本人のいない答え
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それでは、どうぞお楽しみください。
夕食後、寮の談話室には7人が残っていた。
窓際の長い卓に、昼間作った予定表が広げられている。
端にはアステラが留めた金具、裏の未確認事項にはノエラが挟んだ細い紙片がついたままだった。
8人分の名前が並ぶ表のうち、レオンの席だけが空いている。
「本当に来ないんだね」
ルシアスが廊下の方を見た。
「来させなかったの」
レイナが答える。
「午後の見学で足首の左右差が少し増えた。痛みはないって言ったけど、治療担当の条件は痛みだけじゃないから」
「本人は?」
エリオットが聞く。
「部屋。夕食は食べた。足を上げて、今は寝てると思う」
「思う?」
「横になるところまでは見た。でも、帳面を持とうとしたから預かってきた」
レイナは卓の端へ、見慣れた予定帳を置いた。
ローディが笑う。
「寝るのにも帳面がいるのか、あいつは」
「寝た時刻を書くつもりだったんじゃない?」
ノエラが言った。
「起きた時刻と比べるために」
「ありそう」
ルシアスが頷く。
エリオットは予定帳を開かなかった。
「勝手に見ると怒るよ」
「濡れた時は開いていいって言ってた」
カシアが言う。
「それは乾かすため。今日は濡れてない」
7人の手が帳面から離れた。
卓の中央には、昼のあとで増えた書き込みがある。
エリオットが訓練区画を変更し、アステラが資料室の時刻を足し、ノエラが持ってくる記録を2冊にした。
レイナはレオンの再診日へ丸をつけていた。
レオンがいない間にも、予定表は変わっている。
アステラが新しい紙を1枚出した。
「今日の確認で、カレン先生から修正が2つあったわ」
「中止のあと、全員が同じ場所へ戻る必要はない」
ローディが先に言う。
「もう1つは、再開できない場合の終了条件」
「分かってるなら書いて」
アステラが筆を渡す。
ローディは自分の名前の横ではなく、表の下へ書いた。
『中止理由が解消しない場合、担当範囲の者が終了を伝える。全体の終了は教員または全体を確認できる者へ共有』
書き終えてから、空いている席を見る。
「これ、レオンならもっと短くできるか?」
「短くはすると思う」
アステラは文を読んだ。
「でも、今はいない。意味は通るから、このままでいいわ」
ローディは消さなかった。
少しの間、紙を擦る音だけが続いた。
最初に口を開いたのはノエラだった。
「レオンって、前からああなの?」
「どのあたり?」
エリオットが聞く。
「全部できるのに、全部やろうとするところ。助けられた時も、次に自分が何を返すかを先に考えるところ」
「前から」
エリオットとカシアの返事が重なった。
2人は顔を見合わせる。
「僕が先に会った」
「知ってる期間なら私も同じくらい」
「回数は僕の方が多い」
「怪我を見た回数なら私」
「それは競うところじゃないよ」
ルシアスが言った。
エリオットは椅子の背へ寄りかかった。
「最初に剣を合わせた時から、負けたところをその日のうちに減らそうとしてた。次に会うと、本当に減ってる。代わりに、別の動きを3つ増やしてくる」
「増やしすぎて倒れたこともある」
カシアが続ける。
「倒れる前に止めた」
「止められた、でしょ」
「本人がいないのに言い直すの?」
「いないから、事実と違う言い方を残さないの」
アステラがカシアの言葉へ小さく頷いた。
「レオンは、できなかったことをそのままにはしない。それ自体は長所だと思う。でも、できなかった理由を全部自分の不足へ戻す傾向があるわ」
「道が塞がれても、自分が早く見つければよかったって考える」
エリオットが言う。
「風が変わっても、自分が先に読めればよかったって」
ルシアスが足した。
「盾の革紐が切れても、自分が予備を持てばよかったって言いそうだな」
ローディは右手の革紐を持ち上げた。
「実際、予備を何本持つか聞かれた」
