どうどう、落ち着きたまえよ
セルウィタ・クーラ。
当初の懸念と裏腹に、彼女は働き者だった。
家事は勿論のこと、相当に高い学術的教養を備えているようで、俺が古書を翻訳していると横から訂正が飛んでくる。
「貴族が平民より優れているのは当然でしょう。家人が雑務に長けているのも同じこと。つまり貴族のメイドたる私めは最も高い能力を持つ存在でございます」
「なんたる傲岸不遜」
「お嬢様にはオフレコでお願いいたします」
「その割に肝が細い」
掴みにくい人柄だ。
本気で言っているのかどうかも分からない。
それにしても、貴族のメイド、か。
「なあ、なんでメイドを?」
「イーティアお嬢様からお聞きになっていないのですか? クーラ家では代々長姉や長兄を除くすべての者が他貴族の従者となるのです」
「そりゃまたどうして」
セルウィタは興味なさげに首を傾げた。
「さあ? 世話の名が示す通り私めは相当に長い歴史の上に続く者であります故、平民の方々のように何もかもが明快というわけにはいかないのです」
「平民を貶す必要あったか?」
「必要なことを追い求めるばかりでは、幸せも逃げてしまいますよ」
「さては真面目に会話する気がないな?」
バレましたか、と言って小さく舌を出す。
「ところでギルバート様、お嬢様とは実際どのあたりまで進んでいるのですか?」
「進んでない」
「……胸以外は非常に優良だと愚考いたしますが。ああ、いえ、ぐちぐち小うるさくて時間に厳しく、長年連れ添った私めを置き去りにする冷血でその上胸もございませんが、非常に優良なお方かと」
「なんであいつは身内からボロクソに言われやすいんだ?」
ルナには貧乳石頭と呼ばれ、俺から勘違い処女と言われ、終いにセルウィタの悪罵だ。
愛のある言葉だったとしても火力が高すぎる。
「あいつの真面目な性質はむしろ嫌いじゃない。容姿も整ってるし、身分がそうでなくたって上等だろう」
「上から目線に腹が立ちますね。概ね同意いたしますが」
数秒前はボロクソに貶してなかった?
セルウィタは俺の胡乱げな視線を意にも介さない。
「しかし、それならば何故お嬢様にお応えしないのですか?」
答えにくい質問だった。
昔の俺を捨てたくないから、などと返してもまた首を傾げられるだけだ。
「俺は誰かとそういう仲になりたくない」
だから偽った。
恋愛も結婚もクソ喰らえだと。
かつての残滓をどれほど掻き集めても、本音とするには足りない。
偽りでしかなかった。
「左様でございますか」
何を考えているか分からない。
俺の心がどれほど透けているのか判別できない。
無感情なセルウィタの目は気味が悪かった。
「それでは、私めは失礼いたします。おやつの時間まであと幾分もありませんので」
「そうか。……以前どうだったかは知らないが、俺が知る限りのティアは昼下がりに菓子を摘まむことなんてないぞ?」
「ええ、私めの教育によりお嬢様はそのように成長なさいましたから、当然です」
それならただここを離れるための方便だったのか?
「おやつを食べるのは私めでございます」
「おい」
「勿論、お嬢様にだけ我慢させておいて私めが我慢しない、という話ではございません。お嬢様が召し上がらない分は私めが食べてよいと言われたので、そうなるよう狙って教えたのです」
「よりタチが悪いじゃねえか」
「あの頃の素直なお嬢様は本当にかわいらしかったのですが……」
続々と無礼を暴露していくセルウィタ。
ファトゥスが帰ってきたなら肩を組んでティアの胃を虐め抜きそうだと、そこそこ実現可能性の高い未来が見えた。
またあとで金髪お嬢様を労ってやるとしよう。
備品管理に精を出す後ろ姿。
横から机にコップを置けば、髪がゆらりと揺れて、こちらを見やる。
「……これは?」
「ギルベリタの趣味らしい。南方領の茶葉だとか」
「それくらいのことなら香りで分かるわ。差し入れかどうか聞いたのよ」
「これで差し入れじゃなかったら俺は相当性格が悪いな」
むつかしい顔を歪めて額のあたりをもみほぐす。
深い溜息を吐くと、ペンを置いて脱力した。
「ごめんなさい、ちょっとストレスが溜まっていたみたいね」
「一段落したんじゃなかったのか?」
「セルウィタの加入に合わせて色々備品を購入する羽目になったのよ。だからそれを計上してるわけ」
「ああ、あのメイドの」
「純資産が一パーセント減る上、パーティーに受け入れた以上は面倒を見ておかなくちゃいけないわ。……前世のあたしはどれほどの罪を犯したのかしらね」
「目が笑えてないぞ」
本当に大丈夫か?
