表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

第九話 不思議の国と聖域。

 木崎さんの腕に抱かれながら、重々しい聖域の扉を開く。……いや、開いたのは木崎さんなんだけれど。

 意気込んではみたものの、結局は勇気を出し切れずに、木崎さんの懐に落ち着いたまま私は聖域の中へと誘われた。興奮というか、緊張というか、そういう状態になると犬だからか瞳にたくさん涙がたまる。別に悲しいわけではないから、妙な気分だ。

 木崎さんが一歩足を踏み入れると、かつん、と靴底と地面が当たる音が響いた。随分と硬い地面のようだ。ひょっとすると、コンクリートかもしれない。

 外観からはもう少し広いかと思っていたけれど、どうやら奥に続くあと一部屋だけで終わりらしい。壁や扉で仕切られているわけではなく、段差が出来ていて奥に長い造りになっている。外観は随分と作り込んでいたようだけれど、中はシンプルだ。壁の素材がそのまま剥き出しになった状態で、天井には無数のコードが伸びている。上だけ見ると何やら思いだすな……ああ! ライブハウスだ。あちこちに配線めいた物が伸びているのは、生前よく訪れていた気がする色々な会場にそっくりだと思った。どうやらあれらは、奥の部屋に向って伸びているようだ。それにしても最初の部屋にあたるここ、本当に何もないな。床に複雑な術式めいたものが書き込まれている以外は、何も特徴がない。

「ルナ、壁をよく見て」

 しばらく周囲を見回していた私に、木崎さんが声をかける。中央にいた私たちだけれど、木崎さんが壁際まで歩いた事によって、先ほどまで冷たい印象を抱いていた無機質な壁が間近に迫っていた。

 あれ? これって……。

「読めるかい?」

 木崎さんの問いに、私が頷く。少し小さめだけれど、これって……人の名前、だよね。

 私は鼻先が擦れるくらいに壁まで顔を寄せた。壁には、頑張れば数えられるかもしれない程度の人間の名前が延々と書かれている。どこまで続くのだろうと視線で辿ってみると、この部屋の四面ある壁のうち、二面と半分程度は埋まっている事がわかった。

「ここに書かれている人物の名前には、ある共通点があってね」

 木崎さんの平坦な声がいやに響く。どうしてだろう。私は暖かい状態を魔法によって保たれているはずなのに、どこかからじわりじわりと冷たいものがせり上がってくるような錯覚がした。

「ひとつは、聖域の謎を解き明かそうと熱心にこの場所を研究していたという事」

 ああ、ずっと噤んでいた答えを今くれるのよね。けれどどうしてだろう、聞くのがとても怖いよ。

「もうひとつは――一人残らず急死している事」

 木崎さんの声は、本当に何も感じていないかのように事実を語っていた。悲しいのか、悲しくないのかもわからないような声音は、私を落ち着かない気分にさせる。

「思考停止をする理由は、この聖域の謎を解こうとするのは、自殺する事とイコールだからなんだ。どうしてなのかはわからない。けれど皆、恐らくは聖域の理に辿り着いたんだろう。けれどそれが露見する前に、彼らの研究資料と共に彼らは亡くなっていった。皆、気絶するかのようにぱたりと倒れ込むと、もう息をしていなかったそうだ」

 それは……つまり、木崎さんが話していた、何らかの術式が発動したという事なの? けれど、そんなの、可能なのだろうか。

 人の生死に関与する魔法だなんて――人間が行使していい領域の話ではない。

「最初は、関連付ける人間はいなかった。しかし何人かの人間がそういう死を遂げて、ある日気が付いたんだそうだ。人々の死後、この聖域に名前が刻まれているのを。調べたらそれが、全て聖域の研究に心身を砕いていた人々と一致していたと。そうして、迷信でもなんでもなく、この世に生を受けた人間がすべからくその死から逃れられないのだと、全世界の人間が知るに至った。以降、聖域に触れる事は禁忌となったんだよ」

 そして、誰かが言った――これは天罰なのだ、と。

 木崎さんの渇いた声で、なんとなくわかった。木崎さんは、怒りと、悲しみを感じているんだ。この聖域という存在そのものに。

「神の領域にあるものを、人間が読み解こうとするから、神から罰が下るのだ、とある人は言ったよ。けれど、ルナ。おかしいと思わないかい?」

 木崎さんが私を抱く腕に、ほんの少し力を込める。それまで無感動だった声音に、少しの怒りが混じった。

「この世は理で出来ている。それは誰しもが知っている常識だ。そして理を読む者こそ、この世界では善とされてきた。考えよ。止むは死す――昔の偉人が残した言葉だ。世界を今よりもっと良くする為に。人類が進む道を少しでも多様に繋げられるように。魔法の可能性は無限。だから、毎日考えて、決して超えられない壁だと感じても、考える事を止めちゃいけないって。ずっとそう教えられて育ったのに」