「何本って答えたの?」
「1本。あいつは3本って書こうとした」
「どうして3本?」
ノエラが聞く。
「俺の分、班の分、予備の予備」
誰も驚かなかった。
レイナはレオンの予定帳の上へ手を置いた。
「怪我をしても同じ。動けるなら動く。痛みに耐えられるなら続ける。自分が止まることで誰かの負担が増えると思ってる」
「昨日は、増えなかった」
カシアが言った。
「持ち手が変わっただけ」
「でも、本人には同じに見えてなかったんだろうね」
ルシアスが水杯を両手で回した。
「運ばれてる間も、誰をどこへ置くか言おうとしてた」
「3回目でやめた」
エリオットが言う。
「遅いけど、前なら最後まで言ってた」
「前を知らないから、違いが分からない」
ノエラは予定表のレオンの行を見る。
「私が知ってるレオンは、知らない言葉を勝手に埋めなかった。同じ記録を先に読むって言ったら、それでいいって答えた」
「私の判断も変えなかったわ」
アステラが言う。
「自分の案と違っても、担当範囲の理由があれば使った。最初からできたわけではないけれど」
「僕の風も足さなかった」
ルシアスの指が止まる。
「大きい風を1回使ったあと、レオンなら小さい風で補えた。でも、僕が止めた理由を聞いて、そのままにした」
ローディは革紐を卓へ置いた。
「俺が盾を2回鳴らした時も、続けろとは言わなかった」
「言えなかったんじゃなくて?」
レイナが聞く。
「聞こえる位置にはいた」
「なら、言わなかったんだね」
レオンが何をしたかではなく、何をしなかったかが卓へ並んだ。
先に答えなかった。
仲間の判断を変えなかった。
使える魔法を足さなかった。
歩けると言い続けなかった。
どれも事件記録では短い行だった。
「それって、レオンにとっては難しいことなの?」
ノエラが尋ねた。
「難しい」
今度は全員の返事が重なった。
ローディが一番大きく笑った。
「そこは同じなんだな」
「同じ答えになった理由は違うと思う」
アステラが言う。
「私は、判断できるのに待つことが難しいと思ったから」
「僕は、勝てるのに勝たない剣みたいなものだと思う」
エリオット。
「僕は、魔力が残っていても止める方」
ルシアス。
「俺は、持てる荷を置く方だな」
ローディ。
「私は、動ける人を搬送対象にする方」
レイナ。
「私は、人数を数え終わっても、次の順番を自分だけで決めないこと」
カシア。
ノエラは少し考えた。
「私は、読めそうな古い言葉を未確認へ戻すこと」
7人の答えは同じではなかった。
それでも、指しているものは1つだった。
できることを使わないのは、何もしないことではない。
別の結果が入る場所を残すことだった。
エリオットが空いている席の背へ手を置く。
「でも、あいつはまだ勘違いしてる」
「何を?」
「僕たちが一緒にいる理由」
誰もすぐには聞き返さなかった。
エリオットは窓際の席を見たまま続ける。
「剣の相手になるから。全体を見られるから。危ない時に助けられるから。そういう理由を数えてる」
「実際、助かってる」
ローディが言う。
「それはそう。でも、それだけなら怪我が治るまで予定表から外せばいい」
予定表にはレオンの名前が残っている。
走れない3日間にも、見学、記録、食事、資料室での確認がある。
脚の再確認後に変更する欄も、消されていない。
カシアが空席の前へ置かれた水杯を見た。
「レオンは、役に立つことと、いてほしいことをまだ分けられてないんだと思う」
「昨日、少しは分かったんじゃない?」
ルシアスが言う。
「食事を残した理由、最後まで聞かなかったから」
「聞かなかっただけで、理解したとは限らない」
アステラは予定表の端を揃えた。
「でも、答えを先に書いて渡す必要もないわ」
「書いたら、また覚える項目にする」
ローディが言う。
「『友人が自分と食事を取る条件』とか作りそう」
「42個」
エリオットが返す。
「7つへ減らすのに、また昼休みを使うことになるね」
ルシアスが笑った。
