12 リリアナの行方2
言葉を失ったクラウスの前で、エリーヌは優雅にお茶を飲んだ。
普段と変わらないエリーヌの様子を見て、クラウスも気を取り直したようだ。紅茶の入ったカップに手を伸ばし、喉を潤した。
クラウスが落ち着いたのを見て、エリーヌは先を続けた。
「今回の件でリリアナ様は社会的信用を失いました。貴族社会で生きることは難しいでしょう」
ですが、と続ける。
「なにも貴族でいることだけが、女の幸せとは限りませんわ」
「意味がわからないんだが」
クラウスの疑問を当然の事として、エリーヌは軽く頷いた。
彼の役目は得た情報を活かすことなので、足りない情報を欲しがるのは悪くない。
「リリアナ様の選択肢は少ないのです」
いま、クラウスの前には二つの選択肢がある。
すべてを捨ててリリアナと幸せになるか。
気苦労を抱えたままリリアナと寄り添っていくか。
リリアナが貴族社会に受け入れられないというのなら、クラウスが彼女に歩み寄るほかない。
立場上、すべてを捨ててリリアナと逃げ出せとは言えないが、もしクラウスがその選択肢に気づいたら、エリーヌはルゼッタを敵に回しても応援するつもりだ。
「リリアナ様に残されている道は、修道院に行き残りの人生を送るか、地方の下級貴族の家に嫁ぎ中央とは繋がりのない一生を送るか、貴族であることを諦め裕福な平民に嫁ぐか」
あるいは、決闘に負けた他の者たちと同じように、エリーヌの配下となりその保護を受けるか。
リリアナに信用がなくとも、エリーヌがその立場を保証すれば、貴族社会に顔を出すことは出来るだろう。
だがその選択肢はリリアナ次第だ。一度落ちた信用を取り戻すのは簡単な事ではない。そんな不確かな道を、いまクラウスに告げる必要はなかった。
「学園内のこととはいえ、公爵家の娘を陥れようとしたのです。もし殿下がフォートランの領主として正式に彼女と婚姻を結ぼうとするなら、公爵家も黙ってはいないでしょう」
もしクラウスが王籍を捨て一領主として彼女を妻に迎えようとしたとしても、王子を失う原因となった女性を中央貴族は受け入れない。意地悪く富や名声に敏感で頑固な社会なのだ。クラウスの生まれた場所は。
エリーヌはわかりやすいリリアナの将来を示した。もちろん、やりようによっては他にも道はあるだろう。
なによりも。クラウスが全てを捨ててリリアナを選べば、まったく違う未来が開かれる。
この国を出ることになるかもしれない。だがエリーヌの知っている二人なら、すべてを失っても生きていけるだけの力がある。
エリーヌにはたやすく見える道。だが、クラウスは気づかないだろう。彼は『王子』だから。
国を背負うために育てられた。すべてを捨てて逃げるという選択肢は、きっと、彼の中にはない。
そこが歯がゆくもあり、愛しくもあった。
クラウスは絶句していた。
それほど彼女の立場が悪くなっていたとは思わなかったのだろう。
二人の愚行は学園内で留められた。宮廷や中央社交界に知れ渡ってはいない。
しばらく社交界から遠ざかることにはなるが、ほとぼりがさめれば戻れるものと、軽く考えていたのかもしれない。
相変わらず甘い人だ。
エリーヌは二人の暴挙をうやむやにする為に、あの場で出来る最良の手段を選んだつもりだ。
この国で、決闘の結果は重要視される。人の生き死にさえ、罪の重ささえ決闘で決められることがあるくらいだ。
あの場にいた者たちは、決闘の結果を受け入れて、一度は口を噤むだろう。
だが目撃者が多すぎた。いくら口止めしても、中央で生きようするなら、あの愚挙はずっとリリアナについてまわる。彼女がなにかをする度に、二人の愚挙が人々の口の端にのぼる危険性が上がる。
とんでもないスキャンダルだ。なにか強い力が彼女を保護しなければ、あっという間にリリアナは王子を巻き込んで中央の闇に沈んでしまうだろう。
だがそれ以前に、第一王子にとって婚約者より大切な女性だと知られてしまったことの方が問題だ。
中央で上に上りたいと思う若者は多い。あんな形で不特定多数に知られてしまっては、出世欲にかられたものの囁きで彼女の存在は派閥争いに利用されてしまう。
