048●大学で
秋の午後、冷たい風が窓を叩く。
講義室の窓からは、紅葉に染まり始めた銀杏並木が見えた。
わたし、さやかは、いつもの席に座り、ぼんやりと空を見ていた。
今日から始まった新しい講義は「社会心理学」。
なんだか難しそうだな、と少し憂鬱だった。
「さて、皆さん。」
教授の声が、張り詰めた空気の中を切り裂いた。
その声は、静かだが力強かった。
「今日は、『歌舞く』という言葉について考えてみましょう。」
歌舞く? 歌舞伎の話? わたしは不思議に思いながら、
ノートのペンを握り直した。
「歌舞く、という言葉は、奇抜な振る舞いを指す古語に由来します。しかし、それは単なる奇行ではありません。そこには、人間の根源的な心理が隠されているのです。」
教授は、スライドに大きな文字を映し出した。
『違いたい』という自己主張
「人は、集団の中に埋没することを恐れます。自分という唯一無二の存在を際立たせ、アイデンティティを確立するために、『歌舞く』という形で、他者との違いを表現する。これは、ファッションや思想、日常の選択にまで及ぶ、人間の本能的な表現なのです。」
なるほど、とわたしは心の中でつぶやいた。
個性的なファッションを選ぶ友人の顔が、ふと頭に浮かんだ。
でも、それだけじゃなくて。人は、周りと同じことをしたがるはずだ。
流行の服を着たり、同じアーティストのライブに行ったり。
「ですが、人間は『違う』ことを求める一方で、その真逆である『同じでありたい』という欲求も強く持っています。集団に属し、仲間として受け入れられたい—・・・安全と安心を求める本能です。」
教授は微笑んだ。
その通りだ、とわたしは思った。
わたしだって、みんなと仲良くしたい。
でも、それだけじゃない。
ときどき、わたしだけの秘密が欲しくなる。
「一見すると矛盾するこの二つの感情は、私たちの心の中で互いに補完し合い、絶妙なバランスを保っています。私たちは、『他の集団とは違う』という共通のアイデンティティを持つ集団に属することで、この矛盾する欲求を同時に満たそうとしているのですね。」
わたしは、ハッと息をのんだ。
そうか。だから、みんな同じ趣味のサークルに入ったり、
好きなアーティストのファン同士で集まったりするんだ。
それは、みんなと同じで安心したいという気持ちと、
他のサークルやファンとは違う、という気持ちの両方を満たしているんだ。
「この心理が、集団間の対立や闘争へと発展することもあります。そして、歴史上、より強い集団が他の集団を征服し、統一してきました。」
教授は、穏やかな口調で、人類の歴史を語り始めた。
古代の帝国、近代国家、そしてグローバリゼーション。
すべてが「統一」という流れの延長線上にあると。
「しかし、歴史はそれで終わりません。統一が進み、社会が画一的になるにつれて、再び『違う』ことを求める声が生まれます。そして、新たな『かぶき者』たちが現れ、社会は再び分裂へと向かうのです。」
教授は、わたしが毎日ニュースで見る、世界の出来事を語っているようだった。
国と国の対立、社会の分断。
すべてが、この「歌舞く」という人間の本性から生まれているのだろうか。
「『なぜ歌舞くのか』という問いは、突き詰めれば、『なぜ闘うのか』『なぜ集団を作るのか』という、より大きな問いへと繋がっています。それは、個人のアイデンティティと社会の安定という二つの力を、人間が常にバランスをとろうとしている証なのです」
講義の終わりを告げるチャイムが鳴った。
わたしはノートを見つめた。
わたしと姉には、誰にも言えない秘密がある。
それは、あの奇妙な世界線のこと。
でも、歌舞いているのは、わたしたちだけなの?
世界線は、いったい幾つあるのだろう。
その世界線に、いったいどれほどの人たちがいるのだろう?




