序幕:マヨネーズぬきサンドイッチは美味しくない
生物兵器の意義は、無差別攻撃性とその伝染性にある――。
桜町院熾雪
曹長は長距離一等車の個室の中で、向かいのソファーシートに足を引っかけて、飛騨の気違いみたいに高い霊峰や何かを眺め見ながら、司令部の広報担当の二尉から連絡が入るのを待ち、また同時に気持ちが凶悪になるのを待っていた。
一刻を争って凶悪にならねばならぬ理由が、今の曹長にはあった。
名古屋行急行・金沢発十時五十分は十輌編成。先頭車輌と、続く二号車が一等車で、曹長の個室は二号車の一番後ろ端、部下たちは三等の六号車に乗せている。
「この中の四人は、いなくならなくちゃならない」
曹長は先ほどから、もう百回以上も同じ台詞を呟いていた。「この中の四人は、いなくならなくちゃならない」
事実、曹長たち聖年騎士団の兵士三十四人のうちで、その祝賀会に参加できるのは三十人だけだった。
曹長が学生として籍を置く金沢地方神学校には、他の〈地方校〉や〈支部校〉などと同様に〈聖年騎士団〉と呼ばれる、公に武力の行使が認められた組織が設置されている。曹長たちは、飛騨稲荷支部校の正式な招待を受けてその祝賀会場に向かう途中であったが、何を血迷ったのか上官の手違いで、そのパーティーに参加できる人数は三十人だけと決まっていた(ちなみに今その上官は、自分だけ一足先に現地入りしてしまっていて、その副官もつき添って行ったのでここにはいない)。
「この中の四人は、いなくならなくちゃならない」
云いながら曹長は腕にはめた銀の時計に目をやった。
神学校中等部への内部進学が決まった時に、父親が買ってくれた安物の時計だ。〈聖騎兵〉は激しい任務も多いわりには良く持っている。ところどころ傷が入っているが……。
(あと、三十分たらずか)
曹長は腰に吊り下げた拳銃に指をかけた。あいにくとナイフは持ち合わせがないため刺し殺すことは叶わないが、銃で撃ち殺しながら同時に、「僕らはみんな生きている」を精一杯の声で歌って、連中の馬鹿げた叫声をかき消そうと思う。
それから二、三人の聖騎兵(望ましいのは中三生。新兵には気の毒すぎる)に命じて四人の亡骸をこの列車から、飛騨の寒々しい荒地に投げ捨てさせよう。曹長たちの中の誰か四人はいなくならなくてはならないから。
突然、向かいの長座席から変な音がした。声というにはあまりにも割れすぎたそれだった。
「はい。自分がそうです。今宮二等園尉でしょうか。はい、はい」曹長は向かいのシートに足を乗せたまま、組んだそれを上下反対にさせた。「そこを何とかなりませんでしょうか」
『私に言うなよ。お前の上官のせいなんだぞ、元はと言えば』
「はあ、それは分かっているのですが。そこのところを、二尉殿のお力で」
『すまないけど、俺にはどうすることもできないよ……。一等車に乗ってることは黙っておいてやる――。それで、いいな?』
チキショー、バレていやがる。
曹長は苦々しく顔を歪めて、けれど声色には決してそのことは感じさせないように、至極深刻そうに、
「了解しました。自分が選抜します」
『よろしい、曹長。それでこそ勇敢なる下士官だ――』
無線通信はそれきり終了し、曹長が機械の電源を切って放り投げると、ぷつんっという音とともに長座席の上に見事に着地した。
勇敢さ、ね。有能さではなくて、勇敢さ!
