悪魔の臭い-2
放課後の部活動も終わり校門をくぐる人影は学校から出るものばかりの中にたったひとり学校に向かう俺の姿がある。たぶん、誰もが俺の姿を見てなんだこいつって思うだろう。放課後の部活から開放されて和気藹々とする中でひとりだけ死ぬ覚悟でも決めた兵隊のような形相で学校に向かう俺は見たら思っても仕方ない。
波羅くんが殺された教室は普段は使われていない空き教室だ。少人数でやる授業とか学級委員会とかで生徒が使う会議室的な役割をしていた教室で普段、カギはかかっていない。これは俺が成木から無理やり聞きだした情報のひとつだ。犯行場所で犯人の特定することはできないと警察を言っているが、ただひとり犯行場所で犯人を特定できる奴がいる。それが俺だ。
警察は現場保存のために波羅くんが殺された教室にカギをかけて関係者以外の立ち入りを禁止している。それは先生も例外じゃない。警察が捜査のために教室に入っていたのは1日だけだった。大勢の人間が使う教室で採取できる指紋も毛髪で得られる情報もたかが知れている。捜査も長い時間行われていない。つまり、換気の時間も長くはないということだ。あの時、あの瞬間の臭いがまだ残っている。その可能性に賭けて俺は波羅くんが殺された教室の前にいる。オレンジ色の夕焼けが廊下を染めるそれは波羅くんが殺されたその日と同じだ。
ふっと一息ついて教室に入ろうとするが戸が開かない。現場の保存は何か証拠が出てきたときに現場にその証拠がないか探すときのために残してある。ここを開けるのは井東先生でも成木でも無理だろう。きっと、誰もが波羅くんを殺したのは俺ではないかと疑う。でも、俺がここに入った後はもうそんな偽者の疑惑なんてあってないようなものになる。
少しだけ下がって廊下を蹴って思い切り教室の扉を蹴る。バンという音が静かな廊下中に広がる。職員室は近い。手間取れば先生たちがやってきて止められる。そうすれば、もう二度とこの機会はない。俺の決意が固いうちに―――。
「さっさと開けよ」
もう一度勢いをつけて教室の戸を蹴飛ばす戸を閉ざすカギが枠ごとはずれかかった。そして、もう一度戸に向かって蹴りかかると戸が大きな音を立てて外れ、戸のすりガラスが割れて散乱する。ゆっくりとガラスを靴で踏み砕きながら教室に入る。波羅くんは首を吊ってぶら下がっていたオレンジ色の染まる教室。臭いは埃の臭いと日差しの乾いた匂い。そして、複数の人間の体臭。タバコを吸っている奴もいれば、ニンニクの臭いもする。昼飯にペペロンチーノでも食ったのか。他にも汗の臭い、鼻水の臭い、薬品の臭い、柔軟剤の臭い。いろんな人間がこの教室に入ってきたんだ。それは警察だ。俺が欲しいのはその臭いじゃない。
ゆっくりと呼吸をして気を静める。
「行くぞ」
マスクとその下のガーゼもろとも外して投げ捨てる。そして、目を閉じて全神経集中させる。
臭いを辿れ。臭いは嗅ぐものじゃない。俺にとっては見るものだ。この鼻で俺は臭いを嗅ぐ。
目をいっぱいに広げた瞬間、俺を中心に数多な色をした煙のようなものが広がっていく。埃は灰色、日差しの乾いた臭いは薄い赤色、タバコの色は黒と緑の混ざったどす黒い色、ニンニクは黄土色、汗は濃い黄色、鼻水の臭いは黄緑色、薬品の臭いは濃い青色、柔軟剤の臭いは水色。それ以外にもいろんな臭いが混在する。この教室の臭いを俺は嗅ぎ分ける(みわける)。
この臭いは違う!
教室からドス黒い色が消えてなくなる。
この臭いも違う!
黄土色が消える。
これも違う!
濃い青色が消える。
違う!
水色が消える。
違う!
黄緑色が消える。
違う!違う!違う!違う!違う!
灰色が消える。黄色が消える。紫色が消える。茶色が消える。黒が消える。深緑色が消える。色が消えていく。もやのような煙のような臭いが消えていく。そのいた人が臭いとなって俺の頭の中にイメージとして浮かび上がる。
違う!この臭いは警察だ。違う!この臭いじゃない。もっと、もっと前にある臭いだ。どこだ!探せ!探せ!探せ!探せ!
次の瞬間、俺の目の前に唐突にある光景が浮かんだ。それは天井から吊り下げられた麻縄の輪っかに首をかけようとする波羅くんの姿だ。うっすらと透明で汗の黄色の臭いに覆われた波羅くんの表情はどこか悲しげだった。そして、ウンコみたいな色をした口臭で何かを告げた。俺は必死にその言葉を投げた先の臭いを探す。脳が割れる。胃袋が縮む。鼻が裂けそうだ。でも、俺は―――。
―――なんで俺はこんな目にまで合って波羅くんの犯人を捜しているんだ。
唐突に疑問を投げかけられる。
―――前みたいにいろんな臭いが鮮明になりすぎて気持ち悪くなるだけだ。酔うだけだ。また、人を傷つけて人を嫌いになるぞ。
確かにそうかもしれない。
―――そんなリスクを負ってまで臭いで犯人を捜す必要があるのか?
あるさ。
―――なんで?だって、俺は疑われていないだろ。疑われてるのは志州で、俺は関係ない。
違う。関係ある。
―――なぜ。
わかりきったことを問いただすな!
志州は死体の声が聞こえている!それは本当のことだ。道端に堕ちている死骸を見てその死を悼み泣くやつがいるか?いないだろ!あいつが泣くのは死んでしまったものにも人と同じように人生があった。苦悩や幸福があったんだ。それなのに人は生き物を死骸となった瞬間にゴミとして扱う。彼女はそれではダメだと、声が聞こえるからこそその声に答えて弔うために動いているんだ。それを誰も信じない。関われば、信じれば誰にだってわかることだ。皆にその事実を突きつけてやりたい。信じさせたい。そのためだけにやってる!信じてあいつを救うためにやってる!それ以外に理由なんているか!わかりきったことを聞いてるんじゃない!
バンと誰かに後頭部を叩かれたような衝撃襲われると俺は現実の世界に戻っていた。オレンジ色に染まる教室で視界が歪んでゆっくりと膝から崩れ落ちる。胃袋の中身をその場に吐き出すと意識が朦朧となって力なくその場で倒れる。キャパオーバーだ。これ以上の臭いを鮮明に嗅ぎ取れば体がもたない。だが、俺は確かに嗅いだぞ。悪魔の臭いを。あの臭いは、あのゴミみたいな臭いは・・・・・あれは・・・・・確か・・・・・。




