第25話 遠い警笛
「直樹くん、遅いな……」
葵は食堂の窓から外を眺めていた。
太陽が沈んだ世界は、刻一刻と闇に呑まれていく。昼間とはまるで別の顔だった。
───「暗くなる前には戻るから!」
そう言い残して出ていった直樹たちは、まだ帰らない。その事実が、暗闇への恐怖をいっそう深くしていた。
「まだ帰ってこねぇか、あいつら……」
背後から、克俊の低い声が響いた。
「はい……。大丈夫ですよね? 裕太さんもいますし……」
葵は振り返り、少し俯いて呟いた。
「うーん……あいつらが出てってから、どれくらい経った?」
「えーっと……三時間くらい、ですかね」
葵は壁掛けの時計に目をやった。
「三時間か……」
克俊は防寒着のポケットに両手を突っ込んだまま窓の前に立ち、外の闇をじっと見つめた。
「何か、あったんでしょうか……」
葵も並んで立ち、不安そうに呟く。
克俊はそれに気づくと、険しい表情のまま頭をがりがりと掻いた。
「もし戻らなかった場合のこと……考えてなかったよな」
「え……?」
葵の表情が一段と翳る。
克俊はそう言うなり、足早にその場を離れようとした。
「あの……どこ行くんですか?」
「校長んとこだよ。最悪のケースが起きた時のこと、何も決めてなかったからな」
克俊は歩みを止めずに言った。
「最悪の、ケースって……」
葵は何か言いかけたが、それ以上を口にするのが怖くなり、唇を結んだ。
その時だった。
ピーッ!
窓の向こうから、微かに車のクラクションが聞こえた。
「あっ……!」
葵はすぐに窓を開け放った。凍てつく外気が一気に食堂内へ吹き込み、中にいた避難民たちが一斉に窓の方を振り向いた。
葵は寒さに身を震わせたが、人目も構わず窓枠から身を乗り出して耳を澄ませた。
……ピーッ!……ピーッ、ピーッ、ピーッ!
窓を開けたことで、それはより鮮明に聞こえた。
姿はまだ見えない。だがクラクションは確かにこちらへ近づいてくる。
しかし、その音は帰還を知らせる合図にしてはあまりにも切迫していて、暗闇にこだまする悲鳴のように、聞く者の不安を掻き立てた。
「帰ってきた……のかな。でも、なんか様子が……」
葵がぽつりと呟く。
背後には、外の異変を察して集まった避難民たちと、いつの間にか戻ってきた克俊が立っていた。幾度となく鳴らされるクラクションに、その表情は依然として険しい。
「あいつら……」
克俊はそう呟くと、食堂にいた若い男たちに向かって声を張り上げた。
「おいお前ら、玄関まで行くぞ! なんか様子がおかしい! 念のため武器持っとけよ!」
男たちは食事の手を止め、慌てて克俊の後を追った。
それを見て葵は窓をバタンと閉め、後に続くように食堂を飛び出した。
───
克俊たちが玄関に着く頃には、クラクションの音を聞きつけた避難民たちが玄関ホールや外に人だかりを作っていた。
「おーい! 帰ってきたか!?」
克俊が若手を引き連れて走りながら声を掛ける。
「まだ! でも、もうすぐみたい!」
玄関から外の様子を見ていた幸が応えた。
玄関の外に出ると、クラクションは食堂で聞いた時よりもずっと大きく、はっきりと鳴り続けていた。何かを必死に伝えようとするように、何度も何度も。
「女子供は下がってろ! 獣に追いかけられてるのかもしれねぇ!」
克俊は女性や子供たちを玄関ホールの奥まで下がらせると、男たちに武器を持つよう指示し、十名ほどの即席の迎撃隊を編成して玄関の外に展開した。
懐中電灯や松明の灯りが、校舎やバリケードの向こうの暗闇をぼんやりと照らし出す。
……ォォォォン……ブォォォォォッ!
エンジン音が響いた瞬間、バリケードの向こう側を走る軽トラの影を、懐中電灯の光がかすかに捉えた。
「来た!!」
誰かが思わず叫んだ。
ヘッドライトは点けず、ハザードだけを点滅させ、クラクションを鳴らしながら猛スピードで突っ込んでくる。その異様な姿に、迎撃隊は思わずたじろいだ。
「おい! 二階のあんた! 軽トラの後ろ、何か追いかけてきてっか!?」
克俊が、二階の教室の窓から外を見ていた避難民に向かって叫んだ。
「えっ!? えーっと……うーん……特に何も追いかけてこないみたいですけど!?」
避難民は懐中電灯で軽トラの後方を照らしながら、戸惑い気味に叫び返した。
「はぁ!? じゃあ何だっつうんだよ、このクラクションは!」
追跡者がいないと知り一瞬安堵したものの、この尋常ではない戻り方に克俊たちの困惑は消えなかった。
「おーーい!! みんなーー!!」
軽トラの荷台から、聞き慣れた声。直樹だった。
クラクションの音に集まった避難民たちの姿を見て、どこか安堵したのだろう。その目に、うっすらと涙が滲んでいた。
「直樹!! どうした!?」
克俊がさらに声を張り上げる。
「早く千葉先生を呼んできてください!!」
「千葉先生!?」
その言葉に、克俊たちの表情が凍った。
軽トラはそのままの勢いで校舎前を駆け抜け、玄関の前で急減速して止まった。
克俊たちが一斉に車を取り囲んだ。玄関の中にいた幸や葵たち他の避難民も、堰を切ったように外へ飛び出してくる。
「なんだこりゃ!? 何があった!?」
「この子誰!? どこから連れてきたの!?」
荷台を覗き込んだ克俊と幸が、それぞれ声を上げた。
「詳しい話は後で! 早く医者に診せないと!」
「おう! お前ら、手分けして保健室まで運ぶぞ! グズグズしてんじゃねぇ、早くだ!」
克俊はその場で的確に指示を飛ばし、裕太たち負傷者は次々と保健室へ運ばれていった。




