第7話 白衣の天使はどこですか?
『消防団としては、市街地で何かあっても──誰のせいにもする気はない。
若手にも声かけて、イキのいい連中を連れて行くつもりだ』
克俊はそう言いながら、後ろに控えていた消防団の仲間たちに視線を送る。
団員たちも、それぞれ静かに頷いた。
『……では、医療班からも一言』
医療班の席から、ひとりの男が立ち上がった。
青いDMATベストの上に、私物の白衣を着込んでいる。
千葉健太(45)。避難所唯一の医師だ。
『このまま籠城生活が続けば、いずれ医療物資は底を突きます。
避難所内の感染症やケガも増えており、早急な補充が必要です。
……ですので、今回の市街地調達作戦には、私も同行します』
『──はぁ!? 先生、何言ってるんですか!?』
また別
思わず声を上げたのは、看護師の良江だった。
『先生が行っちゃダメに決まってるでしょ!? たった一人の医者なんだから!』
『いやいや、ここは僕が行くべきでしょう。こう見えて昔は柔道やってたんだ。インターハイにも──』
『なにが柔道ですか! 野生動物相手に背負い投げでもするつもりですか!?
先生の身に何かあったら、誰が治療するんですか!? 大体先生はいつも──』
『まあまあまあ、落ち着いて。誰が行くかは追って決めますから』
信介が苦笑しつつ、割って入る。
『……では、調理部門からも一言』
『はい……えっと、調理の合原です』
合原絵里(29)。
避難所の給食を担う管理栄養士で、小柄な体を震わせながら声を上げた。
『今現在の食料事情は、黒板の通りです。
備蓄米だけは大量にありますが、このペースで消費すれば、来年の夏には底をつきます』
彼女の声は、徐々に震えを帯びていく。
『小さい子どもたちもいますし、なるべく栄養バランスも考えてあげたくて……。
危険なのは分かってます。でも……市街地には行くべきだと思います。
……けど……私は……行けません。やっぱり……怖いです……ごめんなさい……』
最後の一言は、涙に濡れていた。
『大丈夫ですよ、合原さん。代表者が行かなきゃいけない決まりはありません』
信介は優しく言葉を返した。
『ここに残ることも、大事な“仕事”ですから』
会議の空気が、少し和らぐ。
そのとき、日焼けした男が手を挙げた。
『食料に関しては、学校からも提案があります』
熊谷慎吾(40)。
農業高校の教師で、専門は農作物だ。
『あ、教師の熊谷です。──ぶっちゃけ、救助が来ないなら、いずれ完全自給自足になると思ってました』
ざわつく教室。
『つまり、今ある食料を減らしていくだけじゃなく、自分たちで“育てる”必要があります。
学校にも種子は残ってますが、温室育成用が多く、北海道の冬では育てにくい。
だから、市街地にあるホームセンターや種苗店、農協から、種や資材を確保したいんです。
───それと…少し重い話にはなりますが、
野生動物に襲われてだいぶ数は減りましたが…うちで飼育してる家畜たちも、一部を食糧として避難民の皆さんに提供するべきではないかと校長と話してました。
家畜たちは寒さに弱いですし、冬になって凍死させてしまうくらいなら…と』
「たしかに…」「しかたないか…」という声が周囲から漏れはじめた。世話をしていた学生たちの顔色は一瞬暗くなり、複雑そうな表情を浮かべている。
その話を受け、裕太が口を開く。
『ホームセンターなら、市街地中心部に近いですね。
……あそこは、動物の活動が活発です。音を立てると集まってくるので、可能なら銃を使いたくありません。
でも、護衛にはつきます。俺が送ります』
その目つきは、狩人のものだった。
『中心部へ行くには、道の封鎖も多いし……それなりに迂回が必要ね』
現役警官の幸が、市街地中心部への話に反応して続いた。
避難所に駐在し治安維持に努めていたが、現場の状況は同僚や猟友会に所属している裕太などから話を聞いている。
『現場に出てた他の警官にも声をかけてみるけど……心が折れてなきゃいいけどね』
その言葉には、太陽フレアとはまた別の、現実の凄惨さが滲んでいた。
『……では、行政の立場から一言』
信介が忠司に目を向ける。
『皆さんの意見……すべて、もっともだと思います。
私からは……どうか、安全に。必ず、生きて帰ってきてください。
そして……私も、市の職員として。自分の目で市街地を見に行かなくてはなりません』
震えながらも、忠司の目はしっかりと前を向いていた。
『無理すんなよ? そのときは、俺らが代わりに見てきてやるから』
克俊が、ぽつりとフォローを入れる。
『いえ……。もう、市民の皆さんにばかり頼っていてはいけないと思っています。
私は、覚悟を持って向かいます』
責任感と恐怖を押し殺した表情が、彼の本気を物語っていた。
『──それでは皆さん。早ければ明日、もしくは明後日にも準備を整え、
市街地物資調達作戦を、実行に移しましょう』
『……はい!』
教室中に、静かに、それでも力強く声が響いた。
それから、まるで堰が切れたように、
あちこちから「どこに行く?」「何を持ってく?」「どんなルートで?」という声が飛び交い始めた。
避難民からの要望や提案もいくつか集まった。
水道工事業者は「井戸ポンプの凍結に注意が必要」と警告し、
電気工事士は発電機を使った高校の一部電力の復旧を提案。
それを聞いたボイラー技士が、
『電気や井戸水が使えるなら、ボイラーも再稼働できるかもしれない。温水が使えるぞ』
と呟くと、教室には歓声が広がった。
一方、下水処理業者は浄化槽の氾濫リスクを説明。
続いて医療班が感染症のリスクを告げると、避難民の間には悲鳴が上がった。
保育士や保護者からは、
『子どもたちの娯楽が足りない』『短時間でも外で遊ばせてあげたい』
といった声も上がっていた。
また、避難所の清掃や衣類の洗濯、食事の準備や後片付けといった日常業務についても、
「全員で役割分担して、避難所全体で回していくべきだ」との提案が出された。
──避難民も交えた、初めての本格的な避難所運営会議は、次第に熱を帯びていく。
本当の意味での“会議”は──ここから、ようやく始まったのだった。