調査報告 その5
その日の夕暮れとき、キンブレイト邸にて、ヨハンネは夕食を取っていた。しかし、いつもの食卓に場違いな者が椅子に座らず、壁の隅っこに立っていた。その者は、ミネルヴァの事を見つめている。メイドらがその者の目の前を横切り、食卓にある空の皿を下げて、新しい料理を次々に運ぶ。
「こちらは、七面鳥の丸焼き、ジャガイモとレタス、サーモンの盛り付けにございます」
ふくよかな料理人が手の平を盛り付けられた料理に向けると丁寧な口調で説明する。
「……こちらはドラゴマ国から輸入した豚料理です。今晩は大変珍しい黒豚で、その脂身はとてもよく、歯切れがよいものです」
それにグレイゴスは関心した声を漏らし、目の前に出された黒豚の料理に見入っていた。ドラゴマ国とは、プルクテスからリーデル海を越えた国の事である。
グレイゴスが訝しむ。
「どうした事か……最近はドラゴマからの物が多いな?」
グレイゴスが料理人へ視線を向け尋ねる。
「はい。当主様。実はシェール国とドラゴマ国が戦争を始めたそうで……」
簡単に言えば、シェールとドラゴマが会戦した、ということになる。料理人の言葉を理解したグレイゴスは驚く。
「何ッ?! シェールがか?」
それに料理人は深く頷く。
「……父上、僕もそれは初耳でした」
ヨハンネも初耳のことで驚いていた。そんなとき、その場違いな者が一歩前に出て得意げに話し始める。
「グレイゴス殿。その事ですが現在、シェール国軍はドラゴマ軍対してに各地で敗走中。理由は指揮官の不在によるものと多勢に無勢と言った所です」
「……うむ。流石は王宮の使いだのう」
グレイゴスがその者に感心する。
「そうですね。父上」
ヨハンネが上品に食べやすいように切った豚肉を口に入れる。それを一瞥したグレイゴスは怪訝した。
「で、……なぜ監視委員会が来ているんだ?まさか、お前のミネルヴァを奪いに来たのではないだろうな」
ヨハンネに体を傾けて、聞えないように耳元で小さく囁く。
「まーいろいろですよ。でも安心してください。明日には王宮に帰るそうですから」
「ほう。それなら良いのだが……あの小娘の一人ぐらい、始末しても良いのだぞ」
「ご、ご冗談を」
ヨハンネは顔が引きつり、苦笑いした。それを聞いていたジュリエンタがクスクスと笑い始める。
「まぁあなた、酷い顔ですわよ。まるで悪人ですわ」
「ヌアッハハハハハハッ!!!!! そうか! 悪人か? それは愉快愉快」
そう言ってグレイゴスは上機嫌に腹を叩いて笑う。
「父上。飲みすぎです」
ヨハンネが呆れた顔で水を飲んだ。
「なんでグレイゴス殿は笑っているんだろう……おい。対象者。何で笑っているか、わかるか」
ミネルヴァに近づき、他には聞えないように小声で話しかける。それにミネルヴァは無愛想な感じで応える。
「……では教えてあげましょう。貴方がこれ以上、ここに居座るのであればこの世から消すそうです」
その言葉に青ざめたグラリスはグレイゴスをチラッと見た。
(――――――だから、あんな悪人の顔をしているのか? もしや、私は暗黙の了解に手を出してしまったのか……いいや違う。これは隊長殿の命令だ。それとも、なにか、目の上のたんこぶを排除する為か)
グラリスは優秀ではあったが、産まれた親が厄介だった。それは、プルクテスが建国される前に住んでいた先住民族のカカ人とプルクテス人のハーフだったからだ。カカ族はほとんどが迫害を受けているが、グラリスの父が子爵だった為、迫害はなんとか避けることが出来ていた。しかし、その父が死んだ今、風当たりが急に変わっていたのである。
(――――――私はこんな事で屈するか。昇進して、隊長になって弟を楽させるんだ)
「さてと。わしは先に寝るぞ」
残った葡萄酒を一気に飲み込み、立ち上がる。
「あら今日は早いですこと」
「明日は工房に行くからのう」
「父上? いよいよ、新作の葡萄酒の生産ですね」
「うむ。明日が楽しみだわい。おぉそうだ。新作のワインはミネルヴァが一番に飲んではみないか」
「私がですか?」
「そうだ。お前はここに来てから、ヨハンネを助けてもらってばかり。今回はそのお礼を兼ねて、わしからの労いだよ」
「あー父上? ミネルヴァにはまだ、早いんではありませんか」
「ヨハンネ? お前は知らんのか」
グレイゴスはそう言って、ニヤリと笑う。
「何をですか……?」
「ミネルヴァはもうわしの酒仲間なんだぞ」
「え?!」
ヨハンネがミネルヴァの方へ目を向ける。それにミネルヴァが小さく頷く。
「この前、グレイゴス様の好意で、葡萄酒を頂きました」
「い、いつの間に?!」
グラリスはそんな会話を聞いているうちに、自分の家族のことを思い出す。
(――――――父さんと母さん、それに弟と、あんな風に一緒に楽しく暮らしたかったなぁ……)
グラリスはゆっくりとキンブレイト邸の中庭に建ててある幕舎へ戻ると早速、今日あったことを忘れないうちに報告書にまとめあげる。
蝋燭の明かりを頼りに、ペンにインクを付ける。グラリスは、ミネルヴァの事がどうしても理解出来なかった。
と言うより、ミネルヴァは奴隷であるのに、それを感じさせない……キンブレイト家に溶け込み、彼らの雰囲気は和んでいる。
(――――――私は……この報告書を書いて、提出する必要性があるのだろうか?)
そのとき、あることが頭の中をよぎった。
以前に奴隷監視委員の同僚が執務室で、報告書を書いていたところだった。そこで、その同僚が担当していた監視対象者が真面目な奴隷過ぎて気に食わない、という理由で嘘の報告書を書き、笑っていたことを思い出した。グラリスもそれをしようと、ロール状の紙に手を伸ばす。しかし、その手は、まるで何かに防がれたかの様にピタリと動かなくなる。
(――――――私は……彼らの家族を……壊したくない……私には出来ないよ……あんなに、忠誠な奴隷なんて、見たことない……奴隷を頼る主人なんて見たことない……)
グラリスは伸ばした手を下ろし決意した。




