訓練院
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それでは、どうぞお楽しみください。
翌朝、俺は宿の裏庭で千回の素振りを終えた。
昨日までは、エリオットの動きを真似することばかり考えていた。でも今日は違う。足を出す前に相手の肘を見ること、剣を振るときに肩へ力を入れすぎないこと、その二つだけを決めて一回ずつ確かめた。
数を増やすだけでは意味がない。
それはもう、何度も教わっている。
「終わったか」
裏口から出てきたゼノが聞く。
「千回」
「中身は?」
「昨日よりいいと思う」
「思う、か」
「自分では」
ゼノは木剣を受け取ると、俺がさっきまで立っていた場所へ移動した。
「十回振れ」
「もう終わった」
「今度は俺が見る」
それなら話が違う。
木剣を返してもらい、構える。いつものように振るのではなく、足、腰、背中、肩、肘、手首の順番を意識して動かした。
十回。
ゼノは途中で何も言わなかった。
「どう?」
「七回目から肩が上がってる」
「……分からなかった」
「だから見てやった」
自分では直したつもりでも、まだ崩れる。
でも以前なら、指摘されてもどこが悪いのか分からなかった。今は言われれば感覚を思い出せる。
「明日は七回目から直す」
「明日じゃなく次から直せ」
「分かった」
「飯だ」
木剣をしまい、宿へ戻った。
◇
訓練院は、アルネリアの東側にあった。
高い塀で囲まれた広い敷地の中に、石造りの建物が三棟並んでいる。中央には大きな運動場があり、その周囲に剣術用の訓練場、弓場、魔法用らしい石壁で囲まれた区画まで見えた。
門を入った瞬間、掛け声が聞こえた。
子供の声。
一人や二人じゃない。
「多い」
「四回目だな」
「何が?」
「それ言うの」
また数えていたらしい。
入口の建物で受付を済ませると、灰色の制服を着た男が案内に来た。四十代くらいで、短く刈った黒髪に濃い茶色の目。背はゼノより低いが、首も腕も太く、左腰には訓練用らしい木剣を差している。
「見学希望のレオン君だな」
「はい」
「私はドラン・ハルベルト。ここで基礎剣術を教えている」
ドランは俺を見ると、腰の剣、それから背負っている荷物へ目を移した。
「冒険者だと聞いたが」
「Eランクです」
「九歳で?」
「うん」
一瞬だけ驚いた顔をした。
でも、それ以上は聞かなかった。
「今日は自由に見て構わない。ただし訓練中の区画へ勝手に入らないこと。質問があれば、授業の切れ目にしなさい」
「分かりました」
「模擬戦は?」
横からゼノを見る。
ドランが少し笑った。
「早いな」
「できるならしたい」
「まず見ろ」
ゼノに言われる。
昨日と同じ。
仕方ない。
◇
最初に案内されたのは、基礎剣術の訓練場だった。
二十人ほどの子供が、二列に並んで木剣を振っている。年齢は俺と同じくらいから、十二歳くらいまで。服装もばらばらで、簡素な布服の子もいれば、上等な革靴や仕立てのいい訓練着を着ている子もいる。
「一、二! 一、二!」
指導役の声に合わせて、全員が同じ動きを繰り返す。
前へ。
振る。
戻る。
それだけ。
簡単に見える。
でも、見ていると差が分かった。
身体がぶれる子。
腕だけで振っている子。
足と剣が合っていない子。
逆に、最初から滑らかに動く子もいる。
俺は端から順番に見る。
一人。
二人。
三人。
十人。
「どうだ」
ドランが聞いた。
「みんな同じ練習してるのに、全然違う」
「当然だ」
「教え方も同じ?」
「基本はな。そこから個別に直す」
同じことを教わっても、同じようにはならない。
当たり前のこと。
でも、こうやって並んで見るとよく分かる。
「真ん中の赤い髪の子」
俺が言う。