 聖域は、この世界ではきっと最大の謎なのだ。けれどそれを読み解く事は、禁じられた。確かにおかしな話だ。ならばどうして、こんな世界を作ったのだろう。目の前に聳える大きな壁を、打ち破る努力をしてはいけないだなんて、理不尽だ。

「俺は昔から、人間らしい情緒に欠けると言われてきた。親にも、教師にも。けれどだからこそ、理を知る事から始まる魔法研究は、そんな自分を肯定してくれるような気がしてね。唯一夢中になれる物が人類の生きる理由ならば、俺みたいな人間だって許されるんじゃないかって、幼い頃はよく思っていた」

 ふふ、と笑う木崎さんの声は、どこか力が入っていないように感じる。大丈夫なのだろうか。とても大事な、木崎さんの根底の部分を私に話してくれている。嬉しいけれど、私なんかが聞いてていいのだろうか。ぐるぐると余計な事を考えている間にも、木崎さんは話す事を止めなかった。

「けれど、そんな自分を唯一認めてくれた、魔法研究とは何たるかを教えてくれた人が、師と呼んでいた大切な人が、ある日突然死んでしまった。その人の名前は――この壁のどこかに刻まれているよ」

 ひゅ、と声にならない空気が、私の口から漏れた。瞳からは、涙がぽろぽろとこぼれている。緊張からなのか、本当に泣きたくて泣いているのか、犬である私にはわからない。

「馬鹿な事をって周囲は言ったよ。けれど、そうじゃない。こんな大きな謎を目の前に、研究しないわけがない。だって彼は、この世界の一員で、誰よりもこの世界の人間らしく生きていたんだから」

『木崎さん、ありがとう』

 気付いたら私は、我慢出来なくて言葉を紡いでいた。多少間抜けではあったけれど、じたばたと懐で暴れて、なんとか方向転換を試みる。そのかいあってか、木崎さんと向き合う形になれた。どうしても、木崎さんの顔が見たかったのだ。

「……どうしてお礼を?」

『木崎さんの大切なものを私にわけてくれた』

「大切なもの……」

『木崎さんは私を、家族にしてくれた。木崎さんの大切な部分を、教えてくれた』

「ルナ」

『木崎さんにとって嫌な思い出のある場所に、連れてきてくれた。木崎さんに貰われて幸せ。ありがとう』

 ぺろり。

 木崎さんの頬を舐める。木崎さんたら。どこが情緒に欠けるのよ? 呆れちゃう。

『木崎さんは人間だよ。だって、泣いてる』

「ルナ……」

 どうして周囲の人は、優しくて傷付きやすいこの人をそんな風に思っちゃったんだろう。もしも表情が変わりにくい幼少期だったとしても、だから情緒に欠けるだなんて、随分と単純な思考だ。そんな結論をあっさりと下すあんたらのほうがよっぽど人間らしくないんじゃない? なんて、言ってやりたくなっちゃう。

「ずっと、ある種、抜け殻みたいに過ごしていたんだ。けれど君に出会ってからは、自分自身の意外な面ばかりと向き合っている気がするよ」

『木崎さんはきっと元々が情緒ある人だったんだよ』

「そう? どうして?」

『大切な人を亡くしたら悲しいのに、自分でも自分をなぐさめないで過ごしたから、気持ちが固まっちゃってただけ』

「そうか……そうだね、そうなのかもしれない」

 ふ、と微笑む木崎さんの顔は、もう涙に濡れてはいなかった。ぱたぱたと尻尾を揺らしていた私に気付いたのか、木崎さんはますますその笑みを深くする。

「でもルナは、こんな時でもキスをしてくれないんだね」

 残念だ。

 そう呟いた木崎さんの声が本気と書いてマジっぽかったのが嫌だ。

 しばらく流れていたシリアスな雰囲気を払拭するかのようにおどけた木崎さんのおかげか、私にも多少の余裕が出てきた。何よりも聖域を研究する事に対しての結果が判明したわけだから、わからないままでいたときよりはかなり気が楽にはなったかな。……ものすっごく重い結果だけど。

