五本勝負
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それでは、どうぞお楽しみください。
左腕の治療が終わったのは、それから八日後だった。
最後の診察で治療師は傷跡を何度か押し、腕を伸ばさせ、剣を握った状態でも力を入れさせた。痛みも違和感もなく、動かしたあとに腫れが出ることもない。しばらく俺の腕を確認していた治療師は、ようやく小さく息を吐いた。
「もう制限はなし。剣も走り込みも、好きに戻していいよ」
「本当に?」
「本当に。ただし、怪我する前と同じ馬鹿みたいな量に一日で戻すって意味じゃないからね」
釘を刺された。
この八日間も何もしていなかったわけではない。剣の回数を少しずつ戻しながら、走り込み、跳躍、体幹、足運びを続け、空いた時間には魔力操作を繰り返した。追跡役にも二度付き合ってもらい、森の外縁で古い足跡と新しい足跡を見比べたが、こちらはまだ一人で正しく判断できるほどではない。
それでも以前より、鍛えるものは増えた。
朝に身体を作り、剣を振る。その途中でも足運びや姿勢を意識し、休憩に入れば魔力を操作する。夜にはその日の失敗を書き出す代わりに頭の中でもう一度順番に辿り、次に直す部分を決める。
剣だけで一日が終わることはなくなった。
だからといって、剣を減らしたわけでもない。
むしろ限られた時間の中で全部を続けるため、以前より一回の鍛錬を無駄にできなくなった。
治療室を出ると、そのまま訓練場へ向かった。
今日は約束の日だった。
◇
エリオットはすでに来ていた。
訓練場の端ではマルク・レイナーが腕を組み、その少し離れた場所にはゼノもいる。俺が近づくと、エリオットは木剣を肩に載せたまま笑った。
「やっと治った?」
「うん」
「じゃあ今日は途中で終わらないね」
「終わらない」
俺も木剣を一本選ぶ。
前回と同じ。
五本勝負。
ただし、前回の俺とは違う。
そして、エリオットも違う。
マルクが中央へ出た。
「条件は前と同じだ。明確な打撃、もしくは続行すれば致命傷になると判断できる位置で一本。危険な攻撃は禁止。異論は?」
「ないです」
エリオットが答える。
「ない」
俺も頷いた。
「なら準備しろ」
向かい合う。
五歩ほどの距離。
俺は一度、息を吐いた。
前回は四対一で負けた。
あの一勝も、圧倒したわけではない。何度も攻撃を受けた末に、ようやく一本をもぎ取っただけだった。
今日は最低でも、それ以上を取る。
だが、前回の結果だけを追っても意味はない。
今のエリオットを見る。
両足の幅は狭い。
剣先は俺の胸より少し下。
肩には力が入っていない。
《観察 Lv3》で細かな動きを見ながら、《戦域把握 Lv3》で互いの位置と訓練場の広さを頭の中へ置く。
相手は一人。
それでも俺が立っている場所まで消えるわけではない。
「始め!」
マルクの声が響いた。
エリオットが動いた。
速い。
前回の軽い打ち合いで見た踏み込みより、さらに一段深い。
俺は最初から受けない。
右へずれながら距離を外し、振られた木剣の横を抜ける。
一撃目は避けた。
そのまま左から返してくる。
俺は剣を合わせる。
木剣同士が鳴った。
押し合わない。
触れた瞬間に力を横へ逃がし、自分も斜め後ろへ動く。
完全な受け流しにはならないが、正面から衝撃を受けるより軽い。
エリオットの三撃目が来る。
剣だけを見るな。
肩。
腰。
右足。
踏み込みが少し浅い。
次へ繋げるつもりだ。
俺は一歩下がりながら、わざと右側を空けた。
《誘導歩》。
そこへ入りたくなる位置を作る。
エリオットの視線が一瞬だけ動いた。
来る。
俺は先に足を動かした。
だが、エリオットは踏み込まなかった。
「……っ」
誘ったと気づかれた。
次の瞬間、逆側から剣が来る。
予定していた位置と違う。
俺は身体を捻って避けるが、木剣が服の脇を掠めた。
まだ一本ではない。
着地した右足へ力を入れる。
離れない。
ここで下がれば、相手の距離になる。
俺はそのまま前へ出た。
エリオットが剣を戻すより先に、自分の木剣を振る。
狙いは肩。
エリオットは受けた。
そこまではいい。
剣同士がぶつかった瞬間、力を抜く。
前回の打ち合いでも試した動き。
弾かれることに逆らわず、身体を外へ送る。
右へ。
そのまま剣を返す。
エリオットも下がる。
届かない。
それなら追わない。
俺はその場で止まった。
