終わりと始まり その5
――――――――意識が遠のいていく。ヨハンネは震える右手を空に伸ばした。青くて、美しく、どこまでも澄んだ空を彼は薄れる意識の中で掴もうとする。だが、あの大きくて広大な空には届くはずもない。ミネルヴァに再び触れたい。そんな未練じみた事が脳裏に浮かぶ。
そんな愚かな考えを空は哀れんでいるのだろうか? それとも嘲笑っているのだろうか?
思考も鈍くなってきた。でもミネルヴァの顔が頭から離れない。伸ばした右手がぐらりと落ち、空を見上げる視線をレイラが遮る。
「……君には敵わなかったよ。情けない。傷一つ付けられないなんて……」
そう言いながらもヨハンネの顔はなぜか清々しかった。彼には達成感、してやった感があった。レイラが鼻で笑い眉を歪める。
「――――――てめぇは立派に戦った。勇敢だった。それで充分だろ?」
「確かに充分だね……目的は果せたし……―――」
その発言にレイラが眉を顰める。
「目的を果した、だと?」
ヨハンネの淡い水色の瞳が徐々に黒く濁り出す。目頭にいっぱい溜めた涙を流しながら、彼は心の中で悔いた。
(―――――もっと、彼女と歩みたかった。もっと、彼女と時を過ごしたかった……でも、お別れだね……)
「―――――――さようなら、“ミネルヴァ”――――…………」
満面の笑みで、彼は笑って目を閉じた。
「――――ミネルヴァ?」
口にしてレイラは首を傾げる。そして悟った。
(――――――――なるほど。誰かを逃がすつもりだったのか、こいつ? だからこんな、清々しい顔を………)
疑問に思うもヨハンネから言葉はもう返らない。レイラは流れ落ちた涙を布切れで拭い取る。
――――――ミネルヴァは満身創痍で身体中が重い。それでも足はなぜか動いた。なぜなら自分の主が待っているからだ。そして船が停泊している洞窟の入り口前に約束した通りに辿り着く。
着いたが、待っているはずのヨハンネは、見渡しても、主を呼んでみてもどこにも姿がなかった。
一足早かったのか。それともまだどこかで足止めされているのか。いろんな事を連想した彼女は来た道を引き返そうとした。だが兵士の声がどこからかした。
「―――――そこの者っ! 手伝ってくれ」
近衛師団の所属の紋章をつけている兵士らがミネルヴァに向かって来る。肩を担がれているのは隊長格の女騎士だった。赤いマントを覆い、立派な羽付きのかぶとをつけている。隊長格の騎士はかなり重傷で、意識がもうろうとし、視線が定まっていなかった。ただ、敵はどこだ?私はここだ私は、と小声でつぶやいている。ミネルヴァは迷うことなく、彼らを手伝うことにした。ご主人様なら間違いなく命令される。そう思った。
「おぉ―――――すまぬ。感謝する、黒髪の娘よ」
それにミネルヴァはコクリと頷く。大柄で、口の周り髭に覆われている近衛兵がもう一人の近衛兵に尋ねる。
「アドル、これからどうすであるか?」
それにアドルと呼ばれた若い長身の男が顔を渋る。
「―――――わからん。拙者にはどうすればよいのか……今は、団長の手当てをしないと」
それにミネルヴァが口を挟んだ。
「この先に船があります、そこへ運んではいかがでしょうか?」
「おー船はまだ残っていたであるか!? 良かった、良かった……」
厳つい大柄の男が安堵の表情を見せなる。
「どうやら拙者らはまだ神に見放されたわけではないでござるよ」
「であるな。我輩らはまだ生きろという証拠」
まるで、互いを励ましあっているようにミネルヴァには見えた。
(―――――――これが、戦友というものなのだろうか……)
ミネルヴァらはそのまま洞窟に停泊する船へと向かう。狭い鍾乳洞を抜け、硬く閉ざされた木製の扉を蹴り破り、中へと入る。泉になった洞窟内には立派な船が一隻停泊していた。桟橋を渡り、乗り込むと船長らしき大男が大手を振りながら駆け寄って来る。愛想良く自己紹介してきた。
「俺の名はワーナーだ」
ミネルヴァらを見渡す。
「黒髪の少女……だな。んむ。目的は達したな。よし、船を出せッ!!! 出港するぞ」
「はい!船長」
船員が慌ただしく出航の準備をし始める。碇が引き上げられ、たたんでいた帆を広げた。洞窟内は無風状態なので、船腹からオールを出す。渡り橋の端っこで、水夫達が、早く来い、と手で合図していた。
「ま、待って下さいッ!!! ご主人様がまだ来ていません!!」
「すまんな譲ちゃん。残念ながら、ダマスの旦那から白い煙があげられた。規則は守らなねぇといけなぇ。それが海の男だ」
「しかし!ぐっ――――」
その瞬間、ミネルヴァの意識は遠のいた。まるで、誰かに邪魔されたかのように。受身を取らず、そのまま崩れ落ちた彼女にワーナーが驚く。
「こいつ、かなりの怪我しているじゃないか?! おい! 誰か、医務室に運んでやれっ!」
それに反応し、船員らがミネルヴァを優しく抱えて医務室へ運んだ。
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ミネルヴァはこれまで、主人と暮らした日々を思い出していた。まるで今、目の前に彼がいる様に。鮮明に見えている。手を伸ばして、触れようとした。だが煙の様に消えてなくなる。
ミネルヴァは問いかけた。
「ご主人様! 貴方様は今、どこに居られるのですか?! 教えて下さい!!」
だが、ヨハンネは応えてはくれない。黙ったまま、ニッコリと笑うだけで彼女に歩み寄る。そして、彼は手に持っていたレギナスの剣を託すように彼女の顔の前に水平に突き出す。それを両手で手に取った所で彼女の夢が覚める。重い瞼を開くと木目のある天井が見えた。微かにだが潮の香りと身体が揺られている。辺りを見渡すと自分は仰向けになっていることがわかった。ところところ包帯が巻かれ、身体がズキンと痺れるような感じがする。
状況を理解し始めたミネルヴァはおもむろに違和感のある右手に視線を向ける。すると、夢の中に出てきた主人から手渡されたレギナスの剣を握っていた。それに驚いたミネルヴァは勢いよく身体を起こす。




