届かない距離
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それでは、どうぞお楽しみください。
翌朝、ゼノに連れられて向かったのは、アルネリアの西側にある冒険者向けの共同訓練場だった。
訓練院よりも広く、使っているのはほとんどが大人だ。土を固めただけの区画に加えて、砂地や木製の障害物、簡単な壁や段差まで用意されている。剣を振る形を覚えるというより、実戦に近い状況で動くための場所らしい。
「ここはギルドが管理してるの?」
「半分はな。残りは兵士や傭兵も使う」
「強い人も来る?」
「来る」
ゼノは受付で簡単な手続きを済ませ、そのまま奥へ進んだ。
何組もの冒険者が訓練している。片手剣と盾、大剣、槍、短剣。素手で組み合っている者までいて、昨日の訓練院とは武器も戦い方もばらばらだった。
しかも、誰が強いのか一目では分かりにくい。
構えが雑に見えるのに相手の攻撃だけは当たらない男がいる。逆に、綺麗な姿勢で剣を振っているのに、少しずつ追い込まれている人もいた。
「何を見る?」
ゼノが聞いた。
「全部」
「昨日と同じ失敗をするぞ」
そうだった。
少し考えて、一つに絞る。
「じゃあ、足」
「いい」
剣の速さや腕の動きをなるべく追わず、足と距離だけを見る。
すると、昨日見た子供たちとの違いがすぐに分かった。訓練院では一歩前へ出る、一歩下がるという動きがはっきりしていたのに、ここでは半歩にも満たない移動だけで攻撃を外している者がいる。
近い。
なのに当たらない。
避けたあとも、相手との距離がほとんど変わっていない。
「……動いてないみたい」
「動いてる」
「でも少しだけ」
「必要な分しか動いてないからな」
俺はこれまで、攻撃を避けるなら確実に外れる場所まで動くことが多かった。《回避 Lv5》もあるから、それで助かった場面は何度もある。
ただ、大きく避ければその分だけ相手からも遠ざかる。
逃げるならいい。
反撃するなら、遠い。
「ちょっとやっていい?」
「何を」
「小さく避ける」
ゼノは近くの空いている区画を見てから、木剣を一本取った。
「十回だけだ」
「分かった」
向かい合い、ゼノの攻撃を避ける。
最初の数回は、動かなさすぎて普通に当たった。今度は避けようとして外へ逃げすぎる。ちょうどいい位置を探しているうちに、十回目でようやく木剣が胸の前を通り過ぎ、そのままならこちらの剣も届く場所に残れた。
「今の?」
「一回だけな」
それでも感覚は残った。
もう一度やりたかったが、ゼノは木剣を戻した。
「今日はそれを覚えに来たんじゃない」
「でも今の大事」
「だから頭に置いて、次を見ろ」
仕方なく頷く。
その直後だった。
少し先の区画に、人が集まっているのが見えた。
◇
十人以上に囲まれた中央で、二人の男が向かい合っていた。
一人は大柄だった。ガレスより背が高く、太い腕には重そうな木製の大剣を持っている。短く刈った髪に、鼻を横切る古い傷。立っているだけでも力が強いのは分かる。
その正面にいるのは、ずっと小さかった。
俺よりは大きいが、周囲の大人と比べれば明らかに若い。灰色がかった青髪を短く整え、黒い軽装を着ている。細身の身体に、武器は普通の木剣一本だけだった。
「子供?」
「十五だ」
ゼノが答えた。
「知ってるの?」
「名前くらいはな」
そのとき、模擬戦が始まった。
大柄な男が踏み込み、大剣を横へ振る。
速い。
見た目よりずっと速い。
少年は大きく避けなかった。ほんの少し後ろへずれただけで、大剣が胸の前を通り過ぎる。
次の瞬間には前へ戻っていた。
木剣が男の手首へ触れる。
「一本!」
周囲から声が上がった。
俺は無意識に足を見る。
今の。
さっき俺が練習したのと同じように見えた。
でも違う。
