第26話 籠の中の議会
その日の夜、農業高校避難所では臨時の会議が急遽開かれた。
前回の市街地物資調達作戦の時よりも多くの避難民が詰めかけ、教室に入りきれない者たちが廊下にまで溢れていた。
「……以上が、外で起きた出来事になります」
浩平が報告を終えると、教室内はたちまち喧騒に包まれた。
「何がどうなってんだ?」
「自衛隊が救助してるのか?」
「ここにも助けが来るってこと?」
「他の避難所は今頃どうなってるんだろう……」
「助けに行かなくていいの!?」
そんな声が教室中で飛び交う。
「あー……皆さん、ひとまず静粛にお願いします」
校長の信介が、よく通る声で制した。教室がひとまず静まりを取り戻す。
「消えた避難民に、消されたメッセージ、ですか……。その避難所は、本当に荒らされた形跡もなく空だったんですか?」
忠司が前のめりになって訊いた。
「はい。多少は散らかってましたが……というか、生活感がそのまま残ってたんです。だからこそ、全員で一斉にどこかに移動したんじゃないかって思ったんです」
浩平が答える。
「うーん……。やはり自衛隊あたりが動いて避難誘導をしているのか。となれば、ここに来るのも時間の問題ということに……」
忠司は椅子に寄りかかり、腕組みをして考え込んだ。
「保育園で救助した男の子の身元は分かったんですか?」
信介が忠司に尋ねた。
「ああ、それは幸さんに避難民への聞き取りをお願いしてます。保育所に誘導された住民の名簿はありますが、実際にはその数倍の人が集まってたみたいなので、特定は難しいかと……」
忠司が手元の資料に目を落としながら話す。
「小さい子のいる親御さんや子供たちにも直接、保健室であの子の顔を見てもらったけど……残念ながら、知ってる人はいなかったわ」
幸が少し沈んだ表情で報告した。
「そうですか……。意識が戻り次第、本人に確認するしかありませんね」
信介がそう締めくくったとき、数名が入口から人混みを掻き分けて教室に入ってきた。
「千葉先生……どうでしたか、皆さんの容態は?」
それは避難所に駐在していたDMATチームのメンバーだった。しかし、誰もが浮かない表情を浮かべている。
「……裕太さんに関しては、脳震盪と全身打撲。加えて、左第十一・十二肋骨付近の骨折ないしヒビの疑い、左肘関節の骨折、左肩の亜脱臼。現状で致命的な内臓損傷は疑われない為、安静と保存療法で何とかなります。ただ……問題なのは彰宏さんとあの男の子です」
健太はそのまま続けた。
「まず彰宏さんですが、カラスの群れに襲われた際の傷が、すでに感染を起こしかけています。止血はしましたが、軟膏の塗布だけでは追いつかない。破傷風も心配ですが、このまま悪化すれば細菌感染から敗血症に至る恐れがある。そうなれば、この医療設備ではもう手の施しようがありません。現在、ストックの抗生剤と抗菌薬を点滴で投与していますが、それすら使い果たせば内服に頼るしかない。しかしその備蓄にも限りがあります。全てを使い切れば、今後、他の避難民への治療にも支障が出ます」
一拍おいて、健太は声を落とした。
「そしてあの男の子ですが……状態は非常に悪い。
低体温症に、極度の脱水と低栄養状態です。
本来であれば、体温管理を行いながら、電解質を厳密に管理した段階的な補液と栄養投与が必要になります。
下手に通常の点滴や栄養を入れてしまうと、かえって急激な電解質異常を起こし、命に関わる状態になる可能性があります。
しかし、現状の設備では血液検査も出来ず、電解質バランスを確認する手段もなく、いざという時の高カロリー輸液もありません。
正直に言って……今の環境では、非常に難しい状況です。」
健太の診断に、教室は重苦しい沈黙に包まれた。
「……やはり、早急に物資を調達しに行かなければならないと……そういうことですね」
信介が、重い空気の中で口を開いた。
「ええ。早ければ早いに越したことはありません。時間が経つほど、助かる見込みは下がり続けます」
再び、沈黙が教室を覆った。
