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死臭女神  作者: 駿河留守
2章 -死臭女神-
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女神の香り-1

 時刻は午前8時半。西側には遠目でうっすらと山々が連なる。その山の裏側にそびえ立つ山脈にはうっすらと雪化粧が見受けられる。その山脈から吹き降ろされる強い冷たい西風に前髪が大きく乱れる。目にかかった髪だけを掻き分けて西側の山脈を見上げる。伊吹おろしという風だと成木からは聞いている。岐阜県と滋賀県の県境にそびえ立つ伊吹山という山から吹き降ろされる風のことだ。その風は俺の鼻に雪の香りを運んでくる。俺が降り立った街は岐阜県の中でもそこそこ大きな地方都市で車の行き交いも多い。だが、強い西風がそれをすべて吹き飛ばしてくれる。

「・・・・・ここだったら」

 と俺は呟く。

 俺は水色のカッターシャツに紺色のブレザーに身を包んでいる。これが高校生になって二校目の制服だ。あの事件からちょうど1年過ぎた。成木いわく高校生になった俺の身長も少しだけ伸びたらしい。だが、俺の鼻は相変わらずだ。駅の北口に入っているコンビニのガラスに映る自分の姿を見て改めてため息が出る。今は10月。季節的にマスクをしても問題ない時期にはなったが、一年を通して顔の半分を覆い隠すマスクは欠かせない。そのマスクの下には水の湿ったガーゼとティッシュを丸めて作った鼻栓が隠されている。それでも俺は周囲の臭いを拾ってしまう。

 特に人の臭いには敏感だった。退院後に学校に戻ったが、人の密集する教室に長い時間留まることができなかった。人が持つ体臭が俺にとっては嫌悪感となる臭いだった。化粧や汗や食べ物やシャンプーやリンスやペットの獣の臭いなど多く臭いを身にまとう人というものに俺は嫌悪するようになってしまった。喧嘩が常に耐えなかった。俺は基本的に殴られるほうだ。

 とある女子に対して「臭い、何したらそんなウ○コみたいな臭いになるわけ?」といったらその女子が本気で泣き出してその子が好きな男が本気で俺のことを殴りつけた。病院に入院しているときですらも感じていたものが外の日常生活という空間に出ると不快さがさらに倍増した。そう考えると病院という施設は臭いからして清潔なんだと痛感した。とにかく、俺は臭いというものが不快なのだ。得に口臭だ。俺にとっては人の口の中はいくら歯磨きしていたとしても三角コーナーと変わらない。胃の奥では多くの食べ物が胃酸によって溶けて、発酵した腐敗臭がするのだ。そこにタバコを吸う者はタバコの臭いが、スポーツをするものは汗の臭いが、化粧をするものはファンデーションの臭いが俺にとっての臭いが上乗せされて最上級に不快になる。吐き気がしてしまう。実際にぶちまけたこともある。

 そんなこんなで人のことはどんどん嫌いになっているものの社会にはそれなりに適合しつつある。人間関係の悪さを除けばの話だ。それもこれも成木が紹介したひとりの医者のおかげだ。お香をたくのが好きらしく、線香の独特の煙臭さと甘い臭いに何度も吐き気を催してしまいそうになった。医者いわく精神を安らげる効果のある匂いらしいのだが、それは絶対に嘘だと俺は確信した。そんな医者が俺を社会で過ごせるようにとある治療を施した。それは俺にとっての苦行だったが、そのおかげで今の俺がいる。人の臭いを嗅いで嘔吐するようなこともなくなった。先生の治療は免疫療法というものだ。あえて、自分の苦手な不快な臭いを嗅ぐことで体にその臭いを慣れさせるという荒療治だ。事実、そのおかげで俺は普通の人と変わらない生活を送れるようになった。それでも、臭いから来る人への嫌悪は消えたりはしない。

 ショルダーバックを肩にかけて駅前の道を歩くこと10分。俺の新しい高校が見えてきた。

 先生のおかげで臭いに対する体への異常はすぐに出るようなことはなくなったものの臭いを感じなくなったわけじゃない。臭いに関する人とのいざこざが絶えない。喧嘩もした。学校が俺に下したのは退学だった。いや、退学を勧めたのだ。成績もそれなりに優秀で、親がいないため奨学金を貰って学校生活を送る傍から見ればまじめな高校生だが、俺の問題発言に学校側は手に負えないと俺を追い出そうとした。そのことを成木に相談すると今向かっている高校の理事長の息子が知り合いだから、そこに編入してもらおうということになった。場所は西風が常に強く吹き付けて俺の不快な臭いを吹き飛ばしてくれるだろうと最適な立地だった。

