陥落した東部 その4
(こんな格好で家まで運ばれるとは……ダマスとかに会わないと良いけど。絶対に腹を抱えて笑いまくるんだろうなぁ……)
既に日は沈み、辺りは黄金色に染まっていた。ヨハンネの家であるキンブレイト邸の敷地内の門をくぐったところで、帰りが遅いと心配していたグレイゴスの使用人らが駆け寄った。
「ヨハンネ坊ちゃん!? どうされたんだぁ」
「なんだ?! 血が出とるじゃあねぇですか! こりゃあ大変だ」
「ハハ。大袈裟だよ」
メイド長のロベッタも玄関口であわや横転しそうなぐらい急ぎ足で階段を駆け下りる。
「ヨハンネ様! 心配……して……おりましたよ」
初老のメイドは息を切らせる。
「ロベッタさん。もう歳なんだから、慌てないで下さい」
「な、何を……言うんですか? 全くもぉ。とりあえずお部屋に」
「私が連れていきます」
ミネルヴァがそう言うとロベッタは膝に手をついて息を整えてから応えた。
「あぁ頼んだよ。あんたの事は旦那様に聞いてるわ。正面から入って二階の左隅にヨハンネ坊ちゃんの部屋があります」
小さくうなずくミネルヴァは主の部屋へ向かった。彼女に背負われたままヨハンネは部屋まで連れて行ってもらう。それから、ベッドの側に降ろしてもらった彼は自分でゆっくりとベットに入った。
「―――はぁ~今日は散々な日だった……。いろんな意味で」
ヨハンネはつぶやいた。ミネルヴァがいきなり彼の顔を覗き込む。眉を八の字にしている。
「ご主人様。申し訳ありません。私の失態です」
「いいよ。別に仕方ないよ。だってミネルヴァはプルクテスの街並みを知らないから」
「しかし……」
ヨハンネは覗き込んできたミネルヴァの顔に土で汚れいるのに気がついた。左手をそっと彼女の頬にあてて親指で拭き取る。それに彼女は身体をビクつかせた。
「……ミネルヴァ……僕は少し疲れた。ひと眠りするよ」
それに彼女は瞼を一度、長く閉じ、再び開けるとささやいた。
「おやすみなさいませ。ご主人様」
無表情ではあるが、どこか彼女の優しさと思いやる心が左手から伝わってくるような感じがした。そして、ヨハンネは急にまぶたが重くなってきて、眠りについた。
ミネルヴァは少しの間、ヨハンネの顔を見つめていた。
「―――私は今度こそ貴方を守ります。最後の日までお側に」
そう言い残すと部屋からゆっくりと立ち去るのであった。
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そのまま一日が過ぎる。ヨハンネはゆっくりと目を開けて、天上を見つめた。それから、上半身を起こし目をこすった。
(―――――――あ―かなり強く殴られたんだ。まだ少し痛いや。それにしても誰も居ない……こんなに広い部屋には僕一人だ)
ヨハンネは孤独を感じていた。ミネルヴァはどこに行ったのだろうか。そして、いつ彼女を脱国させるべきか。彼女の事をいろいろ考えていると部屋の扉からノック音がした。
「ヨハンネ様。お部屋に入ってもよろしいですか?」
メイド長ロベッタの声だった。彼はいろいろ考えていたが切り替えて寝癖がついた髪を押さえて返事した。いつも通りの朝の挨拶だ。ヨハンネの家では朝になると毎日、メイドらからおはようの挨拶と朝ご飯を持ってきてくれる。
「どうぞ」
ロベッタが断りを入れてから扉を開き、ぞろぞろとメイド服を着た人達が入って来る。部屋に入るごとに一人一人がおはようございますと言う。それに毎日、手の平を上げて、彼はおはようと返事を返す。日課なのだが―――――実はめんどくさい。しかも朝早い。昼まで寝かしてくれないのかな。
(――――――ある意味、囚人と同じかも……)
今日もいつも通りと思ったがメイドの数が合わない。
(――――――なぜか一人多い気がする……)
新人が入ったのだろうと予測したヨハンネだったが違和感を感じた。黒髪のメイドが一人、無表情で立っている。
(―――――――珍しいな。ん? なんだろうか。見覚えがある人なんですが……)
ヨハンネは目を細めて、ジーと新しいメイドを見つめた。その彼女は自分が見つめられているのに気がつくと一礼して挨拶する。
「おはようございます。ご主人様」
「み、み、み、ミネルヴァぁあああああッ?!」
ヨハンネがベットから飛び出るとメイド服を着たミネルヴァに勢いよく近づいた。
「……あ、あの、何か?」
「いやいやいや、何か? とかじゃあなくて、何でそんな服を?!」
「はい。ロベッタさんがご主人様のお役に立ちたいのならば、メイドをすれば良いと言われましたので。これからは貴方様の身の回りのお世話をさせて頂きます」
ヨハンネは驚きながらもミネルヴァのメイド姿を足先から頭の先まで見た。
(――――――あれ……似合ってる)
「あの、ロベッタさん?」
ヨハンネが説明してもらいたいような顔をして言った。
「ちょうどメイドが一人欲しかったんです。しかも、彼女は優秀。料理はダメだったけど……ヨハンネ様の護衛にも最適です。いやー流石です。ヨハンネ坊ちゃんもお父上と同じく、目が利きますわ」
(―――――――確かに父上は仕入れの達人と業界では言われる男ではあるが……)
ちなみにロベッタが料理というキーワードで口を濁らせたのは問題があったからである。ミネルヴァには料理について、一通り教えたがのだが。食材をまな板ごと包丁で切り刻むなどの恐ろしい事をしでかしたからである。その後、彼は出された朝飯を無事に食べることができた。野菜スープの中に木片が入っていたことには驚いた。それをなにもなかったかのように振舞って彼はミネルヴァに微笑みを送った。メイドらが退出し、ひと段落してから、ヨハンネは空になった木皿を見入る。
ヨハンネの計画が徐々に狂いだしていた。まるで、時計の歯車が外れたように。彼女を雇う為にあの場所から連れ出した訳ではない。彼女を救う為だ。この奴隷大国、プルクテスから逃げて、そして幸せに暮らして欲しい。
(―――――でも……どこかで、彼女が居なくなるのが“怖い”という感情があるような気がする……怖い?)
彼は怖いとか思うのは初めてかもしれない。ミネルヴァは怖いとか感じた事はないのだろうか。そう心の中で疑問したのであった。
ヨハンネ「まな板まで、切り刻んだって本当?」
ミネルヴァ「………」
ヨハンネ「図星なんだ」
ミネルヴァ「申し訳ありません。ご主人様」
ヨハンネ「いいよ。闘技みたいに人をバラバラにするより、ずっとましだ」
ミネルヴァ「必要であれば、敵をバラします」
飯塚「あのーすみませんが、もっと女の子らしくして欲しいんですけど」
ミネルヴァ「貴方の指図は受けません。帰って下さい」
飯塚「うっ。彼女って本当に冷たいよね……」




