第88話 玉座への礼儀と、ファンギフェスタ
アルヴァレイン王城、その最奥に位置する『謁見の間』。
重厚な真紅の絨毯が敷き詰められた静謐な空間の奥、一段高くなった玉座には、この国の頂点に君臨する智王・レオニスが腰を下ろしていた。アッシュグリーンの髪に翠玉の瞳を持つ彼は、50代前半という年齢を感じさせない若々しさと、大陸随一の政治的怪物と称される全てを見透かすような威厳を纏っている。
無事の帰還の報告に訪れたシルフィー、レグルス、カイの三人。その背後からぞろぞろとついてきた予期せぬ一団を見て、レオニス王は目を瞬かせた。
「ん? ナタリーも来たのか。どうしたんだい?」
「パパ! 楽しそうだったからついてきちゃった!」
第三王女ナタリーは、父親である王に向かって悪びれもせず目を輝かせた。
厳粛な場に似つかわしくない無邪気な返答に、レオニス王は怒るどころか「はっはっは」と快活に笑い声を上げる。
「ナタリーが言うなら、きっと楽しいことが起こるんだろう。……で、ナタリーのそばにいるその男の子が、例の?」
「はい。こちらは私と一緒にナタリー様の付き人をしている――」
完璧なメイドであるアリスが一歩前に出て紹介しようとした瞬間、ナタリーがそれをビシッと手で制した。
「アリス、駄目よ! レンに自分で挨拶させなさい!」
「えっ、俺……私が、ですか?」
レンは一瞬戸惑ったものの、コホンと咳払いをして王の御前へと進み出た。そして、直前にナタリーから「王への絶対的に正しい挨拶の作法」として叩き込まれた言葉を、極めて真面目な顔で、大真面目に紡ぎ出す。
「わ、私はナタリー様の付き人を、あの、させていただいております。レンでちゅ! 宜しくお願いちましゅ!!」
深々と、完璧な角度で頭を下げるレン。
――数秒の、完全な静寂。
そして。
「ぶっ、がはははははッ!! お前、噛みすぎだろ!!」
「いや……ふふっ、これはナタリーが仕込んだね。本当にひどいな、ナタリーは」
静粛な謁見の間は、レグルスの大爆笑とカイの噴き出す声によって完全に崩壊した。 鉄壁のポーカーフェイスを誇るアリスでさえ、「ナタリー様……こんなところでこれをさせては駄目です……ぶふっ」と肩を震わせて口元を覆っている。
「あーはははははは! あーお腹痛い! 笑い過ぎて死ぬわ!」
「え? ん? 何がおかしいんでちゅか?」
仕掛け人であるナタリーがお腹を抱えて爆笑する中、レンだけが真面目な顔のまま焦っている。その愛らしすぎる姿に、シルフィーも必死に唇を噛み締めていた。
「レ、レン……っ、くっ……私は……ブフっ、笑ってないからね……っ!」
「全く、ナタリーは……。レン君、後で正しい挨拶をアリスからしっかり聞いておきなさい」
涙目で笑いを堪えるシルフィーと、呆れながらも目尻を下げるレオニス王。
ひとしきり和やかな笑い声が響いた後、王が軽く手を鳴らすと、謁見の間の空気は一瞬にして王族がまとう厳粛なそれへと切り替わった。
「さて。シルフィーちゃんも無事に帰ってきたことだし、本題に入ろう。半年後に控えた『半成人式』についてだ」
王の翠玉の瞳が、鋭い知性の光を帯びる。
「10歳を迎える半成人式の主役は、歴代最高の聖女シルフィー、帝国の第二皇子ルーカス、そして我が国の第三王子ボンジの三人だ。さらには来賓として、我が国からは第一王子のエド、第一王女のリアン、帝国からはあのアレイシス皇子、そして彼の護衛としてヴァルガやガルヴァンらも参加予定となっている。つまり、警戒レベルは最大まで引き上げねばならないということだ」
「げっ。あのイカレ女も参加するのかよ……」
戦闘狂の帝国騎士・ヴァルガの名を聞き、レグルスが露骨に嫌そうな顔をして頭を掻き毟る。
「なあおっさん。あいつとは真反対の場所に配置してくれよ。顔を合わせたら絶対揉める」
「実力的にも相性的にも、そうするつもりだ。カイ、今回は帝国と王国の護衛を含め、全ての警備の総指揮を頼むぞ」
王の視線がカイへ移る。
「はは、ストレスのかかる大仕事になりましたね……。畏まりました」
カイが優雅に一礼する。高度な政治的思惑と警備体制のすり合わせが粛々と行われていく中、レオニス王がふと思い出したようにレンへと視線を向けた。
「そういえば、5年前の礼がまだ言えていなかったな。レン君、あの時……聖女を助けてくれてありがとう」
「え? 何のこと……」
レンがきょとんとした顔をするより早く、レグルスが「はいはいあの件ね!」と強引に話を遮った。
「シルフィーにはしっかり言いましたし、レンにも十分俺の方から言うこと言ったんでね! 昔の話はこれで終わりだ!」
早口でまくしたて、レグルスは冷や汗をかきながら話を終わらせた。
――実のところ、5年前にシルフィーが勝手にダンジョンへ向かった際、レグルスは「自分の警備の不手際で聖女の命を危険に晒した」と糾弾されかねない状況だった。そのため、「勝手にダンジョンに行ったシルフィーをレンが身を呈して助けた」という事実に上手くすり替えて報告していたのだ。
