみると、それは差出人不明の手紙のようだった。
「誰の手紙だろう?うちの庭に落ちたから……私が開けてみてもいいのかな」
自分らしくない行動だった。キラキラ光る手紙なんて怪しいに決まっている。それを手に取って、中を確認するなんて。
そう、この時私は確かに勇気を出していたんだ。自分は持っていないと思っていた勇気を。手紙には一言、こう書かれていた。
「居場所のないキミ――ボクの星へおいで」
次の瞬間、私は目が眩むほどの強い光に包まれた。立っていられなくなり、声も出せず、段々と意識が遠くなっていくのがわかった。だけどその時、一番最初に頭の中に浮かんだのは恐怖や驚きではなくて、火にかけたままのお鍋のことだった。
*
いつの間にか眠っていたようだ。目を覚ました私の視界に飛び込んできたもの。それは石造りの壁と床、パチパチと音を立てる松明、絢爛豪華な玉座。おとぎ話の華やかなお城というよりは、ゲームで最後に攻略するラスボスのダンジョンのような場所だった。
そして私の顔を覗き込む――ヤギ。目の前に、ヤギがいた。
「ようこそボクのお城へ。新しいはぐれ者。歓迎するでふよ」
ヤギが喋っている。それも、ふわふわのぬいぐるみのヤギが。ヤギなのに二足歩行だし、空も飛んでいる。……何これ、おかしな夢?
薄鈍色の体に、大きなボタンの瞳。ボタンは金色で、黒い糸を横向きに通して縫い付けられている。それは本物のヤギと同じ長い瞳孔みたいだ。四十センチほどのそのヤギは、体の二倍はある濃紺のマントを身に着けており、マントの裏地は星のようにキラキラと輝いている。まるで家の窓から眺めたあの夜空と同じ……。
そこでようやく私の意識がはっきりとした。
「……ここ、どこ?」
ひとつずつ思い出そう。私は留守番をしていた。窓の外は三月なのに雪が積もっていて、空には雲ひとつなく、星がよく見えるほどすっかり暗くなっていた。庭に落ちてきた金色の手紙を手に取って、そして――。
「……お鍋!」
私は飛び起きた。お母さんに見ているよう頼まれたクリームシチューの鍋。ちょっと外を見に行くだけのつもりだったから、火にかけたまま出てしまった。
「キミみたいに元気なはぐれ者、久しぶりでふね~。何故か皆、死にかけでここへ来まふから」
「あ、あの!わ、私はどうしてここに?いったい何が起こったのか、さっぱりわからなくて……」
普段の人見知りが嘘のように、初対面の相手へ自分の疑問を真っ直ぐぶつける。それができたのはきっと、相手がヤギのぬいぐるみだったから。私の友達も、家にあるぬいぐるみだけ。普段からぬいぐるみとおしゃべりするのを日課にしていたから、今目の前で起こっている不思議な出来事に対応できている。そう、これはひとりぼっちの得意技だ。……なんて、虚しくなってくる。
「ボクの招待状は、ひとりぼっちのはぐれ者にだけ届く魔法のお手紙でふ」
「えっ」
ドキッとした。ひとりぼっち――心の中を覗かれた気持ちになった。招待状?何のこと?あの金色の手紙は、このヤギから届いたものだったってこと?ヤギからのお手紙なんて、昔、幼稚園でそんな歌を歌った気がする。
「他にも夜であることや雲がひとつもないことなど……いくつか条件がありまふけど」
ヤギがふかふかした滑舌で説明を続ける。
「一番は、キミが自分の居場所はないと、孤独を感じていたことでふね」
「居場所……」
「でももう大丈夫!この『はぐれ星』には同じように居場所をなくした者たちをボクが招待していて、皆で仲良く暮らしているんでふよ!」
居場所……私は居場所が欲しかった?確かに中学校へ行くのは不安しかない。でも私にはちゃんと家があって、今だって本当は、お母さんに頼まれてクリームシチューのお鍋を見ながら勉強していたはずだ。……違う、違うよヤギさん。私は孤独なわけじゃない。
「あの……ヤギさん。わ、私……」
言わなくちゃ。いつもならきっと、勇気がなくて飲み込む気持ちを、今はちゃんと伝えなくちゃ。
「私、お家に帰りたい。……です」
*
「え……?」
「え、えええええええええっ!?」
建物に、ヤギの大きな叫び声が響き渡る。このお城?がどれくらいの広さなのかはわからないけれど、遠くから人の声や物音が聞こえてきて、その人は今この部屋に向かっているのだろうと思った。
目の前のヤギは、ぬいぐるみなので表情に変化は見られなかったけど、部屋の中を行ったり来たりしながら体をジタバタと落ち着きなく動かし、動揺しているのが伝わってきた。
「ヤギさ〜ん!どうしたのです〜?」