 編入試験も無難に合格して奨学金も継続して受け取れることも分かり生活面にはほとんど問題ない。後は臭いくらいだ。

 新しい高校はアメリカンスタイルなのか下駄箱というものがなく土足で学校中を歩き回ることができる。一部、体育館と武道場を除くがそれ以外は靴で歩き回れるというのが少し斬新な高校だ。だが、下駄箱にラブレターが入っているのを毎日ドキドキしながら確認するという青春の一コマが演出できないことが少し寂しい。

 登校したら職員室によってくれといわれているので本館の1階にあるという職員室前にやってきた。中に入るとむっとする汗による湿気の臭いとカビの胞子の臭いと紙の乾いた臭いと微かに臭うのは俺が嫌いなタバコの臭いだ。その臭いの壁に足が一瞬前に出なかったが押し進める。

 名前を告げると分かっていたかのように黄土色の綿が見えてしまっている使い古された平成○年卒業生贈呈品と書かれたパイプいすが用意されてそこに座って待って欲しいといわれて、担任を呼びに言った。職員室の窓は天井に近いところに細い窓があるだけで窓はない。壁には本棚などでいっぱいになっている。こんな臭いが密閉されているところに長く留まりたいとは思わない。鼻の中にまでカビが生えてしまいそうだ。鼻が雑巾を絞られているみたいにねじれそうだ。

 そんな中でタバコの臭いが接近しているのが分かった。薄っぺらい顔で特徴なく、印象うすの若い男の先生が接近していた。俺と目が合うと手を上げた。どうやら、あれが俺の担任の先生のようだ。タバコ吸ってるのかよって舌打ちをしたくなる。さらに厄介なのが、そのタバコの臭いをごまかすためかミントの臭いがする。その消臭の仕方は俺が一番嫌いだ。ふたつの臭いが混合して異臭になる。気持ち悪い。

「えっと、君が犬山くんか?」

「はい。犬山です」

 なるべく鼻に空気を入れないように意識したせいで堅苦しく裏返った声がでた。何か変だと感じて首を傾げたが得に問い詰めることはない。

「担任の井東だ」

 と軽く自己紹介をするとついておいでと声を掛ける。ショルダーバックを手にとって地獄の職員室を出ると外の空気が心地よかった。こんな職員室に二度と入るものかと心に誓って先生の後追う。

 後追うとタバコの臭いとミントの臭いが俺の鼻に入ってくる。気持ち悪い。

 特にタバコの臭いは嫌いだ。なぜ、煙を吸うのか分からない。タバコの箱にはあなたの体を害して早死にするかもしれないけど、うちは責任取りません的な恐ろしいことが書かれているのにもかかわらず吸い続ける奴はバカなんじゃないかって思う。体に悪いし、臭いし。

「なぁ、犬山」

「は、はい」

 階段を上っているときだ。

「お前風邪か?マスクしてるし。教室の自己紹介のときくらいは外せよ」

 外せば俺の人格が崩壊する。そう、これは俺が社会に適合するための嗅覚をある程度封印するための道具なのだ。これを外せば、どうなるか・・・・・この高校での生活が幕を空ける前に終わる。

「これはファッションなんで外せないです」

「・・・・・ファッション?」

「井東先生は知らないんですか?今、マスク男子ってはやっているんですよ?」

「マジでか!それは知らなかった」

 大嘘だよ。

 このマスクを外せって言われても俺は意地でも外す気はない。メガネをしている人は視力が悪いから仕方なしにメガネをしている。メガネがなければ、日常生活に支障が出るように俺もマスクがなくなれば日常生活に支障が出る。だから、意地でも外さない。メガネが体の一部だって言う人がいるようにマスクは俺にとっての体の一部だ。

「ここだ」

 階段で二階に上がってすぐの教室の前で井東先生の足が止まる。1-1。ここが俺の新しい教室のようだ。中からは騒がしい声が聞こえる。同時に人の密集したときに感じる汗による湿気の臭い。これ以上に不快なものはない。胃袋から今食道を通って逆流してきそうな今朝食べたトーストを必死にこらえて息を飲む。

 井東先生が勢いよく音を立てて空気を読めていない感じで教室の中へとずかずかと入る。その音に自由に騒いでいた生徒が黙って自分の席へと移動を始める。先生に振り返られて付いて来いと言われんばかりに中に入ると、その目線が一斉に俺のほうへと向く。興味を示すその視線から逃れようにも隠れるところはない。

「今日は転校生の紹介だ」

 そわそわとしているのは女子。教卓から2列目の中央にいる女子が俺の顔を見てひそひそと近いところに女子同士で何かを話している。何を話しているのかは知らないが、朝飯に納豆食べただろ。臭い。口臭ケアを怠るな。