俺は攻撃を見て、ぎりぎりまで避けようとした。
あの少年は最初から、避けたあとに自分の剣が届く位置へ動いている。
「もう一回!」
大柄な男が笑った。
二本目は慎重だった。
今度は大剣を振り回さず、小さく距離を詰めていく。少年も合わせるが、二人ともほとんど剣を振らない。
一歩。
半歩。
身体の向き。
それだけで距離が変わる。
男が突然、真っ直ぐ突いた。
少年は木剣で外へ流し、そのまま距離を詰めてきた男の胸へ左肩を当てる。大柄な身体が一歩だけ崩れ、その間に少年はもう剣を使える距離へ戻っていた。
喉元に木剣が止まる。
「二本目!」
まただ。
男の方から攻めている。
なのに、最後には少年が都合のいい場所に立っている。
「あの人、何してる?」
「距離を取ってる」
ゼノが答えた。
「それだけ?」
「それだけだ」
そんな簡単な話には見えない。
三本目を見る。
今度は、剣より先に二人の位置だけを追う。
男が一歩出れば、少年は半歩下がる。
男が止まれば、少年も止まる。
近い。
でも届かない。
そのくせ、少年が前へ出れば一歩で届く。
「腕の長さが違う?」
「ほとんど変わらん」
「じゃあ何で」
「先に位置を決めてるからだ」
その言葉で、ようやく見方が変わった。
少年は、攻撃されてから正しい場所を探しているんじゃない。相手がどこまで来れば攻撃するのか、自分がどこまでなら下がっても反撃できるのか、それを先に決めている。
《誘導歩》と少し似ている。
相手の選択を見ているところは同じ。
ただし、もっと単純で、ずっと正確だった。
三本目も少年が取った。
大柄な男が大剣を肩に担ぎ、苦笑する。
「相変わらず触れねえな」
「大振りすぎる」
少年が初めて口を開いた。
声もまだ若い。
「分かってるんだがな」
「分かってないから振ってる」
周囲から笑いが起こり、大柄な男も一緒に笑った。
何度も手合わせしているらしい。
「名前は?」
「シオン・ヴァレル」
「冒険者?」
「Cランク」
十五歳。
Cランク。
俺はEランクだから、二つ上。
「レベルは?」
「知らん」
なら、それ以上は分からない。
勝手に決めない。
ただ、強さだけは見れば分かる。
「俺じゃ勝てない?」
「今は勝負にならん」
昨日も似たことを言われた。
でも、エリオットとは違う。
エリオットには一本取れた。
シオンには、今のままなら一本どころか剣を触れさせるところまで行けるかどうか分からない。
◇
模擬戦が終わると、集まっていた人たちも少しずつ散っていった。
シオンは木剣を返しに行く。
俺はその背中を見ながら、自分と何が違ったのかを考えていた。
速さだけじゃない。
剣の上手さだけでもない。
距離。
相手と自分の間にある、ほんのわずかな空間。
そこをずっと先に取っていた。
「戦いたいか?」
ゼノが聞く。
「うん」
「即答か」
「でも今はたぶん無理」
「珍しく分かってるな」
昨日なら、見た直後に頼んでいたかもしれない。
でも今日は、先にやることが分かる。
「自分の間合い、ちゃんと知った方がいい?」
「ようやくそこか」
ゼノは俺の荷物を指した。
「ガレスにもらった紐、持ってるな」
「ある」
誕生日にもらった、足幅を測るための短い訓練用の紐だ。
「使え。自分がどこまで踏み込めるのか、どこまでなら姿勢を崩さず戻れるのか。それくらいは知っておけ」
その日の残りは、それを確かめることに使った。
ただし、延々と同じ踏み込みを繰り返したわけじゃない。普通に剣を振る距離、速く一歩入った距離、斜めから踏み込んだ場合をそれぞれ何度か測るだけにして、数値そのものより身体の感覚とずれている場所を探した。
結果は思っていた以上に曖昧だった。
同じ一歩のつもりでも、数回やれば少しずつ違う。剣を届かせることだけ考えると身体が伸びすぎ、すぐに次の動きへ移れないこともあった。