確かに勇敢だろうさ。期待に胸を膨らませる連中の心情を、一気に奈落のどん底へと叩き落としてやるんだから。
「ふん! 勇敢さ、ね!」
腕時計を見やる。あと二十分たらずで目的の駅に着いてしまう。下車する前にはもう、すっかりと決めてしまわなくてはなるまい。我々の中の四人はいなくならねばならないから。
「車輌サービスです」
不意にノックする音が鳴り、曹長は急いで足を下ろした。曹長の返事を待って、車掌が入室してくる。「申し訳ございません。諸事情により、私が車輌サービスも担当させて頂きます」
車掌だった。制帽を取って、深々と頭を下げている。
別段珍しくもないことで、車輌の客数が少なければ、わざわざ車輌専任の給仕を同乗させることもない。年々、鉄道離れが深刻になっていると聞くし、人件費の削減か何かなのだろう。
曹長は凝視することもないと再び腕のそれを見やって時刻を確認する。
「お客さま、間もなくご降車駅となりますが。何かお飲物などご入り用でしょうか」
「熱い紅茶をお願いできますか。十分ほど出てくるので、帰ってきた時に」
云いながら、曹長はゆっくりと立ち上がって、外套かけから聖年騎士団指定のトレンチコートに腕を通した。車掌が制帽を手渡してくれる。
「行ってらっしゃいませ」
専任車掌の声を背に、曹長は独り車輌通廊に歩み出た。
連絡扉を潜り抜け、三号車、四号車と車輌を抜けていく。この二輌は座席指定の二等車で、個室はなく全列が二座席プラス一座席になってある。五号車は食堂車だった。
部下たちのいる六号車と、続く七号車、八号車が三等車で四人がけボックス席、自由車で、あとの二車輌は近距離用の通勤車輌になっていた。長距離急行には良くある車輌編成だ。
二等車輌と食堂車を抜けているとき、他の乗客からじろじろと不躾な視線を浴びせられた。だから二等車では嫌だったんだ。たとえ自腹を切ってでも、一等の個室を予約する。聖騎兵の制服はそれくらい市民からの注目を集めた。
「曹長殿!」
誰かが曹長に話しかけている。「曹長殿ッ!」
曹長は勢い良く顔を上げて、ボックス席に座るその男を凝視した。
「曹長殿、どうかしました? 六号車ですよ」
その男――というにはまだ早い、変声期後期がようやく始まったかといったくらいの声色の少年が、こちらの袖口を掴んだ態勢のままで突っ立っていた。
「い、いや……。ああ、そうか。ここはもう六号車か」
車輌半分よりこちら側で、どっと笑声が上がる。
曹長は一つ咳払いをしてみせて、ひどく深刻そうな表情を張りつけて部下たちを静かにさせた。この中の四人はいなくならなくちゃならない。
「今、先方の司令部から無線連絡があった」
曹長は自身の声色の深刻さ加減に、自分でも最高の出来であると自賛した。これがブロードウェイだったら、間違いなく今年の主演男優賞は頂きだ。
「手違いで、我々の中から祝賀会に参加できるのは三十人だけになった。よって、この中の四人は会場外で待機しなくてはならないんだ」
『…………』
曹長は黙って、皆を一人ひとり注視した。皆が沈黙していた。
「あんまりです」下士官の一人(たしか一曹だ。曹長より階級も学年も一つ下)が立ち上がりながら云う。
「ここにちょうど、五十銭銀貨が四枚ある。私の薄給から出そう」
さあ、どうだ。悪くない代案だろう。いっておくが、心配しなくとも勲章はちゃんともらえるんだぞ。ただちょっと、授与式とその後のちゃちな食事会に参加できないだけだ。
「一方的ですよ、こんなの」
さきほどの少年と同じ階級、同じ学年の別の下士官が渋々といった様子で立ち上がった。窓側の席だったため、彼の横の兵士が立ち上がって退いてやるも、一曹が通路に出るとそそくさとまた元の座席に腰を下ろした。
「さすがは中三生だな。貴官らのことは、支部校司令部にもきちんと伝えておこう」
曹長は待った。皆も待った。彼らの他に、歩み出る者はいない。不意に近くから視線を感じて、曹長はそばのボックス席を見やった。まだ幾分幼さを残した新兵が、こちらと目が合ったことがそんなに嬉しいのか、にこにこと微笑みを浮かべている。