部屋に飛び込んできた新たな登場人物は、先の尖った長い耳をした小さな女の子だった。赤ん坊くらいの身長だけど、等身は大人なので少し大きい着せ替え人形のような印象を受ける。黒のベレー帽とケープを身に付け、裾が丸くなったワンピースは電球のように淡く光っていて、ヤギと同じく、ふわふわと飛んでいる。私は彼女をランプの妖精さんと心の中で名付けた。……人間が出てこない。やっぱり、これは夢?でも、夢にしては自分の意識がはっきりし過ぎているような……。
「アカリちゃ~ん」
表情は変わらないけれど、明らかにしょげているヤギが妖精さんに抱き着いた。妖精さんはよしよしとヤギの頭を撫でている。なんだが悪いことを言ってしまった気分。でもこれが夢じゃないのなら、一刻も早く家に帰らないとお母さんが心配する。
「こんばんは〜。あなたが新しく招待されたはぐれ者さんですね〜?」
「あ、こ、こんばんは……」
ニコニコと可愛らしい笑顔を向けられて、私もごく自然に挨拶をしてしまう。そうだ、彼女にも伝えておかなければ。
「あの……私、家に帰りたいんです。お母さんが心配するので」
妖精さんは笑顔のままだったが、部屋の空気は一瞬ピリッとしたように感じる。そしてそれが、私の気のせいではないのだとすぐにわかった。
「ヤギさん~?もしかして……間違えたのですか~?」
妖精さんは笑顔を保ったまま、でも確実に、怒っている。私のお母さんも、普通に怒るより笑いながら叱るときの方が怖いから、もしかしたら相当頭にきているのかもしれない……。
「ち、違いまふ!いつも通りちゃんと、はぐれ者が自分の意思でここに来るようにお手紙書いたでふよ!」
「じゃあなんでこの子は家に帰れなくて困っているのですか~?」
あ、どうしよう……これ私が原因でヤギさんが怒られているんだ。家に帰りたいのは本当だけど、自分の意思で手紙を読んだことも本当だから……。
「あの、ヤギさんのこと怒らないであげて。手紙を受け取ったのは私自身で間違いないです。……魔法とかよくわからないけど、ヤギさんきっと間違えていない」
「そうなのですか~?じゃあ、はぐれ者であることは間違いないのですよね?それなのに、元いた星へ帰りたいとはどういうことでしょう~?」
「それは……」
これが夢じゃなくて現実なら、ここに来るまでの自分に原因があるはず。そして私には心当たりがあった。
「ちょうど考え事していて……悩みがあったから。学校っていうところに行かなきゃいけないんだけど、私友達がいないから、それで……」
「ふむふむ、それがボクの招待状が届いた理由でふね。良かったでふ、誘拐になっていなくて……」
「でも、それなら困りましたね~。ヤギさんが次に魔法を使えるようになるのは三十日後ですもの~」
「え?」
すぐに帰れると思っていた私は、思わず間抜けな声を出してしまった。三十日後って言ったの?嘘でしょう?
「説明すると長くなるんでふけど、ボクは一度死んでいる魂だけの存在で、このヤギのぬいぐるみは器なんでふ。生きていた頃に比べると魔力のチャージに時間がかかるから……」
「チャージが完了するまでの三十日間は、はぐれ星で過ごしてもらうことになりますね~」
「ええええええ~!?」
部屋の中に、今度は私の叫び声が響き渡った。自分からこんなに大きな声が出るなんて、私はこの時初めて知った。
*
ちょうど晩ご飯の前だったからなのか、大きな声で叫んだからなのか、私はお腹を空かせてしまい、妖精さん――アカリちゃんにお城の食堂へ案内された。
「そういえばお名前を聞いていませんでした~」
ドキッとする。私は自己紹介が苦手だった。理由は――。
「わ、私は……都鳥ち――」
「トトリちゃんですね~!可愛いお名前です~!それにちょっとだけアカリと似ていますし~」
ああ、恐れていた展開だ。私が名乗るのにもたついていると、それっぽい名字のせいで『トトリ』を名前だと判断されてしまう。何度か見た光景だ。そしてそれ以降、相手と特に親しくなれるわけでもないため、私は『千尋』という下の名前で呼ばれることがほとんどない。小学校の六年間、誰にもそう呼ばれなかったことが密かにコンプレックスとなっていた。すぐに訂正すればいいんだろうけど、いきなり下の名前で呼んでほしいって馴れ馴れしいかな、とか色々考えてしまって、結局まあいいやと飲み込んでしまう。
食堂へ向かうまでの間、アカリちゃんはこの星について色々と教えてくれた。
昔悪さをした魔王が勇者に討伐され、その魂はぬいぐるみに乗り移ることによって消滅を免れた。それがさきほどのヤギの正体――名前はステラというらしい。
魔王ステラは配下の魔族と共に故郷の星から『はぐれ星』へと移り住み、このお城を拠点として少しずつ住みやすい環境へ星を育てている――ということだった。