「シオンは毎回同じなのかな」
「本人に聞け」
ゼノがそう言ったので、本当に聞くことにした。
◇
夕方近く、水場で休んでいると、見覚えのある灰青色の髪が近くを通った。
シオンは一人だった。
さすがにいきなり戦ってくれと言うのはやめた。
まず聞きたいことがある。
「すみません」
シオンが足を止めた。
近くで見ると、十五歳という年齢より少し大人びて見える。灰色の目は細く、表情もあまり動かない。
「何」
「さっきの戦い、見てました」
「そう」
それだけで終わりそうになった。
急いで本題へ入る。
「距離って、どうやって覚えたんですか?」
シオンの視線が俺の腰の剣へ落ち、それから手と足を見る。
「剣士?」
「剣を使います」
「なら振れば分かる」
「同じところから?」
「それじゃ足りない」
少しだけ興味が湧いたらしい。
シオンは立ち止まったまま続ける。
「近いところ、遠いところ、斜め、下がりながら、前へ出ながら。相手がいるなら、相手の武器でも全部変わる」
さっきゼノと試したことより広い。
俺は自分の距離だけ測っていた。
でも実戦では、相手も動く。
「相手の距離も覚える?」
「そっちの方が先でもいい」
「自分より?」
「自分の剣が届く場所だけ分かってても、相手の剣に入ったら斬られるだろ」
当たり前だった。
でも、俺は自分がどう届くかばかり考えていた。
攻撃を当てる距離。
避ける距離。
その二つを別々にしていた。
シオンはたぶん、それを一緒に見ている。
「ありがとうございます」
「別に」
シオンが歩き出す。
少し迷った。
でも、もう一つだけ聞く。
「今度、戦ってもらえますか?」
シオンが振り返った。
「今?」
「今はたぶん無理です」
「何が」
「俺が弱いから」
初めて、シオンの表情が少し変わった。
笑ったわけではない。
ただ、さっきより俺をちゃんと見た。
「名前は?」
「レオン・アルヴェイン」
「何歳」
「九歳」
今度は明らかに目が動いた。
「九歳?」
「はい」
「冒険者?」
「Eランク」
シオンは少しだけ考える。
「俺に一回触れたら終わり。それでいいなら、今でもできる」
心臓が跳ねた。
「やる」
後ろから声が飛んできた。
「駄目だ」
ゼノ。
振り返る。
「一回だけ」
「朝から動いてるだろ」
言われてみれば、身体は少し重い。
まだ戦えると思う。
でも、一番いい状態ではない。
今のシオン相手に、疲れた状態で一回だけ挑んでも、ただ触れないまま終わる可能性が高い。
「明日は?」
俺はシオンを見る。
「昼過ぎならいる」
「じゃあ明日」
「来れば」
ゼノを見る。
「いい?」
「明日の状態次第だ」
完全な許可ではない。
でも止められてもいない。
それで十分だった。
◇
宿へ戻る道で、今日見たものを順番に思い返した。
エリオットは俺より覚えるのが速かった。訓練院では、剣や魔法、足に分かりやすい才能を持つ子供たちを見た。そして今日は、十五歳のCランク冒険者が、ほんのわずかな距離を支配するだけで大柄な相手を一方的に抑えるのを見た。
強さの形が、また一つ増えた。
全部を一度に真似する必要はない。
むしろ、真似しただけでは意味がない。
今日分かったのは、自分の攻撃が届く距離だけでは足りないということだった。相手が届く場所、自分だけが届く場所、避けたあとにも攻撃できる位置。その境目を知って初めて、シオンがやっていたことの入口に立てる。
明日、勝てるとは思わない。
一本を取るとも思っていない。
まずは一回。
シオンに触る。
できなければ、その理由を見る。
今の俺と、届かない相手との間にどれだけ距離があるのか。
次は、それを自分の身体で確かめる。
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