「へえ」
エリオットも止まる。
最初から仕切り直す。
焦る必要はない。
以前なら、あと少しだったと思って追いかけていた。
追えば相手が有利な距離へ戻る。
だから追わない。
エリオットから来させる。
数秒。
先に動いたのは向こうだった。
今度は剣を振らず、距離だけを詰める。
俺も一歩下がる。
さらに一歩。
エリオットが止まった。
俺も止まる。
距離が少し近い。
ここからなら、一歩で互いの剣が届く。
エリオットの右肩がわずかに下がった。
来る。
俺は左へ動いた。
しかし、剣は来なかった。
肩だけ。
誘われた。
気づいた瞬間には、エリオットが俺の移動先へ踏み込んでいた。
木剣が横から迫る。
俺は剣を立てる。
受けた。
だが足が止まった。
次が来る。
上。
受ける。
下。
引く。
突き。
身体を捻る。
四つ目を避けたところで、完全に守りへ回った。
まずい。
このままでは押し切られる。
エリオットがもう一歩入る。
俺は下がる代わりに、前へ踏んだ。
距離を潰す。
剣を振れる幅そのものを狭くする。
エリオットの木剣が肩へ届く前に、俺の身体が内側へ入った。
剣では間に合わない。
だから柄に近い部分を相手の腕へ当てようとする。
だが、エリオットはさらに速かった。
身体を半歩だけ引きながら、短く剣を返す。
木剣の先端が俺の胸へ触れた。
止まる。
「一本!」
マルクの声。
俺は息を吐いた。
エリオットが距離を取る。
「危なかった」
俺は胸を見る。
一本取られた。
でも、以前とは違う。
何もできずに崩されたわけではない。
「今の最後、なんで下がらなかったの?」
エリオットが聞く。
「下がったら負けると思ったから」
「僕もそう思った」
それで、俺が前へ来ることまで読まれた。
やっぱり速い。
剣だけではない。
考える速度も。
「次」
俺は構え直した。
一本目。
エリオット。
残り四本。
◇
二本目が始まった。
今度は俺から距離を詰めた。
最初から《誘導歩》を使わない。
一度見られている。
同じ形を続ければ、エリオットはもっと早く対応する。
まず普通に攻める。
右上から一撃。
受けられる。
横へ返す。
避けられる。
踏み込んで突く。
剣先で外へ流される。
三つとも通らない。
だが、これは取るための攻撃ではない。
エリオットがどう受けるかを見る。
上からの攻撃には剣を斜めに当てる。
横は身体を引く。
突きには剣先を使う。
もう一度。
今度は右上から振るふりをする。
エリオットの剣がわずかに上がる。
そこで止める。
踏み込みだけを続ける。
距離を詰める。
エリオットが後ろへ下がった。
俺も追う。
一歩。
二歩。
ここで剣を振る。
受けられる。
でも、相手の後ろには訓練場の端が近い。
前回使ったやり方だ。
当然、エリオットも覚えている。
俺が位置を寄せていることに気づき、横へ抜けようとする。
そこを狙う。
右へ抜けやすく見せる。
《誘導歩》。
エリオットが右へ出た。
俺も動く。
だが剣は振らない。
相手の進路の少し先へ足を置く。
エリオットが止まる。
予想より早い。
それでも、完全には自由ではない。
後ろに壁。
前に俺。
左へ戻れば、さっきまでいた位置へ戻る。
一瞬だけ選択肢が減る。
そこへ剣を振る。
エリオットが受ける。
強く当てる。
相手の剣が外へずれる。
次。
返す。
エリオットは身体を沈める。
俺の木剣が頭上を通る。
低い位置から反撃が来る。
腹。
俺は左足を引いた。
ぎりぎり外れる。
同時にエリオットが前へ出る。
逃がさないつもりだ。
だったら。
俺はさらに左へ回る。
訓練場の中央へ戻ろうとする相手の進路へ、自分の身体を置く。
エリオットの剣先がこちらへ向く。
攻撃ではない。
牽制。
そこへ意識を向けた瞬間、俺は右へ踏み替えた。
位置を入れ替える。
エリオットがこちらを追うため身体を回す。
その回転に合わせて一歩。
剣を出す。
狙いは左肩。
エリオットが剣を上げる。
読まれている。
だから途中で軌道を落とした。
肩ではなく脇腹。
エリオットも剣を下げる。
まだ間に合う。
でも、その分だけ足が止まった。
今だ。
俺は剣を引いた。
斬らない。
さらに一歩だけ外へ出る。
視線と剣先で相手を止め、足だけを動かす。
エリオットが俺を正面へ捉え直そうとする。
その瞬間、彼の右足と左足が一瞬だけ近づいた。
姿勢が狭い。
俺は踏み込んだ。
