異変 1
お待たせしております。
ふと胸騒ぎを覚えて目が覚めた。
一体何が……漠然とした不安感が脳裏をよぎる。不安? 俺が不安を感じているだと!? 今まで一度だってこんなことはなかった。なにしろ俺と相棒は魂で繋がっているのだ。たとえどれほどの暗闇にいても、はるか彼方の距離に隔てていたとしても俺達に不安など感じるはずがないのに。
いつも感じるはずのリリィがいない!
飛び起きた俺は、慌てて周囲を見渡す。リリィはすぐに見つけることができたが、その見たことがない苦しげな表情に俺は凍りついた。
「リリィ!! 一体どうしたんだ!? 何があったんだ!?」
「な、何でもないよ、少し休めば落ち着くから……」
「そんな顔で信じろってのかよ! さては、俺にこれを知られたくなくて接続を断ったな」
リリィはバツが悪そうに顔を伏せたが、今は問答をしているときではない。”あらゆる事象から危害を受けない”はずの相棒が、ここまで苦しんでいるのは只事ではない。
「いいから繋げ! そうすれば状況は解る」
真っ青な顔で渋々俺と繋がった瞬間、虚脱感と不快感、それに焦燥感がない交ぜになったなんとも形容のできない感情が襲ってきた。リリィはこんなえげつないものを何時から耐えていたのか。
「何時からこんな感じなんだ?」
「夜の9時くらいからかな。この程度ならなんとかなると思って我慢してたんだけど、段々押さえきれなくなって」
それで俺にばれると思って繋がりを断ったのか。だが残念だったな、俺が気づいたのはお前が接続を切ったからだそ。今まであったものがいきなり無くなればこっちだって不思議に思うだろうに。
「だが、何故何も言わないんだ! らしくない、らしくないぜリリィ」
俺の問いにリリィは弱々しい声で答えた。こんな状態の相棒は始めて見るぞ。未だに状況はわかっていないが、途轍もなくまずいことが起こっていると俺のどこかが激しく警鐘を鳴らしている。
「だ、だって20層行かなきゃならないんでしょ。でも日帰りじゃ無理だし、私が少し我慢すればすむ話じゃない……」
畜生、俺のせいか!
考えてみれば、はじめにダンジョンは日帰りすることを強硬に主張し出したのはリリィだった。行動を外見はどうあれ、聡明なリリィはそのときからこうなることを予測していたに違いない。
それなのに俺の願いだからと無理を承知でついてきたのだ。つまり、何があっても俺が責任をもって彼女を守りぬかねばならない。
「頼むからこういう事は最初に言ってくれ。君を苦しめてまで先に進んでも仕方ないだろう。俺達は二人でひとつじゃなかったのか。君が苦しむなら、奥まで行く必要なんてない。日帰りだって充分稼いでいるんだ、金稼ぎなら他の方法だってある。どっちかが一方的に負担を受ける事はしない。いいな?」
「わ、わかったよぅ」
弱々しく頷くリリィを見て決断する。これは駄目だ、撤退しよう。彼女の症状を自分で受けて解ったが、これは体の不調ではない。ダンジョンの持つ瘴気とも言うべき濃密な魔力がリリィを苦しめているのだ。この状況を改善するには回復魔法やポーションでなんとかなるレベルの問題ではない。言ってみれば今の彼女にとってダンジョンの空気自体が毒のようなものだ。
これは無理だ。俺は夜営の荷物を<アイテムボックス>に突っ込みながら決断する。
「今すぐ帰るぞ! 地上まで我慢できるか?」
「駄目だよ。絶対に20層に行く! 今日はそのために無理してここまで来たんじゃない!」
頑として譲らないリリィだが、こんな状態の彼女をつれていくわけには行かないだろう。なんと説得したものかと悩んでいると、不意に思い立った。
現時点での時刻は午後11時過ぎだ。ここから急いで地上に戻ってもおそらく3時間はかかると思われる。さらにこのダンジョンは日付が変わると階段の位置が変わると言う話だから最悪の事を考えると4時間以上かかる可能性もある。当然、全てが都合良く行く場合もあるだろうが。
だが、もし20層のボスを撃破して、あるとされている転送門で帰還することが出来たらどうだろうか。
今は安全地帯の17層にいるが、下りる階段のそばにいるので既に18層にいるようなものだし、18層もすぐ近くに階段がある。実際は19層にいるようなものだ。これならばごく短時間で20層まで到達できるのではないか? もちろん、20層に何もない可能性もある。ボス部屋だけで肝心の転送門がない可能性だってある。
だが、リリィは絶対に行くと聞かないだろう。彼女にしてみればせっかく苦しい思いをして降りてきたのにその甲斐なく戻ってしまえば全ての意味がなくなるのだろうが、こちらとしても相棒の状況を理解している。いや、本人以上に理解してしまっていた。
このままダンジョンに居続ければ彼女は”消えてなくなる”。
俺も繋がったことで理解したのだが、今の相棒は非常に危険な状態だ。
はっきりとした形容は難しいが、普段からリリィが地上で取り込んでいる何かがダンジョンにはなくて、仕方なくダンジョンにあるもので補っているという感じか。
ダンジョンのものはリリィにとっては良くないものが多く、それによって彼女は非常に苦しめられているのだ。
例えるならリリィを形作るものが白い水だとする。それは生活の中で消費されるが、地上では問題なく補給できる。しかし、ダンジョンにはそれがなくここで補えるものが黒い水だ。リリィがリリィでいるためには白い水である必要があるが、仕方なく取り込んだ黒い水によって、彼女全体は今灰色の水になろうとしている。完全に灰色になってしまってはリリィでなくなると言えば解りやすいだろうか。
だが、そんなリリィは今も無理を押してなんでもないように振舞っている。20層に行くのが俺の望みだから、今だって一言も辛いと口にしない。だが、リリィは自分の命を削って俺に付き合ってくれていたんだ。
俺はそれに気付かず、無為に時間を消費した。貪欲に先を目指し、20層のボスをさっさと撃破すべきだった。時間潰しとして暢気に釣りや魚獲りをしている場合ではなかったのだ。
自分の愚かさに思わず自殺したい衝動に駆られるが、今は行動するしかない。自分の行動を駆使し
「このまま20層に突入して、ボスの先にあるはずの転送門帰還する。それでいいな? もし転送門がなくても文句言うなよ」
リリィは軽く頷いただけで、満足に返事をする元気もないようだった。一寸を争う状況である事を改めて理解した俺は、宿泊道具をしまうとリリィを懐に入れて飛び出した。
「少しだけ我慢してくれ。ここからは掛け値なしの全力で行くからな!」
楽しんで頂ければ幸いです。