駒として利用されるならまだいい。最悪の場合、邪魔者として命を奪われることになるだろう。
大きな後ろ盾を持たないまま、リリアナのような弱い娘が無防備でいられるほど、中央の貴族社会は甘いものではないのだ。
今回のことで、彼女の存在は否応なく注目される。彼女にとって王都は、安全な場所ではなくなってしまった。
だが中央を離れれば話は別だ。
田舎貴族とも呼ばれる地方領主たちと、中央に属する貴族たちの間には大きな隔たりがある。
彼らは極端にいうと、派閥争いにおいて部外者だ。利益が絡めば協力することもありうるが、派閥争いとは距離を置いている。というか、ほとんど関係がない。
誰が次の国王になろうと、税を納め、兵を出し、やるべきことをやっていれば、よほどの事でもなければ諸侯としての立場が脅かされる事はないのだから。
リリアナにとって中央が安全な場所ではなくなったとしても、彼女の地元でもある地方ならば話は別だろう。
また彼女の父であるアムスン男爵は、地方領主としては大きな力を持っているし、若い頃に『学園』に在籍していた事もあるため、中央の事情もわかっている。
リリアナが正直に学園で起こったことを打ち明ければ、彼女を守るために必要な手段をとれるだけの力はあった。
言葉を失ったクラウスの様子を見て、エリーヌは目を細めてふふふ、と笑った。
「真実の愛が試されますわね」
獲物を狙う猫のような目だ。優雅で気高く、気まぐれな猫のような意地の悪い瞳。
「からかっているのか」
「いいえ。お二人にとって良い道を選ばれることを、願っていますわ」
エリーヌはカップを手に取り、そっと目を伏せた。
そうしていると、彼女はただの美しい女にしか見えない。
クラウスは少しほっとした。彼女に見つめられていると、どうしても気おされてしまう。
嘘つけ、と思っても、反発するほどの余裕がないのだ。
情けないが仕方ない。クラウスは自分のプライドは脇におき、リリアナの為に考えを改めた。
「お前の力を借りれば、リリアナの未来を良いものにする事が出来るのか」
「リリアナ様次第でしょう」
安請け合いしないのがエリーヌらしい。
気安い態度を見せても、安くない女だ。
リリアナ次第だという事は、エリーヌはこの件に関しても、いくつかの手札をもっているのだろう。
好きな女一人探せない無力なクラウスとは大きな違いだ。
クラウスは天を仰いだ。
彼が考えていたより、リリアナを取り巻く事情は複雑なものになってしまったらしい。
このまま、リリアナの事は忘れて城に戻るという道もある。だが、クラウスが引き起こした事だ。このままにはしておけない。
エリーヌは、クラウスとリリアナが結ばれるのは運命だったと言った。
彼女の妄言を信じるわけではないが、クラウスはリリアナと会う必要性を強く感じた。
目を閉じて、考えを整理する。
とる道は決まった。
「頼む。リリアナの居所を教えてくれ」
クラウスは、エリーヌに視線を向けた。彼女がなにを考えているかは相変わらず分からないままだったが、クラウスやリリアナに対して悪意がない事だけは感じられた。
「わたくしを頼られますの?」
「恥を忍んで頼む。お前以外に、頼るあてがない」
クラウスは立ち上がり、深々と頭を下げた。
彼女は困ったような顔をした。
そこまでされるとは思っていなかったらしい。
「リリアナ様に、殿下のお心が通じるとよろしいですわね」
皮肉な物言いにも聞こえたが、困ったような顔で言われてはそう悪く取ることは出来ない。
意外に可愛いところもあるのだな。こんな時に不謹慎だが、クラウスはホッとするのを感じた。
「すまない。ありがとう」
「まずは夕食を共にしましょう。殿下のお時間が許すのなら、ですが」
柔らかいソファから優雅なしぐさで立ち上がったエリーヌが、クラウスに向かって手を差し出した。
エリーヌの事を無条件に信じる気持ちには、まだなれない。だが、彼女しかあてが無いのも確かなのだ。
「よろしく頼む」
クラウスは腹を括った。
差し出された手を取り、彼女をエスコートする。
たとえどのような結果になったとしても。
エリーヌを信じたことを、後悔したりはしない。