剣ではなく、まず足で距離を奪う。
エリオットが下がる。
一歩。
その先は壁だ。
止まる。
俺は木剣を振った。
エリオットも受けようとする。
だが、今度は剣の接触を待たない。
直前で手首を返し、剣先をわずかに外へ逸らす。
相手の木剣の横を抜けた。
肩へ。
乾いた音。
俺の木剣がエリオットの左肩を叩いた。
「一本!」
マルクの声が響いた。
俺はすぐに剣を引いた。
一瞬、静かになる。
エリオットが自分の肩を見る。
俺も見た。
当たった。
確かに。
「一本取った」
思わず口に出た。
「取られたね」
エリオットが笑う。
前回の一本とは違う。
偶然ではない。
相手がどこへ動くかを見た。
動ける場所を減らした。
攻撃を見せて、足を止めた。
最後に剣を通した。
《誘導歩》だけではない。
《戦域把握》だけでもない。
足運び。
剣。
距離。
壁。
全部を使った。
一対一。
相手は一人。
それでも、戦場はある。
「面白い」
エリオットが言った。
笑っている。
でも、さっきまでとは少し違う。
木剣を握る手が上がる。
目が、俺の剣だけではなく足元まで見るようになった。
対応された。
一本取っただけで終わらない。
次からは、今のやり方まで含めて相手が変わる。
それでいい。
一対一。
一本ずつ。
今は一対一。
エリオット 一。
俺 一。
「三本目」
マルクの声が響いた。
俺たちは再び距離を取った。
◇
開始と同時に、違いが分かった。
エリオットが来ない。
これまでの二本は向こうから距離を詰める場面が多かった。今度は中央付近に立ったまま、俺が動くのを待っている。
位置を使わせないつもりだ。
壁へ寄せるなら、俺から近づく必要がある。
《誘導歩》で道を見せても、乗らなければいい。
一本取られただけで、もう対応を変えた。
「……速いな」
俺が呟く。
「何が?」
「直すの」
エリオットは少し考えた。
「負けたくないからね」
同じだ。
俺だけではない。
なら、こっちも変える。
俺は正面から歩く。
あと三歩。
二歩。
一歩で届く距離へ入る前に、エリオットが剣を動かした。
突き。
速い。
俺は横へ避ける。
追ってこない。
距離が開く。
また近づく。
再び突き。
今度は剣で外へ流す。
それでもエリオットは入ってこない。
自分の間合いを維持している。
俺が位置を動かそうとするなら、そもそも動かない。
だったら俺が崩すしかない。
右へ。
エリオットはその場で向きを変える。
左へ。
また追うだけ。
足はほとんど動かない。
中心を渡さない。
俺は一度止まった。
どうする。
正面から剣術だけで崩せば、たぶん負ける。
だからといって、何もできないわけではない。
俺は木剣を少し下げた。
エリオットの視線が動く。
剣。
肩。
足。
俺が何を狙っているか探している。
そのまま右手へ意識を向ける。
魔力を流す。
薄く。
剣を握ったまま。
最近続けている鍛錬。
戦いで役に立つほどのことはできない。
身体を強化できるわけでもない。
木剣から魔法が出るわけでもない。
ただ、流す。
一歩出る。
まだ保てる。
二歩目。
魔力が揺らぐ。
エリオットが動いた。
今。
俺は魔力を捨てた。
集中を全部、目の前へ戻す。
さっきまで魔力へ割いていた意識を急に切ったことで、身体が一瞬だけ軽く感じる。
エリオットの突き。
横へ。
避ける。
追撃。
来た。
初めて向こうが前へ出た。
俺が何かすると思って、止めに来た。
使える。
魔力そのものではない。
相手が知らない動作を見せたことが、選択を変えた。
俺は下がる。
エリオットがもう一歩来る。
そこへ《誘導歩》を重ねる。
斜め左を空ける。
だが、エリオットは乗らない。
右へ来た。
読まれている。
木剣が迫る。
受ける。
重い。
そのまま二撃目。
三撃目。
防ぐ。
四撃目。
俺は身体を外へ逃がした。
だが、エリオットの足が先にそこへ入る。
逃げ道を塞がれた。
壁は遠い。
地形ではない。
俺自身の位置を使われている。
剣を上げる。
間に合わない。
木剣が俺の脇腹で止まった。
「一本!」
二対一。
エリオットが剣を引く。
俺は息を整えながら、さっきの最後を思い返す。
壁へ追い込まれたわけではない。
なのに逃げ道を塞がれた。
俺が二本目でやったことを、もう使われた。
「今の」
俺が言う。
「何?」
「俺の真似?」
エリオットが少し笑う。
「ちょっとだけ」
やっぱり。
たった一度。
それで使う。
