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第6話 国家が機能してない事は…私が1番理解してます



『──だから言ったろ? もうそんな悠長なこと言ってる場合じゃねぇって』




克俊の声には、苛立ちが混じっていた。




黒板には、現在避難所に不足している物資と、越冬に必要な品々が整然と書き出されている。




教室中央に寄せられた机の上には、市役所職員が持ち込んだ防災ハザードマップ、避難計画書、災害対応マニュアルなどが開かれていた。


所々に付箋や手書きメモが貼られ、何度も議論が重ねられてきたことが見てとれる。




会議はすでに、建前を捨てた本音の応酬に突入していた。




『……ですから、このまま大人しくしていれば、いずれ自衛隊や消防が助けに来てくれるはずです……』




加藤忠司かとうただし(42)は、手元のマニュアルに目を落としながら、どこか自信なさげに呟いた。




彼の着ているグレーの防災服はよれよれだったが、目立った汚れはない。

それが逆に、現場には出ていないという事実を物語っていた。




『いつかって、いつだよ? 車も動かねぇってのに、この人数どうやって助けに来るんだよ』




克俊の言葉は鋭く、容赦がない。




『いや、ですから……それは……恐らく、遅くとも12月には……』




語尾を濁す忠司。




『9月の時も“来月には”って言ってたよな? もう10月も半分過ぎてんだぞ?』




克俊は教室の壁に貼られたカレンダーを指差しながら問い詰める。




静まり返る教室に、落ち着いた女性の声が割って入った。




『忠司さん。私も、救助はきっと来ると信じています。ですが──』




氏家良江うじいえよしえ(42)。

黒のカーディガンの上から「DMAT看護師」の青いベストを羽織り、背筋を伸ばして立っていた。




『現実として、9月以降、この避難所に外部から来た公的機関の姿は一度もありません。


8月の終わりまでラジオから流れていたニュースや政府や行政からの情報も、9月以降一切音沙汰なしです。…ラジオをつけたところで雑音しか流れてきませんし。


他の避難所や居住区から、命からがらここに辿り着いた方もいますが、それも今月に入ってからはゼロです』




教室に広がる緊張。

良江は間を置かずに続ける。




『だからこそ。せめて来年の春まで、自力で持ち堪えられる準備を進めるべきではないでしょうか?』




『……仰ることは、分かります。ですが……何かあった時、誰が責任を取るのか……それも不透明で……』




忠司は声を低くし、マニュアルに視線を落としたまま言葉を継ぐ。




避難所の公的責任者という立場が、判断の足を止めていた。




『忠司さん。もう、誰の責任でもないですよ。こうなってしまったのは、誰のせいでもない』




その声は、よく通る穏やかな声だった。




教壇に立つのは、榊信介さかきしんすけ(58)。

この農業高校の校長であり、避難所運営のまとめ役を担う人物だった。




『私も……学校長という立場から、危険なことには見て見ぬふりをしてきました。

ですが、今日の夕食に出た鹿肉の話を聞いて、考えさせられました』




教室の隅。

裕太の隣に座っていた直樹は、裕太からコツンと肘で小突かれ、思わず照れくさそうにニヤリと笑う。




『聞いたところによると──あの肉は、小さな子どもたちが“お肉が食べたい”とわがままを言って、保育士さんたちを困らせていた。

それを聞いて、「じゃあ俺が獲ってくる」と言って、約束を果たしてきたそうですね』




信介は教室を見渡し、優しく語る。




『こんな状況下でも、誰かのためにできることをやる。その姿勢に、私は心を打たれました。

そして……教育者として、大人として、自分が恥ずかしくなったのです』




直樹は顔を真っ赤にし、俯く。




『7月の太陽フレアで世界中が大混乱に陥るなか、寮生活で親元と離れていても、文句一つ言わず避難所の手伝いをしてくれる生徒たちがいます。

それを見ていて、我々大人が“責任”や“立場”を前にして動けなくなるのは……情けない話です』




教室の空気が、じわじわと変わっていく。




『……恐らく、最悪の事態とは、国家機関そのものが機能していないということ。

私も、ずっとその可能性と向き合ってきました』




言葉を選ぶようにして、信介は続ける。




『それでも、大人としてできることは、子どもたちの盾になり、前へと導くことじゃないでしょうか?』




その場にいた誰もが、口には出さずとも、同じことを思っていた。




『認めたくはないですが……その可能性は、非常に高い。

……ですが、それを私の口から言ってしまえば、“終わり”になる気がして……』




忠司はマニュアルの上に置いた手に力を込め、視線を外さずに言った。




『……分かるよ。あんたも、大変だったんだろ……』




克俊が、ぽつりと呟く。




忠司は無言のまま、小さく頷いた。




『でも……大変なのは、みんな同じですから』




静寂の中、小さな震えを含んだ声が響いた。




『あの……俺たちも、この避難所の一員です。体力なら、余ってます』




直樹が一歩前へ出て、教室中に聞こえるように声を張った。




『……だから、もし俺たちに何かあっても……皆さんには、責任を感じてほしくないんです』




『みんなで話したんです。いつまでも大人の皆さんに守ってもらうんじゃなくて──

自分たちにもできることをやって、ちゃんと意見を伝えようって。だから……この会議に来ました』




その言葉に、裕太がふっと笑う。




『分かってるよ。ありがとな』




信介も、目を細めて頷いた。




『ありがとう、直樹くん』




柔らかな空気が、教室に戻ってくる。




『さて。あらためて、市街地への物資調達について、皆さんの意見を伺いたい』




信介の声とともに、避難所最大の決断が動き出す。

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