「……本当に行くんですか。市街地に」
沈黙を破ったのは、中川淳史──三十八歳、小柄な現役警察官だった。太陽フレア発生時、市街地で避難誘導や野生動物の対応に追われ続けた男だ。
恐る恐る上げたその声は震えていて、視線は誰とも合わず、足元に落ちたままだった。
「ただでさえ近づいただけでこんな目に遭ってるのに……。市街地の、ましてや中心部まで行ったら、それこそどうなるか……」
「ちょっと……あんた、自分の立場分かってるの? どう考えても今は人命優先でしょう!?」
隣に座っていた幸が、驚きと困惑と怒りの入り混じった表情で食いかかった。
「幸さんは現場にいなかったから分からないんですよ!」
淳史は堪えきれず椅子から立ち上がった。
「俺たち現場の警官がどんな目に遭ったか! 毎日毎日、家を回って避難誘導して! 言うこと聞かずに残った住民が出歩くたびに襲われて! その後片付けまでやらされて! 言うこと聞かないやつのせいで、何度も危ない目に遭った! 連絡が取れなくなった同僚だって何人もいる! 目の前で襲われる瞬間だって見た! もう懲り懲りなんですよ、あんなのは!」
それを見て幸も立ち上がった。
「またその話!? 今はそれとこれとは関係ないでしょう!? その時とは状況が違うの!」
「違いませんよ! 裕太さんが倒れて、今度は誰がその代わりをやるんですか!? どうせ俺にやれって言うんでしょう!? もう嫌なんですよ! ここに来た時、俺はもう警官を辞めるって言ったじゃないですか! 世の中はとっくに終わってるのに、いつまで命を張らなきゃいけないんですか!?」
「あんたねぇ──!」
「二人とも! 落ち着いてください!!」
止まる気配のない二人の口論を、信介の大声が断ち切った。
「淳史さん。お気持ちは十分に分かります。これ以上あなたに、無理やりあんな事はさせません」
信介は声を落として、静かに、しかし真っ直ぐに淳史の目を見た。
「ですが──あなたは世の中が終わっていると言いました。しかし現に、どこかの機関が避難誘導をした形跡がある。まだ希望はあるんです。ここでみんなで生きてさえいれば、いつか救助の手が届くかもしれない。どうかそれまで、自暴自棄にだけはならないでいただきたい。あなた方に救われた人も大勢いるはずです。辛く、過酷な仕事だったと思います。ですが、どうかそれだけは忘れないでください」
「……すいません、取り乱しました」
淳史は信介の言葉に次第に我を取り戻し、ゆっくりと腰を下ろした。だが幸とは視線を合わせられず、俯いたまま続けた。
「……でも本当に、助けなんて来るんでしょうか」
「分かりません」
信介は即答した。
「ですが、このまま何もせず、どこへも行かずに冬を越せるほど、現実は甘くありません」
信介は隣に座る忠司に目配せした。
「はい……。事実として、いずれかの機関が避難民の救助、あるいは集約を行っている可能性は高いです。それが自衛隊の基地なのか、どこかの施設なのかは不明ですが、まとまった人数を守れるだけの設備があるのかもしれない。しかし、肝心の救助がいつ来るのかが最大の問題です」
忠司は一度言葉を切り、教室を見回してから続けた。
「闇雲に外へ出て当てもなく助けを乞うのは危険すぎる。しかし、真冬になれば高校の設備では対処しきれません。井戸水の凍結防止やボイラーの稼働には発電機が足りず、浄化槽の管理にも限界がある。医療品は不足し、防寒着も寝具もまだまだ足りていない。このまま救助を待つだけでは──いずれ、凍死者と病人でこの避難所は溢れかえります。そうなる前に、危険を承知で外に出る必要があるんです」
忠司の言葉は、避難所が置かれた現実を正確に言い表していた。
救助を待つ間に死者と病人で溢れるか。
危険を承知で外に出て、生き延びる備えをするか。
避難民たちは、その選択を突きつけられていた。
「……もっと早くに動いていれば、こんな事にはならなかったんじゃないですか」
