第5話 技名を叫ぶなんて、俺もまだまだ厨二だな
鹿は牧草地の中を時折立ち止まり、周囲を警戒しながら、ゆっくりと農業高校の校舎へと歩いていた。
やがて牧草地を抜けて、舗装された道路に出る。
カツ…カツ…
蹄の音が静寂の中に響く。
その音に気づいた一匹のエゾタヌキが、側溝から顔を出す。
鹿と目が合ったその瞬間、タヌキは音を立てて牧草地へ逃げていった。
──ガザザザザッ
顔にまでかかるほど伸びた草木をかき分け、監視者31番は牧草地を疾走していた。
暗視ゴーグル越しに周囲を確認しながら、手には50センチほどのマチェットを握っている。
ガサガサッ!
前方の牧草が不自然に揺れたその時、黒い影が天高く飛び上がった。
────キタキツネ。
それは獲物を捕らえる為、茂みの中に潜んでいた。
──だが、ただのキツネとは程遠く、犬や狼と見紛う程の大きさで、猛禽類のような爪と狼のような牙で監視者31番へと襲いかかる。
『邪魔だ』
31番はキタキツネが落下してくるタイミングにピタリと合わせて、マチェットを斜めに振り上げた。
『ンギャァァァァァッーーー!!』
キツネは血を撒き散らし、絶叫とともに草の中へと落ちていった。
スピードを緩めず、そのまま道路へと抜け出る。
目指すは農業高校。
緩やかなカーブを抜けると、前方に件の鹿の姿があった。
『いた』
31番は速度を落とし、道路沿いの電柱に身を潜める。
足音を殺して静かに距離を詰めていく。
鹿との距離が30メートルを切ったところで、鹿が立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
そして──
まっすぐに電柱を見つめてくる。
雲の切れ間から差す月明かりが、鹿の姿を浮かび上がらせた。
その角は、血で赤く染まっていた。
『ブゥゥゥン…』
赤角が鼻を鳴らす。
31番は通話ボタンを押し、本部と接続する。
『31番より本部。応答願う』
『本部、どうぞ』
『B-6-18付近で赤角を確認。大型個体。コロニーまで1.9km。こちらを認識しているが、退避行動なし』
『了解。銃火器および音響兵器の使用は引き続き禁止』
『…了解。零子解放および識紋使用を申請する』
『司令部に照会中……
……識紋使用、10分間の限定許可。ロック解除は17時47分21秒より有効。制圧せよ』
『了解。制圧に移行する。31番、これにて』
31番は電柱の影から赤角の前に姿を現した。
その横目に建物の配置と死角を確認する。
『ここなら、目撃者はいないな』
月明かりが赤角と監視者の姿を鮮明に映し出す。
鹿は鼻息を荒げながら頭を振り、角を監視者に向けて臨戦態勢をとった。
赤角はその角を低く構えても、2mは下らない異様な体高であり、2本の角は根本から先端にかけていくつも歪に枝分かれしている。
それは鹿の角とは到底思えない、明確な殺意を持った形をしていた。
──ガガガコッ!
蹄を激しく鳴らしながら赤角が突進をはじめた。
角を低く構え、凄まじい速さで迫ってくる。
31番も同時に深く深く身を落としながら走り出す。
赤角との間合いが見る見るうちに縮んでいく。
角が目前に迫った瞬間、スライディングで地面を滑り、角をギリギリでかわしながら、すれ違いざまに首元を斬りつけた。
『グァァァンッ!』
赤角は姿勢を崩し、たまらず前足をひざまずいた。
しかし傷は浅く、出血もごく僅かだった。
『チッ…!零子による身体強化か』
31番はスライディングの勢いそのままに立ち上がると、ひざまずいたままの赤角の後ろ脚を斬りつけようと迫る。
『バルルルルルルンッ!』
それを見計らっていたかのように、赤角は大きな鼻息を撒き散らして後ろ脚の蹄を鋭く蹴り上げた。
ガキィィィィィン!
