第2話 存在ごと消えた兄
朝から最悪だった。
「だから言っただろ。普通の高校生は、朝イチで“窓の外に顔が張りつく怪異”なんて見ないんだよ」
「見えるようになったのは、お前がこちら側に入ったからだ」
「その“こちら側”ってワード、便利に使いすぎだろ」
俺――吉川エイジは、学校へ向かう通学路で、隣を歩く死神に文句を垂れていた。
黒い外套。白い顔。肩に鎌。
朝の通学路に一番いてはいけない存在が、何食わぬ顔で隣を歩いている。
しかも誰も気づいていない。
「……何で誰もお前を見てねぇんだよ」
「見える者にしか見えん」
「便利設定かよ」
「死神だからな」
「その一言で押し切るな」
そして俺の頭の上では、黒猫が偉そうに香箱を組んでいた。
「今日も平和だねぇ」
「どこがだよ」
「少なくとも、今のところ首は飛んでない」
「比較対象が終わってんだよ!」
アマネ――本田天音は、朝日を浴びて気持ちよさそうに目を細めている。
見た目は完全に普通の黒猫だ。
だが中身は、口の悪い元・人間である。
「っていうか、何でお前、俺の頭の上が定位置みたいになってんだよ」
「高いところ、好き」
「猫か」
「猫だけど」
「そうだったな!」
自分で言って、自分で疲れた。
昨夜のことを思い出す。
死神にスカウトされ、喋る猫と出会い、探偵事務所へ連れていかれ、
最後には、窓一面に小さな手形が浮かび上がった。
そして、依頼ファイルに書かれていた一文。
⸻
『兄がいたはずなんです』
⸻
どう考えても、まともじゃない。
「……で」
俺は前を向いたまま言った。
「結局、あの依頼は何なんだよ」
「そのままの意味だ」
クロウが答える。
「ある日突然、兄の存在が消えた」
「いや、意味が分からん」
「だから依頼になる」
「正論で殴るな」
アマネが頭の上で、しっぽをぱたぱた揺らした。
「でも本物だよ」
「……何が?」
「“忘れられてる感じ”」
その言い方に、少しだけ背筋が冷えた。
「怪異が人を消す時ってね、ただ死ぬのとは違うの」
アマネの声が、珍しく静かになる。
「名前も、記録も、思い出も。
最初からいなかったみたいに削れていく」
「……」
「だから、気づける人の方が少ない」
「お前、そういう怖いことサラッと言うのやめろ」
「怖いのは、これからだよ」
「予告すんな!」
学校の校門が見えてきたところで、クロウが立ち止まった。
「放課後、事務所へ来い」
「嫌だ」
「依頼人が来る」
「人の話を聞け!」
「初案件だ」
「勝手に決めんな!」
「就業開始だな」
「就業してねぇんだよ俺は!!」
クロウは満足したのか、そのまま踵を返した。
アマネも俺の頭からひょいと飛び降り、クロウの肩へ移る。
「頑張ってね、新人くん」
「その呼び方やめろ!」
黒い外套と黒猫が、朝の人混みに紛れて消えていく。
俺は校門の前で立ち尽くした。
「……帰りてぇ」
だが、当然ながら学校は始まる。
人生は、理不尽だ。
⸻
その日の授業は、ほとんど頭に入らなかった。
黒板の文字を追っていても、ふと窓ガラスに目が行く。
廊下の角を見るたび、誰かが立っていそうな気がする。
いない。
でも、見えないだけかもしれない。
「……最悪だ」
ぼそっと呟いたところで、
「吉川くん」
聞き慣れない女子の声がした。
「え?」
顔を上げると、教室のドアのところに、一人の女子生徒が立っていた。
肩までの黒髪。
少し青ざめた顔。
制服は同じだが、学年は一つ下だろうか。
「あの……少し、いいですか」
クラスの何人かがこちらを見る。
何だこの状況。
俺、そんな青春イベント予約した覚えないぞ。
「……えっと、俺?」
「はい。吉川エイジ先輩、ですよね」
「いや何でフルネーム」
「すみません、確認したくて……」
その声は、どこか切羽詰まっていた。
俺は少しだけ真顔になる。
「……何?」
彼女は周囲を気にするように教室の中を見回し、小さく言った。
「放課後……少しだけ、お時間ありますか」
「……」
「相談したいことが、あるんです」
その瞬間だった。
彼女の肩の向こう。
廊下の窓ガラスに、一瞬だけ――