「足が速い」
ドランがそちらを見る。
「カシアか。よく見てるな」
赤い髪の少女は、俺と同じくらいか一つ年上に見えた。髪を短く切り、薄い茶色の訓練着を着ている。身体は小さいが、踏み込むときだけ他の子より一歩が大きい。
「剣は普通?」
「まだ粗い」
「でも足がいい」
「そうだな」
少し嬉しい。
見方は間違っていなかった。
次を見る。
列の端に、背の高い少年がいる。
十一歳くらい。
黒に近い青髪。
細身。
顔立ちは整っているが、表情がほとんど変わらない。
振る。
速い。
でも、それより気になったのは止まり方だった。
振り切ったあと、剣先が揺れない。
「……あの人」
ドランが先に言った。
「セイル・アーヴェルト。十一歳。ここでは上の方だ」
「剣が止まる」
「そこを見るか」
ドランが少し笑った。
「振る速さより、止める方が難しい。腕だけじゃなく身体全体で制御してる」
俺もやってみる。
頭の中だけで。
足。
腰。
振る。
止める。
たぶん俺なら、まだ少し流れる。
「強い?」
「お前はそればかりだな」
「知りたい」
「同年代ではかなり」
同年代。
それだけで胸が少し熱くなる。
エリオットだけじゃない。
やっぱりいる。
◇
剣術の次は、魔法訓練だった。
石壁で囲まれた区画へ入ると、十人ほどの子供が並んでいる。全員が掌を前へ向け、それぞれ小さな火や水、風を出していた。
リナより小さい子もいる。
七歳くらいに見える。
「魔法は危なくない?」
俺が聞く。
「だから壁がある」
ゼノが答えた。
「それに最初は出力を制限する」
ドランが補足する。
子供たちの前には、白いローブを着た女性教師が立っていた。長い黒髪を一つに束ね、丸い眼鏡をかけている。杖は持っていない。
「もう一度。魔力を押し出さない。先に形を作ってから流しなさい」
子供たちが集中する。
火。
水。
風。
土。
それぞれ小さい。
でも。
一人だけ違った。
列の右端。
白銀の髪を肩まで伸ばした少女。
俺と同じくらい。
目は薄い紫。
肌が白く、細い身体に紺色の訓練服を着ている。
その少女の前には、水の球が三つ浮かんでいた。
三つ。
同時に。
しかも、止まっている。
「……」
見てしまう。
一つの水球なら俺も出せる。
でも小さい。
形を維持するだけでも集中が必要。
三つ。
少女が右手を動かす。
水球も動く。
一つ目が上。
二つ目が右。
三つ目が左。
全部別々。
「何それ」
声が出た。
ゼノが横目で見る。
「知らん」
「できる?」
「俺に聞くな」
ドランが笑う。
「あれはミレイユ・セレスティア。九歳だ」
九歳。
同じ。
「ずっとできた?」
「最初からじゃない。だが覚えるのは早い」
少女が手を閉じる。
三つの水球が一つに集まった。
大きくなる。
そのまま前へ飛ぶ。
石壁に当たり、弾けた。
音が響く。
「……すごい」
素直に出た。
剣とは違う。
これは、たぶん真似できない。
俺の魔力は少ない。
《魔力操作 Lv2》。
《水生成 Lv1》。
同じことをやろうとしても、そもそも魔力量が足りないかもしれない。
「悔しいか?」
ゼノが聞く。
「少し」
「剣じゃないぞ」
「でも同じ九歳」
それだけで比較してしまう。
少女は自分の結果を確認すると、教師に何か言われて頷いた。
嬉しそうでもない。
普通。
できて当然みたいな顔。
昨日のエリオットと少し似ている。
自分にできることが、他人にとって難しいと分かっていない。
いや。
分かっているかもしれない。
でも俺には、そう見えた。
◇
午前の訓練が終わると、広場に子供たちが集まり始めた。
休憩らしい。
水を飲む子。
話す子。
木剣を振り続ける子。
走っている子もいる。
俺は少し離れた木陰で見ていた。
「混ざらないのか?」