「ほら、自己紹介。黒板に名前」

「は、はい」

 言われるがままに犬山賢治と書いて。

「犬山です。よろしく」

 何も面白みのないあいさつをすると教室のほぼ中央に座る男子生徒が突然立ち上がる。そいつはまるでジャガイモみたいな坊主頭をした元気以外取り得がなさそうな如何にもスポーツマンといった雰囲気を持っていた。

「どこから来たん!」

「え?」

 唐突に何を言い出すんだよ。どこから来ただ?ここは適当にボケるところなのか?だが、俺にはとっさにボケられるほどのコミュ力はないぞ。後、汗臭い。男臭い。それ以上動くな。臭いが舞う。

波羅(はら)。そんなものはHR終わった後にしろ。状況を考えろ、バカか」

 おい、先生が生徒をそんな簡単にバカ呼ばわりして言いのか!

「はーい」

 素直にバカであることを認めたぞ!

 教室内に笑いが起こる。どうやら、あの波羅くんがこのクラスのムードメーカー的な存在のようだ。突拍子もないことを平気で行い、場を和ませることをする立場のようだ。後分かったことといえば、バカな奴だということだ。これ以上関わることはないだろう。つーか、スポーツマンで汗の臭いを常に纏っているような臭い奴と付き合う気なんてない。

「犬山の席は用意してあるから空いた席に座れ」

「分かりました」

 ここで分かりましたという言葉を発するときの注意点を教えておこう。分かりましたといったのならば、分かったということでそれ以上分かったことに関する件は聞く必要ないということ示す言葉である。分かったか?確認を取って分かったと答えて、もう一度同じ事を聞かれて同じことを教えることは無駄に人と関わることになる。それは同時にタバコとミントの混合した口臭を再び鼻に付くことになる。面倒だ。不快だ。だから、俺は本当に隅の隅までその事柄について理解するまで分かりましたとは言わないようにしている。今回はそんなに難しいことではないので適当に分かりましたといってしまった。不覚だった。ちゃんと空いた席を確認してからその言葉を言うべきだった。俺もまだまだのようだ。

 ちなみに席はふたつ空いていた。しかも、教室の後ろの窓側の特等席ともいえる席がふたつも空いている。

「あの、先生」

「ん?どうした?」

「どっちに座ればいいんですか?」

 俺が指差したほうを見ると席がふたつ空いていることに気付いたようだ。名簿表を開けて教室を見渡す。

「誰か来てないのか?」

 誰が来てないのか把握してないのかよ。先生だろ。それだとただのタバコ臭いおっさんだぞ。

 すると窓側の一番後ろのひとつ隣の席に座る女子が手を上げる。赤い淵のメガネに長い黒髪に落ち着いた風格を持った美形の女子。見た目どおり冷静に、通る声で告げる。

志州(ししゅう))さんが来ていません」

 その名前を聞くと井東先生は顔を覆う。

「またか・・・・・・ありがとう、麻乃(あさの)

 どうやら、俺の隣の席の女子になるかもしれない子は麻乃さんというらしい。そして、俺の後ろか前の席になるかもしれない現在遅刻でいない子は志州というらしい。女子に囲まれているのか。女子というのは化粧とかの粉っぽい臭いとかが非常に苦手だ。基本的に女子は髪が長いからシャンプーの臭いも男と比べてその分多く身に纏っている。その泡臭さがまるで水の中にいるみたいで嫌だ。汗の臭いとか口臭とかに女子は自分の見た目を少しでもいい方向へするための努力が俺にとってはただの嫌われる行為でしかない。女子は臭いから嫌いだ。

「犬山。お前は麻乃のとなりだ。一番後ろだ」

「はい」

 これで俺は結果的に臭い女子に囲まれて生活することを強いられた。せめて俺の口からその女子たちを傷つけないように努力するとしよう。そして、なるべくあの席にはいないようにしよう。

 席の間を歩く。人から発せられる臭いを嗅ぎたくないが一心に息を止めて早足で進んで席に座る。だが、この高校の土足で歩きまわれるアメリカンスタイルのおかげか砂の臭いが多くする。自然から発せられるこの匂いへの苦手意識は少ない。例えば、花の蜜の匂いとか水が蒸発する匂いとか潮の匂いとかは平気だ。その分、この学校は過ごしやすいのかもしれない。

 席に座るとよろしくと隣の麻乃さんが話しかける。歯磨き粉のミントの臭いでがんばってごまかそうとしているが納豆の臭いがするぞ。つか、このクラスの奴はどんなだけ朝に納豆食べてるんだよ。日本大好きかよ。