小さな手形が浮かんだ。
「っ……!」
「先輩?」
「あ、いや……」
瞬きをした瞬間、手形は消えていた。
見間違いか。
いや、違う。あれは昨夜と同じだ。
彼女は、不安そうに唇を噛んでいた。
「誰にも……信じてもらえなくて」
その言葉で、嫌な予感が確信に変わる。
「……分かった。放課後な」
「本当ですか……?」
「ああ」
彼女はほっとしたように小さく頭を下げると、そのまま教室を去っていった。
クラスメイトの視線が一気に刺さる。
「おい吉川、お前いつの間に後輩と――」
「違ぇよ」
「いや今の空気、絶対ただの相談じゃ――」
「違ぇって言ってんだろ!」
笑いが起きる。
普段なら適当に返して終わる。
だが今は、そんな気分じゃなかった。
彼女の顔。
あの怯え方。
そして、あの手形。
嫌な予感しかしない。
⸻
放課後。
指定されたのは、校舎裏のベンチだった。
夕方のグラウンドからは、運動部の掛け声が聞こえる。
その明るさが、逆に不気味だった。
ベンチには、昼の女子生徒が一人で座っていた。
近づくと、すぐに立ち上がる。
「すみません、急に呼び止めてしまって」
「いや、それは別に……」
「私、二年の白石まひるです」
「吉川エイジ。……知ってるか」
「はい……」
まひるは両手をぎゅっと握りしめていた。
見れば見るほど、追い詰められている顔をしている。
「で、相談って?」
そう訊いた瞬間。
「にゃー」
「うおっ!?」
ベンチの下から、ぬるっと黒猫が現れた。
「な、何でお前ここに!?」
「助手として当然の同行」
「いや普通に忍び込んでくんな!」
「見張り役でもある」
「誰を!?」
「主にエイジ」
「信用ねぇな俺!」
アマネはひょいとベンチに飛び乗ると、まひるの方をじっと見た。
その目が、さっきまでと少し違う。
「……この子だね」
「え?」
まひるにはただの猫の鳴き声にしか聞こえないらしい。
少し困ったように笑った。
「猫、可愛いですね……」
「今そこじゃねぇだろ!」
「可愛いのは事実」
「認めるけど今じゃない!」
アマネは尻尾を揺らしながら、まひるの足元を見つめている。
「……濃い」
「何が」
「残ってる」
「だから怖い言い方すんな!」
その時、背後から足音がした。
「騒がしいな」
「来たのかよ」
振り返ると、当然のようにクロウが立っていた。
「何で学校にいるんだよお前!」
「依頼現場だ」
「理屈は通ってるのが腹立つな!」
まひるは、クロウの姿にまったく反応しない。
やはり見えていないのだろう。
「……先輩、その人……」
「見えてないなら気にしなくていい!」
「逆に気になる言い方ですけど!?」
俺は咳払いして、無理やり本題に戻した。
「……それで、相談って」
まひるの表情が、一気に沈んだ。
彼女はしばらく黙り込んだあと、震える声で言った。
「……兄が、いたんです」
夕方の空気が、急に冷えた気がした。
「でも……誰も、覚えてないんです」
「……」
「母も、父も、先生も、友達も。
最初から兄なんていなかったみたいに言うんです」
俺は黙って聞くしかなかった。
「写真も消えてました。
家族写真にも、卒業アルバムにも、スマホの画像にも……兄だけいないんです」
「……そんなこと、あるわけ……」
言いかけて、飲み込む。
昨日までの俺なら、そう言っていた。
だが今の俺は、そう簡単に否定できない。
クロウは腕を組んだまま、静かに聞いている。
アマネは、まひるの足元から離れない。
「でも……」
まひるは顔を上げた。
「昨日の夜、兄から電話が来たんです」
「――っ」
思わず息を呑む。
「知らない番号だったのに、声だけはすぐ分かりました。
絶対に、お兄ちゃんだったんです」
「何て?」
俺が聞くと、まひるの顔から血の気が引いた。
「……『旧校舎には行くな』って」
その瞬間、ベンチの下でアマネの毛がぶわっと逆立った。
「っ、来てる」
「は?」
「今?」
アマネの声が低くなる。
「近い」
クロウの目が鋭く細まる。
「どこだ」
「この学校の中。
……でも、“一つ”じゃない」
「おい待て、何が――」
言い終わる前に。
――ガンッ!!