 私は木崎さんの腕から降りて、てこてこと足を動かし部屋を歩いてみる。もしもこの建物を私がかつていた世界の人が作ったのだとしたら、とか、色々と考えてはいるけれど。でも現段階では何とも言えない。そもそも考えすぎるとまずいんだよね。ど、どこまでがセーフでどこからがアウトなのか具体的に教えてくれたらいいのに! いきなりぱったりと死ぬとか本当に嫌だ。怖すぎる。この世界の人に比べたら、多分私はかなり有利な位置からスタートしちゃうわけだしねえ……とりあえず考えるの今はやめようかな、あはは。

 木崎さんと並んで、奥まで進む。段差だって慣れたものよ! 少し前の私は転んでばかりいたけれどね。はっはっは。

 おや。

「これは、本当に何なんだろうね」

 眉根を寄せて呟く木崎さんに、私は頷く。……随分と仰々しい装置ですね。

 奥の部屋には、行き止まりの壁部分一面がまるで巨大な機械のようになっていた。映画やゲームの中で見たような、とてつもなく大きいコンピューターのような物。コードは全部ここに繋がっていて、壁に埋め込まれた恐らく電源部分のような物に集約されていた。上部分は天井から伸びたコードに、下部分はそれぞれ機械に向かって繋がっている。ていうか、電源ぽいものって、どう考えても巨大な魔石なんですけど。どういうことだ? 真ん中に大きな丸いものがどーんと鎮座してるんだよね。

 私がまじまじと見つめていると、木崎さんも同じ思いなのか、首を傾げてやっぱり魔石だよなあ、と呟く。

「あれは魔石だっていうのだけはわかるんだけど……周囲にあるこの物体が何なのか、全くもってわからないんだよ。恐らくは何かを発動させる装置なんだろうけれど」

 そうだよねえ、パソコンとか何もない世界だからわかんないよねえ。しかしこれ、何かの管理をしてる装置っぽいなあ。モニターみたいなのもたくさんあるし。パソコンがものすごくたくさん並んでるみたいな画だけど、それにしては操作するボタンとか無数にありすぎるし、私自身もよくわからないや。なんか操作盤っぽい部分は、放送室とかにある機械に似てる。電源が落ちてるのかついてるのかもわからないけど、画面が真っ暗だから落ちてる状態、なの、かな。

「あと気になる箇所といえば、これだよね」

 そうそう。視界の隅にちらと入っていたそれ。木崎さんが改めてそれを指し示していたけれど、私もとてつもなく気になっていた。

「これ、扉なんだと思うけれど、ドアノブがないんだ。魔法で開くと思うんだけれど、見てごらん」

 左の壁に、どう考えても扉だろうとわかる周囲の壁とは色が違う部分がある。そして木崎さんが視線で示した先にあるものは、浮かび上がった文字だった。

「聖域を知る者、触れよ、その答えを告げよ――恐らくだけれど、これはきっと正解の言葉を声に出せば、それを認識して扉が開くんだと思う。けれどただ言葉を知っているだけではいけないんだ。手で触れて、その紡いだ言葉の意味を知っているかどうかを扉の術式が探るんだと思う。この術式自体は可能な範囲内のものだけれど……この先に進んだ人は、もちろんいない」

 なんとなく、これの答えわかっちゃったなあ。

 私は木崎さんの腕に抱かれて、犬に生まれ変わった自分を嘆いていいのか喜んでいいのかわからなかった。

 音声認識て。私、喋れませんしね? いやまあ、ね、入ったら駄目だろって話になりますけどね、ええ。

 しかしわからないなあ。聖域を作った理由も、触れたら死ぬだなんて物騒な事をした理由も、そんな仕掛けを作ったにもかかわらず好奇心をくすぐるような扉を用意している理由も。

 まあ、現時点で、ただひとつ言える事があるには、ある。

 私は木崎さんの腕を前足で、てしてし、と叩く。すると木崎さんは慣れたもので、くるりと私を反転させると、木崎さんと向かい合う形にしてくれた。先ほどからずっと、人が出入りする気配がない。直通の便があるわりに人があまり訪れないのは、色々と複雑な理由が絡み合っているのだろう。だからこそ、こうやって私と木崎さんは堂々と会話出来るわけなんだけどさ。

 木崎さんをじっと見つめつつ、私は魔法を発動させる。

『聖域を造ったひと、悪趣味だね』

「………同感だよ」

 落ち着いた状態だったからか、とても綺麗に紡がれた私の文字を見て、木崎さんはため息交じりにそう呟いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