レイナだけは笑わず、予定帳を軽く叩いた。
「言葉で分からないなら、身体で覚えるまで繰り返せばいい」
「治療担当が怖い言い方をしてる」
「そういう意味じゃない。休んでも席が残る。できない日は誰かが持つ。戻った時は、また本人の範囲を返す。それを何度でも同じにするの」
カシアが頷く。
「レオンが覚えるまで?」
「覚えたあとも」
その答えに、アステラが予定表を開き直した。
「では、明日の変更を決めましょう。レオンは朝の走行なし。治療室のあと、授業は座学だけ。昼の記録確認は、脚の状態で場所を変える」
「剣の確認は僕が1人でやる」
エリオットが言う。
「レオンには道幅だけ見てもらう。来られなければ、僕が測って結果を残す」
「魔力は僕も細くする方だけ」
ルシアス。
「盾の持ち手交換は延期。足元を見る人がいないと危ない」
ローディ。
「古い記録は部屋でも読めるよう、写しを作る」
ノエラ。
「再診の結果を私が確認する」
レイナ。
「昼に移動できないなら、食事と紙を持っていく」
カシア。
アステラは全員の言葉を短くして表へ書いた。
レオンがいないまま、レオンの明日の予定が決まっていく。
けれど、代わりに決めているわけではない。
走行禁止は治療担当の範囲。剣はエリオット。魔力はルシアス。盾はローディ。
記録はノエラ。身体はレイナ。移動する人数と場所はカシア。
アステラは現在の紙へまとめる。
レオンが決める欄は空けてある。
『本人の再確認後――見学を続けるか、休むか』
「ここは埋めないの?」
エリオットが聞く。
「本人が決める範囲よ」
「無理でも見学するって言ったら?」
「中止は誰でも出せる」
レイナが答えた。
「でも、最初の答えまで取らない」
紙は完成しなかった。
レオンの返事を待つ空欄が1つ残った。
アステラは予定表を折らず、記録板へ留め直す。
ノエラが裏の未確認事項を重ね、ローディが金具の緩みを確かめた。
「誰が持っていく?」
ルシアスが聞く。
「俺」
エリオットが立つ。
レイナも予定帳を持った。
「起きてたら、紙だけ見せる。話は明日の朝」
「寝てたら?」
「起こさない」
7人は談話室を出た。
男子寮へ戻る3人と、階段の前で別れる4人に分かれる。
アステラたちは女子寮側へ向かい、ノエラが途中で一度振り返った。
「レオンに、何を話してたか聞かれたら?」
「明日の予定」
アステラが答える。
「嘘ではないね」
「ほかの話は?」
カシアは少し考えた。
「本人がいなくてもできる話」
「でも、本人がいなくていい話じゃない」
ルシアスが続けた。
エリオットは記録板を持ち直す。
「それは今、教えなくていい」
部屋へ戻ると、レオンは寝台で眠っていた。
右脚は枕の上に置かれ、薄い布の下から足先だけが見える。
机には水杯があり、減った量を示す線が引かれていた。
ローディが音を立てないよう盾を壁へ置く。
ルシアスは窓の留め具を確かめ、夜風が入らない幅まで閉じた。
エリオットは予定表を机へ置こうとして、手を止める。
そこには水杯がある。寝返りで手が当たれば、また紙が濡れる。
3人で周りを見る。
ローディが棚の上を空け、ルシアスが本を2冊どけた。
エリオットは予定表を折らずに載せる。
レイナから預かった予定帳は、その横へ閉じたまま置いた。
明日の欄は、まだ空いている。
レオンが起きれば、予定表には7人の字が増えている。
自分のいない間に決まったことと、自分に残された空欄を見る。
その時、また役割を数えるかもしれない。
誰が何をしたか、何を返すべきか、次に自分がどこまでできるようになるか。
けれど、今夜の話はどの欄にも書かれていない。
役に立つから席を残したのではない。
答えが必要だから待つのでもない。
一緒に学びたいから、明日の紙にも名前がある。
眠っているレオンは知らない。
知らないままでも、8人目の場所は空けてあった。
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