「あと二人だ」
曹長は彼から視線を外して、努めて陰気な声で宣告した。
新兵は寂しそうにしゅんとしている。今、その頭を撫ぜてやるわけにはいかなかった。
追い詰めねばならぬ。
見よ、彼らの昼食の残りを。慎ましい聖年たち。食べたものといえば、乗車前に駅のキヨスクで買ったおにぎりくらいのものだ。ああ、何と慎ましい青年たち。
追い詰めねばならぬ、この厚かましくもない少年たちを。どんなにか楽しみにしていたこの少年たちを。清貧なる神の僕を。心を凶悪にして。今だけは、心を悪魔に明け渡して。
「一番最後列の左側の二人。さあ、立ってくれ。お前たちが誰なのか、私は知らない。今決めた。今まさに決めたんだからな!」
六号車の中は、聖騎兵たちは勿論のこと、その他の乗客までもが皆ことごとく沈黙を守っていた。
「そ、曹長どの……」
列車が減速した。車体が揺れる。起立していた一曹のうちの一方が、請願するような目でこちらを凝視してきた。
曹長は二人に近づいた。制服の折襟章に目をやる。二人はいずれも中一生だった。伍長だ、両名とも。
「悪いな……」曹長は膝を折ってしゃがみ込み、二新兵の頭を抱き寄せると、左右の手でそれぞれの頭を撫でつけた。「僕も一緒に残るよ。何でも買ってやるから」
それは愛すべき双子の弟たちだった。目にいっぱいの涙を浮かべている。曹長は親指で、弟らの目に溜まったそれを拭ってやった。命令は命令である。
「よろしい。では諸君、楽しい団欒を続けてくれたまえ」
曹長はもう一度だけ二人の頭を撫ぜ回すと、きびすを返して今来た通路を逆走していく。先ほどの新兵の頭もついでに撫ぜておいた。
一等の客室に戻ると、すでにカップとポットが用意されてあった。
曹長は荷物の中から、あらかじめ乗車前に駅のキヨスクで買っておいたサンドイッチを取り出した。
奮発して十銭も出して買った、ライ麦パンのハム野菜サンドとオニオンツナサンドだ。どちらも黒い色をしている(店頭のポップには「無添加! 減塩、油分カットなのに美味しい!」とあったのだが……)。
列車はさらに減速しはじめており、車掌長の案内放送も流れていた。車窓の向こうはもう市街地である。
曹長はまた元のソファーシートに腰を下ろすと、目についたハム野菜サンドに手を伸ばした。アールグレイの良い香りが客室を満たしている。
やがて列車は駅舎の中へと滑り込んだ。曹長は紅茶を啜る。美味い。
プラットホームには幾つかの車輌が停まっていたが、誰一人としてまともな利用客はいないらしく、人々は押し合いへし合い慌ただしそうに往来している。
曹長はさらに一口、茶を啜った。さあ食べようとした、まさにその時、
「そ、曹長殿!」
不意に個室の戸が開いて、通廊から先ほどの一曹のうちの一方が顔を突き出した。すぐ後ろに、もう一方の一曹がいるのも見えた。
「曹長、暴動ですッ! 暴徒が車内に侵入してきました!」「乗客も多数負傷しているようです!」「我々の車輌も襲われ、四名の聖騎兵が重傷ですッ!」
曹長は心底驚いて、あまりの出来事にしばし言葉を失ったが、何とか我に返ると、
「四人だと? 今、確かに四人負傷したと言ったな?」
二人の一曹は大きく頷いて、すぐに六号車に来てくれと懇願している。車内放送の声はしきりに、「車外は危険だ、無闇にホームには出てくれるな」といったようなことを繰り返し述べていた。
曹長は独り胸を撫で下ろす。
これで三十人、全員が全員、くだらないあの受勲式とその後の食事会に参加できる(受勲式がどれほどくだらないのか、その後の食事会がどれほどちゃちなものなのかはこの際、もうどうでも良い)。
曹長は、何の気なしに外の景色を眺め見つつ、ずっと手にしたままだったそれを一口かじってみた。窓の外では人々の怒声や悲鳴が引っ切りなしに聞こえている。市民たちも、遅い昼食を取っているらしかった(人間なんて美味しいんだろうか?)。
「マズい……」曹長は小さく呟いた。
そのハム野菜サンドには、マヨネーズが入っていなかったのだ。
〈序章・終〉