ゼノが聞く。
「知らない人ばっかり」
「昨日は知らない相手にいきなり戦えと言ってたが」
「戦うのは別」
「何が違う」
自分でも分からない。
戦う方が話しやすい。
そのとき、さっきの赤髪の少女がこちらへ来た。
足が速かった子。
カシア。
近くで見ると、頬に小さなそばかすがある。目は明るい緑色で、木剣を肩に担いでいた。
「さっきから見てるけど、誰?」
「レオン」
「それだけ?」
「レオン・アルヴェイン」
「私はカシア・ロンド」
知ってる。
さっき聞いた。
「見学?」
「うん」
「冒険者なんでしょ?」
どうして知ってる。
「先生が言ってた」
なるほど。
「九歳でEランクって本当?」
「本当」
カシアが俺の腰を見る。
「剣使う?」
「使う」
「強い?」
来た。
俺がいつも聞くやつ。
少し考える。
「分からない」
「何それ」
「強い人には負ける」
「当たり前じゃん」
その通り。
カシアが笑う。
「じゃあ私とやろうよ」
「いいの?」
「休憩中なら先生に聞けばできる」
俺はゼノを見る。
「見るな」
「まだ何も」
「顔で分かる」
また。
でも止められなかった。
ゼノは広場の向こうにいるドランを顎で示す。
「聞いてこい」
許可。
カシアと一緒に走る。
◇
ドランは条件付きで認めた。
「一本だけ。今日は見学だ。それ以上は授業の邪魔になる」
「分かった」
「はい!」
カシアの返事は大きい。
木剣を借りる。
俺はラウルの木剣。
向かい合う。
距離は三歩半。
カシアは剣を両手で持っている。
構えは高い。
少し肩に力が入っている。
剣術だけなら。
たぶんエリオットより下。
でも足。
それだけは速い。
「始め」
ドランの声。
カシアが来る。
速い。
一歩目から距離が一気に消える。
知ってた。
見てた。
だから先に剣を置く。
正面。
カシアが止まる。
止まれた。
そのまま右へ。
速い。
俺も回る。
カシアがさらに踏み込む。
剣。
上から。
受ける。
強くない。
流す。
できる。
その瞬間、カシアが一歩下がった。
すぐまた来る。
今度は左。
速い。
追う。
剣を向ける。
また止まる。
カシアが笑った。
「見てるね!」
返事する余裕はない。
次。
来る。
右。
違う。
途中で左。
足が速いから、変化も大きい。
でも。
剣は追いついてない。
身体だけ先。
そこ。
俺は半歩下がる。
カシアが踏み込む。
剣を振る。
まだ遠い。
一歩足りない。
《誘導歩》。
届くと思う距離を作る。
カシアが選ぶ。
前。
来た。
俺は横へ。
カシアの剣が空を切る。
身体が流れる。
その肩へ、木剣を置く。
当たった。
「一本。そこまで」
止める。
取れた。
カシアが振り返る。
「うわ、やられた!」
悔しそう。
でも笑ってる。
「もう一回!」
「一本だけと言っただろ」
ドランに止められた。
「えー」
昨日の俺みたい。
「次やればいい」
俺が言う。
「次いつ?」
「分からない」
「じゃあ今日!」
「駄目だ」
今度はゼノ。
カシアがゼノを見る。
「誰?」
「ゼノ」
「それだけ?」
「うん」
同じこと聞かれた。
◇
休憩が終わると、俺はまた訓練を見た。
今度はさっきまでと少し違った。
上手い子だけじゃない。
できない子も見る。
剣を何度振っても足が合わない子。
魔法を出そうとして何度も失敗する子。
弓を外し続ける子。
でも、その中には繰り返している子もいる。
先生に直されて。
またやる。
失敗。
直す。
もう一回。
それを見ていると、少し安心した。
全員がエリオットじゃない。
全員がミレイユでもない。
当たり前だった。
「何笑ってる」
ゼノが聞く。
「笑ってない」
「少し笑ってた」
「普通の人もいる」
「失礼だな」
言われて気づく。