校舎のどこかで、何かが激しくぶつかる音がした。
まひるが肩を震わせる。
「ひっ……!」
次の瞬間。
校舎の三階。
誰もいないはずの窓に、人の顔が張りついていた。
「――ッ!!」
白い。
異様に白い。
目だけが真っ黒で、こちらを見下ろしている。
「見えるのか」
クロウが言う。
「……見える」
俺の声は、情けないくらい掠れていた。
「なら、もう後戻りはできん」
「今それ言う!?」
その“顔”は、ぬうっとガラスに押しつけられたまま、口だけを動かした。
何か言っている。
だが聞こえない。
聞こえないはずなのに――
「……おにい、ちゃん……?」
まひるが、ぽつりと呟いた。
その瞬間。
顔が、ぐにゃりと笑った。
「ッ!!」
窓ガラス一面に、べたり、べたり、べたりと小さな手形が増えていく。
校舎の壁を、何かが内側から這い回っている。
「うわっ、うわああっ!?」
「落ち着いて!」
「無理だろこれ!!」
アマネが叫ぶ。
「エイジ、まひるを連れて下がって!」
「お前は!?」
「先に見る!」
「何をだよ!」
クロウが鎌を抜く。
空気が一気に重くなる。
「旧校舎だ」
「……は?」
「依頼の中心は、そこにある」
まひるが、震える声で言った。
「……兄は、あそこにいるんですか」
クロウは答えなかった。
だが、その沈黙が答えみたいだった。
校舎三階の“顔”が、ゆっくりとガラスから剥がれる。
そして、見えた。
その首が、ありえない方向に曲がっていた。
「……っ」
吐き気が込み上げる。
その“顔”が、最後にもう一度だけ口を動かした。
今度は、はっきり読めた。
⸻
『開けるな』
⸻
次の瞬間、窓の向こうから真っ黒な手が何本も突き出してきた。
ガラスを叩く。
叩く。
叩く。
まるで、中から何かを出そうとしているみたいに。
まひるの悲鳴が夕暮れに響く。
俺は、その窓から目を離せなかった。
そして気づく。
あれは俺たちを見ているんじゃない。
“旧校舎の方へ行け”と、指さしている。
アマネが低く呟いた。
「……もう、始まっちゃってる」
クロウは鎌を握り直し、静かに言う。
「今夜、旧校舎へ行く」
「はぁ!?」
「依頼を受けるぞ、エイジ」
「いや、俺の意思は!?」
「ない」
「断言すんな!!」
だが、叫びながらも分かっていた。
もう、逃げられない。
見えてしまった。
聞いてしまった。
そして、関わってしまった。
まひるの兄は、本当に消えたのか。
それとも、まだどこかにいるのか。
その答えはきっと――
旧校舎の中にある。
⸻
つづく
天音のひとこと
第2話「存在ごと消えた兄」、公開中です!
昨日まで、確かにそこにいたはずなのに――。
「兄って……誰のこと?」
みんなの記憶から、ひとりの存在が消えていく。
エイジが知る、兄の存在とは……?
そして、その先に待っているものは――。
今回も、ぜひ読んでみてくださいね。✨
『ビビりな俺は、死神ワークスで“生き様を断つ”仕事してます。』