胸の奥が熱くなる。
悔しい。
本当に。
でも、それ以上に分かりやすかった。
これが才能なのだ。
俺が何度も失敗し、考えて、森や村でようやく形にしたものを、エリオットは戦っている最中に見て、自分のやり方へ直して使う。
「レオン」
ゼノの声が外から飛んできた。
「考えるのはいいが、飲まれるな」
分かってる。
エリオットがすごい。
それで終われば、何も変わらない。
俺は何をする。
一度で覚えられないなら、何度でもやる。
向こうが俺の動きを使うなら、それも見る。
真似された動きから、俺がまた学べばいい。
木剣を握り直す。
「次」
二対一。
あと二本。
一つ取られれば、エリオットの勝ち。
でも、まだ終わっていない。
◇
四本目。
エリオットは再び中央を取った。
俺が近づく。
突きが来る。
今度は避けない。
剣先を斜めから当てる。
正面で止めず、外へ流す。
腕へ衝撃が残る。
まだ下手だ。
それでも剣先の向きは逸れた。
その瞬間に踏み込む。
エリオットが下がる。
俺は追う。
さっきまでなら、ここで壁へ寄せようとしていた。
やらない。
壁を意識させるだけでいい。
一歩右へ寄る。
エリオットの視線が右奥を見る。
俺がそちらへ回り込むと思ったはずだ。
行かない。
真っ直ぐ。
剣を振る。
受けられる。
次は左。
また受けられる。
打ち合う。
一撃。
二撃。
三撃。
剣術だけなら負ける。
分かっている。
だから打ち合いながら足を見る。
エリオットは俺の剣に合わせて最小限だけ身体を動かしている。
右からの攻撃には左足を少し引く。
左からなら右足。
繰り返す。
同じではないが、癖はある。
五撃目。
俺は右から振る。
エリオットの左足が下がる。
六撃目。
左。
右足が動く。
七撃目。
また右。
左足。
分かった。
次。
俺は右から来るように肩を動かした。
エリオットの左足が先に準備する。
そこで剣を止める。
踏み込む方向を逆に変えた。
エリオットの身体が一瞬遅れる。
《誘導歩》。
大きく動かす必要はない。
半歩でいい。
半歩ずれれば剣の角度が変わる。
俺は左側へ入った。
エリオットが剣を戻す。
間に合う。
そのままなら。
だから木剣を振らず、さらに身体を寄せた。
また距離を潰す。
エリオットが下がる。
今度は追う。
一歩。
二歩。
でも壁へは寄せない。
逃げる方向を残す。
エリオットがそこへ出た。
予想した場所。
俺は先に身体を回す。
木剣が来る。
受ける。
その力を外へ逃がす。
剣が弾かれる。
俺も回る。
前回なら、そこで剣を返していた。
エリオットもそれを待っている。
だから返さない。
回転の途中で足を止める。
エリオットの剣だけが先に動いた。
空振り。
ほんの僅か。
でも空いた。
俺は剣を返した。
エリオットが気づく。
身体を引く。
間に合うか。
俺の剣先が伸びる。
あと少し。
エリオットの木剣もこちらへ来る。
互いの剣が交差した。
俺の肩に衝撃が来るより先に、手の中へ確かな感触が伝わった。
木剣がエリオットの胸へ触れている。
同時に、彼の剣先は俺の肩からわずかに外れたところで止まっていた。
「一本!」
マルクの声。
俺は動きを止める。
二対二。
息が荒い。
腕も重い。
エリオットも少しだけ呼吸が速くなっている。
初めてだった。
前回は四対一。
今日はここまで二対二。
最後の一本。
エリオットが胸元を見る。
それから俺を見る。
さっきまで浮かんでいた笑みが少し薄い。
嫌そうな顔ではない。
むしろ逆だった。
「レオン」
「何?」
「次、本気でいくよ」
今まで手を抜いていたという意味ではない。
分かる。
一つ一つ試す余裕を捨てるということだ。
俺も木剣を構える。
「俺も」
マルクが俺たちの間を見る。
ゼノは何も言わない。
二対二。
次で決まる。
前回より二本多く取れた。
最初に立てた目標だけなら、もう達成している。
そんなことはどうでもよかった。
ここまで来たら。
勝ちたい。
「五本目」
マルクが腕を上げる。
エリオットの構えが変わった。
ほんの少しだけ低い。
俺も腰を落とす。
剣。
足。
距離。
相手の目。
周囲の位置。
全部を見る。
全部使う。
「始め!」
俺たちは同時に踏み込んだ。
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それでは、次回の更新でお会いしましょう!