確かに。
でも、悪い意味じゃない。
「俺と同じ人もいる」
「本当に同じか?」
「……分からない」
また言われた。
俺は自分の手を見る。
才能がない。
それはゼノも言っている。
《剣術》はLv4で止まった。
魔力も少ない。
覚えるのも遅い。
でも。
同じように苦戦している子がいるからといって、その子と俺が同じとは限らない。
その子にはその子の得意なものがあるかもしれない。
逆もある。
「比べるの難しい」
「今さら気づいたか」
ゼノは歩き出した。
俺もついていく。
「でも比べないと分からない」
「何が」
「自分がどこにいるか」
「半分正解だ」
「半分?」
ゼノは前を向いたまま答える。
「他人を見れば、自分に足りないものは分かる。だが他人だけ見てると、自分が何を持ってるか分からなくなる」
俺が持っているもの。
考える。
《剣術 Lv5》。
《格闘術 Lv2》。
《回避 Lv5》。
《観察 Lv3》。
《戦域把握 Lv2》。
《誘導歩》。
それだけじゃない。
戦った回数。
負けた回数。
魔物。
人間。
救助。
逃げる判断。
仲間と動いた経験。
九歳として多いのかは、よく分からない。
「俺、何持ってる?」
「自分で考えろ」
教えてくれない。
でも、たぶんそれでいい。
◇
帰る前、訓練場をもう一度通った。
セイルがまだ剣を振っていた。
午前中と同じ。
振る。
止める。
戻す。
何度やっても剣先がほとんど揺れない。
少し離れたところでは、ミレイユが教師と話している。掌の上には小さな水球が一つだけ浮かんでいた。
カシアは友達と走っている。
速い。
三人とも違う。
剣が上手い。
魔法が上手い。
足が速い。
分かりやすい才能。
俺は。
何だろう。
「ゼノ」
「何だ」
「俺にも才能ある?」
ゼノが足を止めた。
少しだけ考える。
「あると言えばある」
意外だった。
「何?」
「諦めが悪い」
「それ才能?」
「知らん」
またそれ。
「でも技能じゃない」
「そうだな」
「強さでもない」
「今はな」
今は。
その言葉が残った。
ゼノは歩き始める。
俺も追う。
「レオン」
「何?」
「エリオットを見て、ミレイユを見て、セイルを見た。それで自分には何もないと思うなら、それは違う」
俺は黙って聞く。
「お前はあいつらより遅い。たぶん、この先も何度もそういう奴に会う」
「うん」
「一回で覚える奴もいる。十回でできる奴もいる。お前が千回やっても届かないことを、最初からできる奴もいる」
嫌な話。
でも事実。
「それでもやるんだろ」
「やる」
「なら今はそれでいい」
訓練院の門を出る。
朝に来たときより、少しだけ景色が違って見えた。
強い子供はいる。
才能のある子供もいる。
俺より速く伸びる奴もいる。
たぶん、これからもっと会う。
そのたびに負けるかもしれない。
追いつけないこともあるかもしれない。
でも、それを知ったからって、やることがなくなるわけじゃない。
むしろ増えた。
止め方。
足。
魔力操作。
判断。
まだ見ていないものも、たくさんある。
「明日も来れる?」
俺が聞く。
「駄目だ」
「何で?」
「別の場所へ行く」
また。
「どこ?」
「冒険者向けの訓練場だ」
子供じゃない。
今度は大人。
「強い人いる?」
「いる」
少し歩いてから、ゼノが続けた。
「お前じゃまだ勝負にもならない奴もな」
胸が高鳴った。
今日、自分と同じくらいの年齢の壁を見た。
明日は。
もっと高い壁を見る。
それでいい。
壁が見えなければ、越える方法も考えられない。
俺はもう一度だけ訓練院を振り返り、それからゼノの隣へ追いついた。
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