檻の中
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それでは、どうぞお楽しみください。
森を、ただ走った。
枝が頬を切り、裸足の足から血が出ていた。それでも止まらなかった。父さんは死んだ。母さんも死んだ。頭では分かっているのに、まだ実感がない。ただ走っていれば、何も考えずに済んだ。
やがて足が動かなくなった。木の根に躓き、そのまま地面に倒れる。
「……っ」
立たなければ。そう思ったけれど、身体はもう動かなかった。
そこで俺の意識は途切れた。
◇
次に目を覚ましたとき、鉄の臭いがした。
身体が揺れている。どうやら馬車の中らしい。俺は木製の檻に入れられ、手首には鉄の輪が嵌められていた。周囲には知らない子供が六人いる。誰も喋らず、ただ一人、少女だけが小さく泣いていた。
「起きたか」
檻の外から男が覗き込んだ。太った男だった。
「運が悪かったな、坊主」
男は笑った。
「戦争の後は孤児が増える。魔族に襲われた村なら、生き残りを探す奴もいねえ」
その言葉で、自分が置かれている状況を理解した。
捕まったのだ。
おそらく、こいつらは奴隷商人だ。前世の知識があるから、その程度のことは分かる。
「……」
「なんだ? 泣かねえのか?」
俺は答えなかった。泣いたところで何も変わらない。
檻を壊せるかと鉄格子を見るが、今の俺には無理だ。男の腰には剣があり、体格差は三倍どころではない。馬車の周囲には護衛も三人いるうえ、俺の両手には手枷まで嵌められている。
逃げるのも、戦うのも無理だ。
なら、今は従う。
生きる。それだけだ。
「ステータス」
心の中で呟く。
――――――――――
名前:レオン・アルヴェイン
年齢:4
Lv2
職業:なし
筋力:5
耐久:5
敏捷:6
魔力:4
精神:9
《体術 Lv1》
《不屈 Lv1》
――――――――――
弱い。どうしようもなく弱い。今の俺は、ただの4歳の子供だ。
だが、表示された内容を見て、一つだけ気になることがあった。
《体術 Lv1》。
俺は前世で格闘技などやっていない。この世界でも、まともな戦い方を教わったことはなかった。思い当たるのは、村の子供たちと遊んでいたことくらいだ。
走ったり、転んだり、木に登ったり、物を投げたり。そんな何気ない動きの積み重ねが、《体術》として認識されたのだろうか。
確かめてみる。
檻の中で拳を握り、前へ出してから引く。もう一度、同じ動きを繰り返した。
10回、20回、50回。
「何やってんだ、お前」
隣にいた少年が言った。
俺は答えず、拳を動かし続けた。100回を超える頃には腕が痛み、200回を超える頃には肩が熱を持った。300回を過ぎると、拳を前に出すだけで腕が震えた。
それでも続ける。
やがて、目の前に文字が浮かんだ。
《体術の習熟度が上昇しました》
俺は拳を止めた。
やはり。
魔物を倒さなくてもいい。戦わなくてもいい。身体を動かし、同じことを何度も繰り返すだけでも、技能は成長する。
なら――俺にもできる。
才能がなくても、4歳でも、檻の中でも。
「お前……頭おかしいのか?」
少年が呟いた。
俺は答えず、また拳を前へ出した。
「……401」
初めて声に出した。
「402」
腕が痛い。
「403」
もうまともに上がらない。それでも、止めなかった。
「404」
父さんは、俺を守ろうとしてくれた。
「405」
母さんは、最後まで俺を守ってくれた。
俺は何もできなかった。
だから。
「406」
もう二度と、弱いままではいない。
◇
3日後、俺たちは奴隷市場に着いた。
子供たちは一列に並べられ、買い手たちが品物でも見るような目で値踏みしていく。その中でも、俺は最も安い部類だった。
身体が小さく、魔力も低い。人より優れた技能もない。
「そこの黒髪」
一人の男が俺を指差した。顔に大きな傷がある男だった。
「それを買う」
奴隷商人が笑った。
「こいつですか? 何の才能もありませんぜ」
「構わん」
男は金貨を放った。
「鉱山の荷運びに、才能など必要ない」
俺は男を見上げた。腰には剣がある。今の俺では、どうやっても勝てない。
今は。
「歩け」
鎖を引かれ、俺は黙って歩き出した。
市場を離れてからも、頭の中ではさっきまで繰り返していた動きを思い返していた。拳を出す角度、引く速さ、足の置き方。檻の中でできたことなら、鉱山でも何かできるはずだ。
一度では何も変わらない。100回でも、1000回でも、きっと大して変わらない。
なら、1万回やる。
1万回で足りなければ10万回。それでも足りなければ100万回やればいい。
俺には才能がない。
だから、才能のある奴が100回やるなら、俺は1万回やる。
鎖に繋がれたまま、俺は歩いた。
この日から、俺の長い修行が始まった。
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