淳史が俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「……それに関しては、返す言葉もありません」
忠司は険しい表情のまま、その場で避難民全体に向けて深く頭を下げた。
「それについては、誰か一人の責任ではありません」
信介が穏やかに、だが芯の通った声で言った。
「今さら誰かを糾弾しても、何の解決にもなりません。我々にできるのは、全員で生き残るために今できることをやる──それだけです。そして今まさに、二人の人間が死の淵に立たされている。それを見過ごしてしまったら、『全員で生き残って救助を待つ』という目標も、ただの綺麗事に終わってしまうとは思いませんか」
「それは……確かに、そうかもしれません」
淳史は信介の言葉に思わず顔を上げた。しばらく考えた後、口を開いた。
「……お騒がせしてすいませんでした。やっぱり、ここにいても埒があきません。全員で自暴自棄になっても仕方ない──そんなのは、俺一人で十分です」
それから少し間を置いて、
「ただ、市街地へ行く護衛の件は……もう少しだけ考えさせてください。俺や幸さんの他にも、この場に出ていない警察官もいます。誰が行くべきか、仲間と相談する時間をいただきたい」
淳史の言葉に、幸はただ深く頷いた。
「……分かりました。それでは──市街地中心部への物資調達作戦。リスクを最小限に抑え、最大限のリターンを回収するための方法とメンバーを、これから決めましょう」
信介の言葉に、教室に集まった避難民たちはそれぞれ静かに、深く頷いた。
─────
農業高校から200メートル程離れた廃倉庫。
一人の男が雪を被りながら屋根の上に伏せていた。
『監視者103番。交代前定時報告の時間です』
耳に当てたイヤーピースから、ノイズ混じりの無線が入った。
103番は緊張した表情でイヤーピースの通話ボタンを押す。
『こ…こちら103番。只今、当該モデルコロニーにて会議が進行中。現在、盗聴による傍受を実施中です』
『了解。現時点での内容は』
『正午過ぎに行われた軽トラによる市街地郊外への遠征にて、避難民二名が負傷。また、ヒグマに占拠されていた保育園避難所より男児一名を救出。この三名の治療、および越冬に向けた準備のため、市街地中心部への物資調達作戦を画策中の模様です』
『了解。エリアB-3-0、公民館避難所の一般住民の回収について──悟られた形跡は』
『ほ…報告によれば、ホワイトボードに消された痕跡のあるメッセージを発見した模様。ただし、いずれかの国家機関による救助が行われたものと認識しているようです…』
『了解。任務交代後に当該公民館へ赴き、現状を確認の上、再度証拠を隠滅せよ』
『りょ……了解。あの……この件に関して……ペナルティは……?』
『…現在、ユートピアAIによる103番の信用スコアの再判定中だ。詳細は全任務終了後、本部帰還時にまとめて通達する。くれぐれも気を抜くなよ』
『了解……』
『加えて──現状の外部覚醒者の状況について報告せよ』
『了解…ヒトロクゴーマルの報告のとおり、モデルコロニー民・小林裕太において、識紋の出現ならびに世界干渉を確認。当該モデルコロニーにおいては初の外部覚醒者となります。現象は銃火器を介した車両爆発。その際、目視にて例の零子による何らかの影響を確認。詳細は不明。爆発により本人が負傷し、モデルコロニー帰還後に医師の治療を受けた模様。詳細はノイズが多く聞き取れませんでした…』
『了解。交代が来るまで引き続き盗聴を継続せよ』
『了解……これにて──』
通信が途切れると、103番は大きく息を吐いた。
「初任務早々やらかした……信用スコア、下がってないといいけど……」
独り言が口をついて出る。だがその直後、はっとして首元のチョーカーに手を触れた。
「あっ……! 今のは何でもない! 何でもないです……」
慌てて取り繕ったものの、またやってしまったと気づいて、もう一度深い溜め息をつく。
そして103番は、再び息を殺して盗聴を続けた。