31番は咄嗟にマチェットを横に立てて蹄をガードするものの、鋭く重い一撃に両腕は耐え切れず、身体ごと後ろに仰け反り飛ばされた。
『はぁ…はぁ…こいつ俺の攻撃を見切りやがったな…』
マチェットを持つ両手は、少しでも力を抜けば落としてしまいそうな程、ガード時の衝撃でビリビリと震えている。
『こっちも身体強化だけで倒せると思ってたんだがな…やはりあれを使うしかないか…』
31番は呼吸を整えると、おもむろに左手を前に突き出す。
『…冥土の土産だ、よく見ておけ』
───その瞬間、左の手のひらに淡く赤く光る幾何学紋様が円を描きながらゆっくりと浮かび上がった。
赤角はしばらくの間その光景を見つめると、やがて姿勢を立て直し、今度は頭を上下左右に激しく揺らしながら、再度突進を繰り出す。
31番は一歩も動かずその場に立ち、左の手のひらに浮かび上がった紋様を赤角にかざし続けている。
(…身体中を流れる生体電位。その一つ一つを手のひらに集中し、増幅し、あの鹿に一気に放電するイメージ…)
31番の左手は、そのイメージ通りにバチバチッと音を立てて帯電し始めた。
赤角はそのままスピードをぐんぐんと上げながら猛烈な勢いで角を向けて突っ込んでくる。
赤角が目前に迫り来るその時、31番はその場に深く屈んで勢いよく上へと飛び上がった。
そのまま宙返りするように身体を捻らせ、左手を赤角に目掛けて振り下ろす。
────『生体電位増幅放電!』────
──バヂヂヂヂヂッ!!
左手から放たれた青白い電流が赤角を直撃した。
その瞬間、強烈な閃光が夜を切り裂く。
赤角は声も上げず、その場に崩れ落ち、痙攣している。
『…タフだな。悲鳴を上げなかったのは褒めてやる』
着地した31番は、右手のマチェットに左手の識紋を重ねた。
(…材質は1095炭素鋼。熱処理後に研削、黒染めの表面処理が施されている。この性能を零子によって強化…更に刃に超音波振動を付与する…)
やがて刃全体が淡く光り、小さく「キーン」と鳴くように振動を始めた。
まるで識紋と刃が共鳴しているかのように。
痙攣したまま立ち上がれない赤角に、31番は静かに近づいた。
────『超音波振動山刀刃…!』────
硬くなった毛皮や筋組織をユートピアポイント破り、刃が心臓を貫いた。
──赤角はそのまま地面へ横たわり、二度と動く事はなかった。
マチェットの血を振り払い、通話ボタンを押す。
『こちら31番。覚醒生物の制圧、完了』
『了解。おめでとう。今回の任務遂行にあたり、司令部よりユートピアポイントの加算があるとの事だ。現場処理を怠るな』
『了解。サイズがデカい。識紋なしでは刃も通らん。残り時間で解体に移る』
『残り時間428秒。警告音前に終わらせろ』
通信を切ると、31番は手早く解体に取りかかった。
残り数十秒で解体完了。
『…なんとか間に合ったな』
マチェットの光が消える。
同時に襲う疲労感。両手は震えていた。
道路の縁石にゆっくりと腰掛け、タバコに火を点ける。
『ふぅー…』
煙が、夜空へ溶けていく。
そのすぐ横を、光のオーブのような球体がふわりと通り過ぎたが──
監視者31番は気づかなかった。
『本部より通達。H-22観測域にて例の零子反応あり。確認を』
『…了解』
──同時刻、コロニー
『ん?今、なんか光った?』
浩平が廊下のカーテンの隙間から外を見る。
『どうした?』
隣を歩く裕太が声をかけた。
『あー…いや、気のせいだったわ』
『…?』
二人はそのまま廊下を進み、教室の扉を開ける。
中では10人程の役職者と、それ以外にも会議を聞きにきた一般の避難民が席に着いていた。
『大体、集まりましたかね』
窓際の席に座った初老の男が声をかける。
『では、はじめましょう』
こうして──
この避難所の未来を左右する重要な会議は、誰かによって秘密裏に守られながら、静かに始まった。
※第6話は近日投稿予定です。
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