「キサラの一件が終わってからは存分に休めたわけだし、しばらくは平気。これから請け負うことになった仕事の責任が責任だし、この安穏もそう長くは続かないでしょうけど」
「お疲れ様。いや、本当に。健康管理が最優先のタスクだからな?」
「これでも体調と美容には気を使ってるのよ? 余計な心配はゴミ箱に捨てておきなさい」
ついさっきまで相当ピリピリしてただろうに。
「それは、あたしの仕事を増やした張本人が暢気におやつ食べてる姿を思い出したからよ。仕方ないでしょう」
「もしかしてあの人ずっとそんな感じなの?」
「ええ、セルウィタは都合のいい時だけ『貴族である前にメイドですから』って言い訳するのよ。抜け目ないわよね」
幼い頃からずっとそうだったとティアは語る。
聞けば聞くほどにセルウィタがいかにメイドらしくないメイドだったかというエピソードが発掘されていく。
セルウィタ、見合いの相手、リアとルナ。
「ティアは癖の強い人と縁があるんだな」
「言わないで。あたしが絶望して心を病んだらどう責任を取ってくれるのかしら」
「でもそれは余計な心配なんだろう?」
「体はともかく、心の健康管理なんてできないわよ。――ギルが手伝ってくれるなら、多少話は変わってくるけれど」
ちら、ちらっ。
こちらの様子をそれとなく、いや、分かりやすく窺うティア。
「聞くだけ聞いてやる。願いを言え」
「週に一度の膝枕と月に一度のハグを所望するわ」
「その願いは俺の力を超えている」
「そんなわけないでしょう!?」
俺の頭手足胴体、あと心も嫌だって言ってるし。
強制させるの可哀想だし。
あと俺が溜まってる時にやろうものなら自制できる自信がないし。今とか。
「ルナとギルベリタばっかりズルいわよ。膝の上に座るだとか、一緒のベッドで寝るだとか、それであたしの脳がどれだけ破壊されたか知っているの?」
「ティアが膝の上に座ったら金色以外何も見えなくなるだろ」
「じゃあ一緒に寝てくれなきゃおかしいでしょうが!」
「急にどうした」
ティアが荒ぶる。
どうどう、落ち着きたまえよ。
「あたしだってギルと睦言を交わしたりしたいのに……」
「そういう店に行けよ」
「どうしてお金を払ってまで軽蔑されながら奉仕されなきゃいけないのよ。それに、心を通わせた相手とじゃなきゃ意味がないわ」
「本音は?」
「入る勇気がないから無理」
聖都には女性用風俗がある。
一般的には犯罪で奴隷に落ちた男の働き口だ。
軽いものなら工業区行きだが、重いものならそちらに行かされる。
俺は一生聖都で重犯罪を犯さないだろう。
「なんて、冗談よ。こうして二人きりで話しているだけで嬉しいもの。スキンシップも、少しはして欲しいけれど」
ティアがコップに口を付ける。
「あなたが淹れてくれた紅茶だって同じくらいに暖かいわ。だから満足しておいてあげようじゃない」
「……気障だな」
「ロマンチックなだけよ」
余裕ありげに微笑んで格好をつける。
それが許されるだけの容姿と気品があった。
つい伸ばしそうになった腕を抑える。
性欲ではない、もっと別の衝動で、その瞳に吸い込まれてしまいそうだった。
「その科白もティアには似合ってると思う」
「ふふ、そうかしら? ありが――」
「だからもう二度とロマンチストを気取るなよ」
「なんでよ! おかしいでしょう!?」
全く危なかった。
ティアに騙される所だった。
忘れないようにしよう、こいつはルックスと育ちと性格がいいだけの女だ。
「おいなんちゃってお嬢様」
「誰がなんちゃってお嬢様よ」
「何か摘まめるものを用意しようか?」
「……作って?」
「作って」
「ギルが?」
「俺が」
野営の時には凝った料理が作れないから作っていないだけだ。
スクリータにクッキーの作り方を教えたのは俺だし、妹に朝ご飯の作り方を教えたのも俺だった。
全部父さんにもらったものだ。
「値段設定を教えなさい」
「基本無料でスマイルだけ二万コイン」
「買うわ」
「冗談だよ」
出すな財布を。
相変わらずこういう話ではIQ下がるのな。
……いや、笑顔一つに対して二万出せるのはIQどうこうの話ではなくないか?
「何をどんな値段で買おうがあたしの勝手でしょう? 契約は両者が納得さえしていればいいのよ」
「じゃあ俺が納得しないってことで終わりな。非売品だから」
「せめて無料にしなさいよ」
嫌だよ箱ごと――体ごと持ってかれそうだし。
「それじゃ適当になんか作ってくるわ」
「ええ、お願い。……間食なんて何年振りかしら」
ダメなメイドに嘘八百を吹き込まれて以来のおやつらしい。
張り切らずにはいられないな。




