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第2章

 純哉は昨年の暮れまで東京に住んでいた。地元の高校を卒業し、二年浪人して、二十歳のときに上京した。目的は東京でバンドを組むことだった。上京することを伝えたとき、家族から猛烈に反対された。二年浪人して東京に行ってバンドやるなんて話があるか、父のその言葉は正論だった。正論だけに猛反発した。姉の絵美は、「アンタ、バカじゃないの」と言い、汚いものを見るような目で純哉を見た。そんな中、応援してくれたのは母だけだった。


「純哉がやりたいようにやるのがいいと思う」


 普段口数の少ない母が、夕食の食卓で何の前触れもなく突然そう言って家族を驚かせた。

 結局最後はケンカ別れのように家を飛び出し、高校の先輩を頼って上京した。格安航空券を買って残った所持金は、札入れに一万円札で七枚、小銭入れには五百円玉が一枚と十円玉が四枚、あと一円玉が八枚、合計七万五百四十八円也。浪人中にやっていたファミレスのアルバイトで稼ぎ、パチスロですって、何とか残ったお金だった。


 純哉は空港のレストランで財布の中を覗きため息をついて、割高なハンバーガーにかぶりついた。レストランを出てからは、出発ロビーで雑誌を読んだり、音楽を聴いたりしながら出発時刻を待った。

 雑誌にも音楽にも飽きてしまうとやることが無くなった。あきらめて形式的に荷物を整理していると、覚えのない封筒が出てきた。開けてみると中には、一万円札が三枚と便箋が一枚入っていた。「いつでも帰っておいで。がんばってね」、便箋にはそう書かれていた。母からだった。「いつの間に入れたんだろう」、純哉の胸は少しだけジンと熱くなった。思い返せば、いつも母は純哉の味方だった。でも純哉はそんなこと、これまで意識したこともなかったし、具体的に感謝すらしたことも無かった。「手でも握ってから出てくればよかったな」、純哉はそんなことを思いながら目に微かな涙を浮かべた。



 理想と現実、それはほとんどの場合大きくかけ離れているもの。


 上京後、純哉はバンドを組むどころか生きていくのに精一杯だった。高校時代、硬派で通っていた先輩は東京で変貌を遂げていた。空手でインターハイにまで出場した坊主頭だった先輩は、なんだかファッション雑誌にでも出てきそうなくらいソフトな感じになっており、元々もてるタイプではあったのだが、また別種のもてかたをするようになっていた。いわゆる“スポーツマン的”なもて方から“ホスト的”なもて方にシフトしていたわけだ。

 先輩はしょっちゅう違う女を部屋に連れ込み、純哉がいようがいまいがおかまいなしに『プレイ』した。先輩の家は広めの1LDKで、純哉はリビングに寝かせてもらっていたのだが、先輩は開放的な人で、ドアを開けたまま『プレイ』するものだから、最中の声は純哉のところまで響き渡った。壁や天井や床が防音構造になっていたので、その響き方はアリーナクラスだった。起きていれば先輩が女を連れて帰って来たのとすれ違うように出ていくこともできたが、プレイボールの段階で運悪く布団に入った状態だと、寝室横にあるトイレにも行けず、布団の中で体育座りの姿勢で横になったまま固まっているしかなかった。先輩は「気にすんな」と言ったが、純哉は「気にしないなんてお坊さんでも無理だ」と思っていた。そんな生活から一日でも早く脱したくて、朝夕かけもちでバイトして、二ヶ月経たないうちに先輩の家を出ることに成功した。純哉が出ていく朝、先輩はまた見知らぬ女を連れて帰って来た。

「おう、今日だったか。元気でやれよ」

「はい、本当お世話になりました。突然の話だったのに。これ、鍵です」

「ん、まぁ気にすんな」

「安定したら何かお返しします」

「お返し?いいよ、俺じゃなくて誰か他の奴にやってやれよ。あとな、安定待ってたら何もできねぇからとにかく何かやれ。んじゃな」

そう言って先輩はドアを閉めた。先輩の言ったことはよく分からなかったが、純哉はドアに向かってもう一度お礼をしてその場を去った。そして純哉が階段を下りきったとき、先輩は太陽の降り注ぐマンションの中でプレイボールしていた。

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