「……まあ、そういうことなら良い。さて、当日のシルフィーちゃんの護衛だが」
王が言葉を継ごうとした、その時だった。
「レオニス王。お話の最中に割って入る無礼をお許しください」
凛とした少年の声が響く。
レンが一歩前へと進み出て、真っ直ぐに王の瞳を見据え、流れるような所作で片膝をついた。
「聖女シルフィー様の護衛、どうか、私に務めさせていただけないでしょうか」
その言葉の響きに、シルフィーはハッと息を呑んだ。
あんなに小さくて、言葉も粗暴で、ただの不器用な狂犬だった彼が。王の御前で、恐ろしいほど堂々と、自分のために最前線に立とうとしている。
(レン……あんなに立派になって……尊い……っ)
成長したその姿に、シルフィーの黄金の瞳はたまらず感動の涙で潤んだ。まるで、立派に育った息子を見る過保護な親のような心境である。
「レン君。君の申し出は大変有り難いが……」
レオニス王は困ったように微笑み、首を横に振った。
「アレイシス皇子が、その役目を自ら買って出てくれたのだよ。式典の性質上、今回は君の出番は不要だ。気遣いありがとう」
「なっ……!?」
レンは弾かれたように顔を上げ、背後に立つカイをギロリと睨みつけた。「話が違うぞ」という鋭い視線に対し、カイは困り顔で「ごめんね」とジェスチャーを返す。
シルフィーの隣に立てない。その事実にレンが唇を噛み締めた、その時。
「お父様! 半成人式、私も参加させてください♪」
ナタリーが軽やかな足取りで進み出た。
「ナタリー。まあ確かに、今回の式典は政治的にも大きな意味を持つ。10歳を超えている各国の王位継承権を持つ若者たちも参加するだろう。そういう意味ではお前の参加は私も嬉しいが……護衛はどうするつもりだ?」
「もちろん、この子で♪」
ナタリーはレンの肩を抱き寄せ、そして、誰にも聞こえない声でこっそりと耳打ちをした。
(レン。安心して。シルフィーちゃんの近くで、いつでも守れる位置にいさせてあげるから)
「ナタリー……様!」
レンはハッとして、隣で微笑む第三王女を見上げた。普段は自分をからかって遊んでばかりの主人が見せた、完璧な機転と優しさ。レンの瞳に、確かな尊敬と感謝の光が宿る。
「でも、この子だけだと心配だから、アリスもつけるわ! それで私は問題なし!」
「はぁ……。まあ、カイが夜な夜なコソコソと仕込んでいるようだから、実力については特に心配はしていないが。何かあったらフォローできるよう、カイは会場の出入り口前に配置するとしよう」
カイが恭しく頭を下げる。
「畏まりました」
王の許可が下り、謁見は無事に終了した。
*
「レン、旧礼拝堂には戻らないの?」
謁見の間を辞し、王城の回廊へ出たところで、シルフィーは少し寂しそうな声で尋ねた。 4年半もの間、遠く離れた異国の地で、手紙の文字をなぞるだけの日々だったのだ。ようやく訪れた再会の時間を、もう少しだけ隣で過ごしたかったというのが彼女のささやかな本音である。
「ナタリー……様から、このままの言葉遣いや礼儀じゃ、とても半成人式の来賓席の裏には出せないと言われてますので……」
レンは少し気まずそうに、しかし紳士としての態度を崩さずに答えた。
「そう……わかったわ。じゃあ、またこっちに遊びに行くわね!」
シルフィーは少し残念そうにしながらも、ニコッと微笑んで手を振ると、レグルスと共に前を歩き出した。
その背中を少しの間見送ってから。
「……あ、レグルス! ……さん」
レンが、低く通る声でその名を呼んだ。
レグルスが「あ?」と面倒くさそうに振り返る。少し前を歩いていたカイも、面白そうに足を止めた。
振り返ったレグルスの目に映ったのは、先ほどまでシルフィーに向けていた『完璧なちびっこ紳士』の仮面を完全に脱ぎ捨てた、一匹の獣の顔だった。
背筋が凍るような殺気と、純粋な闘争心。10歳という年齢にはおよそ見合わない、濃密な血の匂いを纏った黄金の瞳が、真っ直ぐに最強の英雄を射抜いている。
「明後日から3日間、ナタリー様から休みをいただけたので。……小屋の前で首洗って待っててください」
それは、明らかな宣戦布告。
4年半、カイの理不尽な技術の頂点に叩きのめされ続けながらも、決して折れることなく牙を研ぎ澄まし続けた『狂犬』の、絶対的な自信の表れだった。
男と男の間に、ヒリつくような闘気が交錯する。
レグルスは一瞬だけ目を丸くした後、その獰猛な口元をニヤリと歪めた。
「ほーう。……久々、遊んでやるよ」
けだるげに手をひらひらと振りながら、レグルスは再び歩き出す。何も気づかずに小走りで先を行くシルフィーの背中を追う、その大きな背中は、どこか獲物を見つけた肉食獣のように上機嫌に弾んでいた。 カイはその後ろ姿を見て、やれやれと肩をすくめながらも楽しげに笑い、彼らの後を追う。




