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第23話 一か八か

裕太は羆から一瞬だけ視線を外すと、鼻を刺したガソリンの匂いの出どころを横目で探った。


園庭に停められている車を、一列、一台ずつ順に確認していく。


 


『……!!』


 


そして一台、車体の下が不自然に湿り、水溜りになっている車を見つけた。


その場所は、先程――

彰宏をカラスの群れから救い出した、まさにその地点だった。


流れ弾か、跳弾か。

いずれにせよ、散弾の一部が燃料タンクをかすめ、地面にガソリンが滴っている。


ただし、今いる場所からは距離があり、量も僅かだ。


裕太は小さく息を吐き、再び羆へと視線を戻した。


今度は、その周囲を見据える。


そして――

一つの考えが、脳裏をよぎった。


 


『浩平……そこの黒のミニバンの燃料タンク、どこにある……?』


 


『……はぁ!? なんだよ、こんな時に……!』


 


『いいから早く教えろ!!』


 


『……大抵はトランクの下あたりだと思うけど……

……って、お前……!!』


 


浩平は訝しみながらも答え、すぐに裕太の意図を察した。


 


『……あぁ……一か八か……これに賭けるしかねぇ……』


 


裕太は猟銃を強く握りしめ、指先で慎重にセーフティを解除する。


 


カチッ……


 


ほんの僅かな金属音。


だが、羆はそれを聞き逃さなかった。


耳がピクリと動き、その音が猟銃から発せられたものだと悟った瞬間――


 


『……ヴゥゥゥ……』


 


地鳴りのような唸り声を上げ、ゆっくりと立ち上がる。


仁王立ちになった羆が、威嚇するようにその場に君臨した。


 


『……で、でけぇ……』


 


直樹は寒さと恐怖で顎が震え、歯がカチカチと鳴る。


直立した羆の高さは、保育園の軒先に達していた。


殺意を宿した眼に見下ろされ、

遮るもののない園庭という閉ざされた空間で、

捕食される恐怖を、本能が容赦なく呼び覚ます。


 


『……くっ……』


 


彰宏の男の子を抱える両手に、反射的に力がこもった。


今にも襲いかかりそうな羆。

今にも走り出しそうな彰宏の背中。


どちらが先に動くかは、もはや時間の問題だった。


 


『無理だっつーの!

燃料タンク撃っても爆発なんてしねぇ!

あんなの映画やゲームの中の話だろ!!』


 


浩平は裕太を制するように、必死に声を張る。


 


『……んなことは分かってんだよ!

それでも全員が助かるには、もうこれしかねぇんだ!!』


 


『ゆ……裕太……』


 


裕太の剣幕に、浩平はそれ以上言葉を失った。


 


『へっ……結局、誰から殺られるかなんて分かんねぇんだよ……』


 


裕太はわずかに冷静さを取り戻し、不敵に笑う。


 


『彰宏さんがフェンスに向かって走ったところで、羆が追うかどうかも分からない……


俺から殺されりゃ、その時点で全滅だ。


直樹一人が生き残っても、軽トラ運転できねぇしな……』


 


『……す、すいません……役に立たなくて……』


 


直樹は冗談だと分かっていても、いつものように言い返す余裕はなかった。


 


『……せめてオートマだったらな。

生きて帰ったら……運転の仕方、教えてやるよ』


 


浩平は、直樹の自責を察し、静かに声をかける。


 


『彰宏さん……最後に一回だけ、俺にチャンスを下さい』


 


裕太は、震える彰宏の背中に語りかけた。


 


『……ど、どうする気ですか……?』


 


彰宏は羆から目を逸らさず、横顔だけで応じる。


 


『そこの黒のミニバンの燃料タンクを撃ちます。

俺が合図を出したら、軽トラまで全力で逃げて下さい』


 


『!!……で、でも、それは無理だって……』


 


『……それでも、全員が助かるにはこれしかない』


 


『このまま誰かを犠牲にして生き残っても……

俺たちは一生後悔する』


 


『それは……そうかもしれませんが……

こうなったのは、俺のせいなんですよ……』


 


『そんなことない!』


 


裕太は、はっきりと言い切った。


 


『確かに羆に見つかった……

でも、その子を見つけることができたじゃないですか!』


 


『だったら俺たちがやるべき事は……

その子を連れて、全員で生きて帰ることじゃないですか……?』


 


浩平と直樹は、無言で頷いた。


 


『……車が爆発しなくても、

誰が死んで誰が生き残っても……

その時は恨みっこなしだ』


 


浩平は腹を括り、羆を真っ直ぐに見上げる。


 


『……もう、やるしかないっすね……』


 


直樹も遅れて覚悟を決め、静かに身構えた。


 


『みなさん……ありがとうございます……』


 


彰宏は声を詰まらせながら、背中を向けたまま深く頷いた。


男の子を胸に抱き寄せ、震える両足を開き、地面を踏みしめる。


 


保育園に差し込んでいた夕陽の帯が、

次第に細く、薄く、しぼむように消えていく。


車体や窓ガラスに反射していた光が、一斉に失われたその瞬間――


 


『……走れ!!』


 


裕太の叫びが、園庭に響き渡った。


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