反逆の奴隷
あれから数日後、帝国の目が北部に向いた為、プルクテスは落ち着きを見せていた。何も変わらない一日が過ぎていく。でも、気になる噂が流れていた。それは帝国による“奴隷解放戦争”というフレーズだ。キナ臭いと言える。奴隷にとっては最高の話しだ。となると……
(―――――――とくにここでは危険がある……)
ヨハンネは敷地内にあるガーデンで、とある本を読んでいた。既に知っての通り、ヨハンネは昔から読書するのが好き。こういう何もする事がない日にはよく、緑に囲まれてところで本を読むのが彼には落ち着く。あらゆる不安を紛らわしてくれる。
手にする本はこれもまた急に市場に出回っているやつだった。昨日、街中で偶然、見かけてヨハンネは迷うことなく買ってしまった。その本の著者は新参者の仮面の女と言う名前を隠している。本には珍しい細工が施されていた。挿絵が多い事から字が読めない者でも絵で読み解く事が出来るし、書物には破格の価格だ。明らかに利益を考えていない。
かなり親切な方だが奴隷に対してそこまで、親切にする必要性があるだろうか……。
(―――――――これは、まるで―――――)
「ご主人様、その本は?」
隣で立っていたミネルヴァが不意に聞いてきた。彼女は字が読めない。
「仮面の女先生が書いた“反逆の奴隷”って本だよ」
「反逆の奴隷ですか……?」
小さくつぶやいて首を傾げた。ヨハンネはページを何枚か開いて、ミネルヴァに見せた。
「ほら」
ミネルヴァが挿絵に目を落とす。しかし、あまり反応はなかった。彼はその反応を見て、まだ、わかっていないと思った。
「う~と簡単に言えば、この挿絵のように虐げられた人々が上流階級の主人を殺して、最後には自由を勝ち取るみたいな話さ」
それにミネルヴァは挿絵にある一人の男に目が行く。男は別の男、服装から見るに恐らく富裕層の者の腹の上に足を置いて、何かを叫んでいる。叫ぶ男の手の甲に奴隷の証である印があった。彼女はこの書物の内容を理解しようする。そして、理解した。戦っているのは自分と同じ身分の奴隷だと。
「では、同じ身分の私も虐げられているのですか?」
その言葉にヨハンネは驚いた。ミネルヴァには自覚がなかったのである。
(―――――――――奴隷として、烙印を押されているのに……)
ミネルヴァに奴隷がどんな立場なのかわからなかった。ヨハンネは黙ったまま頷く。
「私は奴隷になったのは運命だと思っていました」
それを聞いたヨハンネはゆっくりと本を閉じ、テーブルに置くとミネルヴァの方に身体を向けた。
「いいかい? ミネルヴァ、運命は他人に決められるものではないんだ。自分で切り開く。それが正しい」
「自分で……切り開く……?」
「そう。この本に書いてあるように、奴隷という呪縛のようなものから解放されたいのなら、主を殺すべし。抗え、生きる為に。と記されてある。その意味はわかるよね?」
「それは、私が貴方様を殺すという事ですか?」
それにヨハンネは唸る。重々しい口調で言った。
「……近い内にそうなるかもしれないね。帝国の侵略にプルクテスの国力が弱まれば、それまで抑えられてきた人々が各地区で反乱を起こすだろうし。例え、ミネルヴァでなくとも、僕を殺しにくるだろう。憎悪込めてね……」
「しかし、その時は、私が全力で守ります」
(―――――――頼もしい言葉……だよ。安心して、彼女に命を委ねる事が出来る。でも……)
この国の人口の四分の一が奴隷として扱われている。これが一斉に武力蜂起でもすれば、国軍では抑えきれない。そうなれば、ヨハンネも例外ではない。
(―――――――どうせなら、知っている人に殺されるのがいいなぁ……)
「一つだけ僕と約束して欲しい」
ヨハンネは暗い顔をして下を向く。
「何なりとお申し付け下さい」
「もしも、本当に反乱が起きて、プルクテスが滅びそうになったとき――――」
ヨハンネは言葉を詰まらせるがそれでも続けた。
「―――――僕を殺して欲しい」
それにはミネルヴァも驚いた。一体、何を言うのかと。目を丸くしたあと、彼女ははっきりと答える。
「嫌です」
「……お願い。怖いんだ……。知らない人に……何度も、何度も、刺され、殴りられ、殺される。でも、君なら一瞬で殺してくれる。君が僕を殺してくれるならこれほど嬉しい事はないよ」
ヨハンネはそういうと両腕で身体を包んで震えていた。いつも笑顔で、優しい彼が震えている。怖がっている。ミネルヴァは動揺した。
「………」
ミネルヴァは珍しく、下を向く。
(―――――――――なんて、答えればいいのか、私にはわからない……)
ヨハンネの望む事を一瞬考えたが。ミネルヴァにはその行為はありえない。答えは一つだけだ。
「でもやはり出来ません。貴方様がこの世界に居るから私は生きる目的が定まっているのです。それをするくらいなら、私は同胞を殺してでも貴方様を守ります。それこそ、己の意思です」
声音を強めて言った。
拳にしたミネルヴァの手をヨハンネがそっと手を置くと彼女がぴくりと反応した。彼が彼女の顔を見上げて一言述べた。
「……ありがとう」
「え?」
「君は僕の事をそこまで、思ってくれているんだね。わかった。約束だよ?」
それにミネルヴァは首を縦に振った。
「さぁ――しけた話はこれで終わりだね」
近くで馬車の音がした。ヨハンネがその方向へ振り向く。どうやら、グレイゴスが帰って来たようだ。
「行こうミネルヴァ!」
ヨハンネはさっと立ち上がると本を脇に挟んだ。右手はミネルヴァの手を握ったまま、グレイゴスの乗る馬車へと向って走り出す。ミネルヴァは彼に引っ張られながら追いかける。
グレイゴスは他社と商談をしに朝から出掛けていた。その商談の結果が良かったのか、ジュリエンタが馬車から身を乗り出し、笑顔でヨハンネに手を振る。




