005●また、この方法で?!
水銀惑星、アビスの海。
その広大な銀色の海面に、
宇宙連邦調査船エンターサプライズ号は、哀れな獲物のように横たわっていた。
メインエンジンは沈黙し、船体は水銀の潮に揺られ、
わずかなきしみ音が、まるで船が悲鳴を上げているかのように響く。
艦長のグレッグはブリッジのメインシートに座り、
険しい表情でメインモニターに映る水銀の海を睨んでいた。
「腐食の進行状況は?」
グレッグ艦長が問うと、副長クドーが答える。
「左舷ハッチ付近でアマルガム化が始まっています。このままでは、あと7時間で気密性が保てなくなるでしょう。」
「’その他’!生命維持装置の稼働状況は?」
「水銀蒸気フィルタは限界です!あと6時間で安全基準値を下回ります!」
ブリッジの一角で複数のモニターと格闘している’その他’が返答する。
鼻が赤い。彼は本気で興奮すると、こうなるのだ。
その隣で、新米の’おまけ’ことルナが、必死に計器の数値を読んでいる。
「酸素レベルはまだ大丈夫です。でも、CO2スクラバーの効率が・・・。あらゆるチャンネルで救援信号を発していますが、まだ、応答はありません。」
軌道上の僚艦9隻からの応答もない。
アビスが周回する恒星の強烈な電磁嵐が通信を阻害しているのだ。
戦闘艦隊なら、僚艦は中枢部分を内部爆破しているところかもしれない。
とはいえ、この状態で僚艦を操作し、救援に来させるのは無理だ。
絶体絶命である。
ブリッジの重い空気の中、だが、グレッグ艦長は閃いた。
これや!今回もまた、この方法や!
「待て、我々にはまだ希望があるで!運搬中の’超磁性体’や!」
’超磁性体’とは、エンターサプライズ号が調査任務で回収した、
宇宙で最も強力な磁場を発生する希少な物質だ。
危険すぎるその力は、分厚い磁力遮断シートで厳重に覆われ、
貨物室に保管されている。
人の背丈を越える立方体に加工を施され、
銀河連邦テラの研究所から、スター・トラック社に運搬中である。
エンジントラブルのため、この水銀惑星の重力に捕まるまでは順調な航海だった。
’超磁性体’届ける使命を帯びている調査艦隊、
しかし、この状況では、ここで活用しなければ、いつ使うというのだ。
「’その他’!超磁性体を貨物室から取り出し、磁力遮断シートを外して船体外部に置くで!’おまけ’は’その他’を補助し、安全プロトコルを確認!」
「え?あの危険なものをですか?」ルナが目を丸くする。
「これ以外に道はあらへん!」グレッグ艦長は断固として言い放った。
数十分後、’その他’とルナは、
船体外部に取り付けられたワイヤーに吊られながら、
超磁性体の磁力遮断シートを取り外す作業を終えた。
超磁性体を覆っていた銀色のシートが剥がされ、その真の力が露わになる。
凄まじい磁場が周囲の空間を歪ませながら水銀の海に浮かぶ。
「艦長、超磁性体の設置を完了しました!」
「よっしゃあ、ようやった!」
続いて電力供給は、超磁性体→船体底部→水銀海の三段階で接続された。
「作業を完了!」
「すぐにブリッジへ!発艦するで!」
全員が自席につく。シートベルトを確かめる。
「ごっついGが来るで!全員、対ショック姿勢。全ての予備電力を流し込む!」
’その他’は指示に従い、メインコンソールを操作した。
船体から伸びる複数のワイヤーが水銀の海に触れると、強烈なスパークが散った。
「磁場、最大!電力、最大!」’おまけ’が叫ぶ。
その瞬間、超磁性体の周りの水銀が異様な渦を巻き始めた。
巨大な電磁力が水銀を強制的に押し出し、
エンターサプライズ号はゆっくりと動き出した。
それは、エンジンの轟音とは全く異なる、重く響く地鳴りのような音だった。
急上昇!凄まじい加速!
「速度上昇!0.01c! 0.05c!」’操舵手’が興奮した声で叫ぶ。
エンターサプライズ号が水銀の海から離れるにつれて、
ローレンツ力は弱まっていく。
超磁性体の発生する磁場は距離の2乗に反比例して減衰し、
また水銀の海に流し込む電流も、船体が離れるにつれて効果が薄れるためだ。
「艦長、ローレンツ力が減衰しています!上昇率が落ちてきました!」
「最初の推力で得た運動エネルギーがある!この勢いを維持するんや!」
エンターサプライズ号は、最初の爆発的な揚力で得た勢いを使い、
重力に抗いながら高度を上げていく。
船体からは水銀の滴が流れ落ち、宇宙の闇に銀色の軌跡を描く。
「やった!脱出成功です、艦長!」
「あっ、’おまけ’どうした?!」クドーが叫ぶ。
動かない。グレッグはコンソールを飛び出し、駆け寄る。
「ルナ!しっかりせい!大丈夫か?!」
その声に、彼女がうっすらと目を開く。
「よかったあ!もう、安心やで。」
グレッグ艦長は安堵の息を漏らし、ブリッジを見渡した。
疲労困憊のクルーたちが、皆、達成感に満ちた顔をしていた。
これからエンジンの修理である。
通信が回復した僚艦が、作業ロボットを発出している。
水銀の惑星アビスは、エンターサプライズ号の背後に輝いていた。
休憩時間が重なり、ルナとグレッグは、展望室から遠ざかる惑星を眺めている。
「危なかったですね。でも、艦長、よく思いつかれましたね。」
彼は、ブルーマウンテンをすすりながら、ルナを横目でみる。
「もう、大丈夫なのか?ムリするな。」
「平気です。だって、艦長が乗艦してから、初めて名前で呼んでくれたんだもの。」
あわてるグレッグがコーヒーをこぼす。
あわてるルナがハンカチを取り出す。
航海もふたりも・・・順調でありますように。ねっ!