「よろしく」

 なるべくその臭いを鼻の中に入れないように若干鼻声で答える。どうせ、この麻乃さんともこれ以上話すことはないだろう。嫌われるくらいなら、印象がなくあいつ同じクラスだったな程度で済めばそれでいい。

 それにしても窓際とはいい席だ。風が俺の不快な臭いをすべて吹き飛ばして山から振り下ろしてくる森が生み出した汚れのない空気が入ってくる。ここは俺にとっての天国だ。

 タバコ臭いとミントの異臭を常に発する井東先生の臭いは俺のほうには来ない。この学校なら問題なく長く留まれそうだ。

 そう思ったときだった。

 臭いというものには重さはない。だが、雰囲気で空気が重くなるという表現をすることがある。空気は臭いとイコールで結んでしまって言いと思うくらい、俺にとって空気と臭いというものは同じところに存在し、同じ動きを見せるからだ。

 しかし、俺はこの臭いには重さを感じた。

 ドンとまるで鼻の中に何かダンベルのような重いものがのしかかるような鼻を押しつぶすような異常な異臭。過去にここまでの重厚感のある臭いを感じたことない。色で言うなら黒と緑が混ざったようなヘドロのような色の臭い。井東先生が発していたタバコとミントの異臭とはまるでレベルが違う。まさに殺人的なその臭いの濃さはどんどん濃くなっていく。それはその臭いを発信するものが近づいている証拠だ。俺は免疫療法である程度臭いに対する耐性をつけていたほうだ。ゲボ吐き野郎と呼ばれないようにするために努力して得た俺の日常が今泥山のようにどろどろと崩れていく。鳥肌がたち、胃袋がまるでひっくり返るように逆流を始める。マスクの上から口元を押させる。何とかでるものを押さえ込む。

「犬山くん?顔色悪いよ?」

 心配そうに俺の顔を覗き込む麻乃さんの納豆臭い口臭も気にならない。

 いつも俺ならどんな臭いでも嗅ぎ分けることができた。いろんな臭いが混在する場所でもあいつは汗臭いとか、あいつは化粧が濃すぎて臭いとか、あいつはニンニク臭いとか大体分かった。だが、その臭いはそんな俺の嗅ぎ分ける臭いをすべて上書きしてしまった。

 その鼻を潰してしまいそうな重い臭いは血生臭い肉が焼けた臭いかそれとも三角コーナーで長らく放置された生ゴミ臭いかそれとも長らく放置された動物の腐敗臭。すべてに合致し、さらにその上を行く臭い。

 ゆっくりとした足取りに聞こえる。こつこつとローファーの底を鳴らしながらそいつは教室の後方の扉の前にやってくる。そして、ゆっくりと開けるとまるで扉の向こう側にまるで満員電車から人があふれ出てくるかのように、教室よりも開放感があり広いはずの廊下から閉じ込められていたように臭いが一気に開放されて俺に襲い掛かる。ぐつぐつと胃袋の中が煮え切って鼻はまるでナイフにでも刺されたような臭い。呼吸することすらも体が拒否を起こして一気に胃袋の中身が逆流を始める。

 俺は思わずいすをひっくり返しながら立ち上がって前の扉から駆け出した。

「おい!犬山どうした!犬山!」

 井東先生の声も届かない。すぐに最寄のトイレに駆け込んで便器に胃袋の中身をすべて吐き出した。鼻を刺すように付いた臭いは取れやしない。吐いてすっきりしたはずの体にその強烈な異臭が俺の体で拒否反応が起きて再び嘔吐する。これを数度繰り返した。そして、洗面台でた体の一部と称したマスクを投げ捨ててだただ鼻に付いた鼻を水で洗い続けた。マスクも中に入っている水を含んだガーゼも鼻栓も外して臭いが消えるまで何度も続けた。消えきっていなかった臭いが再び俺の鼻を通った瞬間、俺は嘔吐する。唇は胃酸できりきりとかゆく、のどの奥は焼けたように痛む。

「何なんだよ・・・・・・あの臭いは」

 嗅いだことのない悪異臭だった。

 俺はその悪臭を身にまとう人物の顔を一瞬だけ見えた。その少女は整った顔立ちをしていた。黒色の艶のあるセミロングの髪にパッチリとした瞳に低く小さな鼻。美人という黄金比をすべてクリアーしていそうなおっとりとした少女だった。身長は平均よりも少し低いくらいだった。だが、ただひとつ彼女が発した異臭はあの顔立ちからは考えられない悪魔のような臭いだった。

 これが俺と志州佳織(ししゅうかおり)との出会いである。

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