「ヤギさんはとても寂しがり屋で、常にお城に誰かを置いておこうとするのです~。でも魔族たちのほとんどは今、部隊を編成して星の探索に出かけていますの。トトリちゃん、帰るまでの間ヤギさんとたくさん遊んであげて下さいね~」
「う、うん……」
普段人間よりもぬいぐるみ相手の方が話しやすいとはいえ、中身が魔王の魂だと知った今、まともに会話できるか正直自信がない。
ステラは三十日に一度だけ魔法を使えるようになり、その魔力を星に分け与えたり、別の星の『はぐれ者』へ招待状を出している。今夜はもう魔力が尽きてしまったらしく、それで私が家に帰るのは三十日後になってしまうんだとか。それでも、多少の時間操作ができるとか何とかで、家に帰る時は留守番を頼まれたあの瞬間に戻してくれるんだって。魔法ってすごいなあ……そしてあっさり受け入れている自分も、なかなかすごいのでは?と思い始めていた。
食堂は閑散としていた。さっき言われた通り、このお城に住む魔族のほとんどは不在のようで、たくさんのテーブルが置かれた広い空間に見えた人影は、二人だけだった。
「フェザーさ~ん、テオく~ん」
アカリちゃんがその二人の人物へ声をかける。フェザーと呼ばれた女性がこちらへ振り向く。
「あらアカリ。夜食でも食べにきたのかい?」
そういえば、私のいた地球はちょうど晩ご飯の時間だったけれど、はぐれ星はもう夜になっているらしい。夜食と言われて初めて気が付いた。
「はい~。こちらのトトリちゃん、今夜招待されたはぐれ者なんですけど、晩ご飯を食べてなかったみたいで~」
「こ、こんばんは……」
フェザーさんは暖かい日の青空を思わせる淡いブルーの髪をしていて、ゆったりとしたロング丈のワンピースに紺色のエプロンを身に着けている。年齢は三十代後半くらいだろうか?自分のお母さんと同じ年代のように見える。
「こんばんは。私はフェザー。こっちが息子のテオだよ。食堂は私に任されているから、お腹が空いたときは遠慮なく言ってちょうだいね」
息子、と紹介された隣に座るテオさんは、私より年上で学生に例えるならきっと大学生だ。フェザーさんと同じ空色の髪をしていて、赤いフレームの眼鏡に紺色のツナギ、腰にはレザーのエプロンを巻いている。エプロンの大きなポケットには、はさみや糸やトンカチが無造作に突っ込まれていて、歩いたらカチカチと音が鳴りそうだと思った。
「よろしくな、トトリちゃん」
「苦手な食べ物とかない?今出せるのはこれくらいなんだけど……」
そう言ってフェザーさんが用意したお皿に盛りつけられていたのは、私が今日食べたいとリクエストしていたクリームシチューだった。
「もし嫌いな具材が入ってたら残して大丈夫だからね。次からは入れないようにするし」
「じゃあオイラの皿にいつまでも人参入れないでくれよ」
「あんたに言ってないわよ」
「いえ、大丈夫です……いただきます」
親子の何気ないやり取りを見ながら、温かいクリームシチューを口に運ぶ。大好きな、まろやかで優しい甘みが、心にまでじんわりと染み渡るようだ。自分のお母さんを思い出すと急に寂しさが押し寄せてきて、瞳からは堪えきれずに涙が零れ落ちた。
心配するフェザーさん達へ、アカリちゃんがあれこれと私の事情を説明をしている。泣きながらシチューを食べ終えた私は、次にお城の一室へ案内され、お姫様が使うような大きなベッドに洋服のまま潜り込み、深く――深く眠りについた。
目を覚ますと朝になっていた。見知らぬお城でもぐっすりと眠ってしまうほど、自分が思っている以上に頭は混乱して疲れ果てていたらしい。
昨日この部屋へ案内された際、フェザーさんから朝ご飯も食べにおいでと声をかけられていたのを思い出す。私のお腹はいつも通り元気にぐうぐうと鳴っていた。……何もしなくてもお腹って減っちゃう。ご飯があるのは有難いけれど、お風呂や着替えもあるのだろうか。少し落ち着きを取り戻した私は、三十日間をこのお城で過ごすために、知りたいことがいくつか頭に浮かんでいた。
食堂へ行くと、昨日会ったヤギ――ステラと、アカリちゃん、フェザーさん、テオさんに加えて、数人の男女が集まっていた。人間も、そうじゃなさそうなのも。そんな『はぐれ者』の中に、私は一人だけ見たことのある人物を見つけた。驚きのあまり、また大きな声で叫びそうになったけど、何とか我慢する。そして誰にも聞こえない小さな声で、そっと呟く。
「あの子って、もしかして……」
テーブルの隅っこで、スマホを弄りながら黙々と食事を進める男の子。ニュースで何度も見た、行方不明になっている地元の男の子。
「――水上逢生くん?」
だけど大勢の視線が集中するこの部屋で、自分から彼に声をかけられるような勇気を……今の私は持っていなかった。




