事故現場
広域捜査庁はその管轄を10個に分けている。
北海道、東北、関東、中部、北陸、近畿、中国、四国、九州、沖縄である。
この10の管轄には、センターという地域統括本部の下に、各地域の人口数が多い2都道府県に支部が設置される。
関東においては、東京都勝どき、神奈川県横浜に支部が置かれている。
ただし、東京に関しては、捜査部門だけでなく、広域捜査庁全体の指揮監督を司る行政部門も入っているので、東京本部という名称が用いられている。
勝どきと横浜の捜査官が関東一円で発生する広域事件を捜査するのだが、創設当初、大きな問題があった。現場によっては、移動時間がかかりすぎるのだ。
例えば、群馬の山奥に臨場しなければならない時、車で移動していては、捜査活動時間に支障をきたす。
そこで、行政部門と捜査部門の上層部が議論し、導き出した結論は、空中自動車を使う解決法だった。
当時、空中自動車は実証段階にしかなかったが、霞が関の役人たちに根回しし、実証実験を広域捜査庁でも行うという名目で、数台借り受けた。
あれから10年以上経ち、空中自動車は実用性を認められ、民間にも出回るようになった。
しかし、一般市民の平均給与10年分の価格が壁となり、空中自動車専用の航路は未だに公用車がほぼ占有している状態だった。
配備されている東京本部では、空中自動車の離着陸場を最上階に設置している。
蓮井らへの指示を終えた沢白は、バンカーへ向かった。
「おはよう、タケさん」
沢白はカウンターをコンコンと叩きながら、男に話しかけた。
設備管理課のバンカー管理担当は三条健彦という。三条は広域捜査庁に一般職として入って以来、〝鳥小屋〟の頂点を守っているベテラン職員だった。
「おはようございます。沢白主任」
三条が爽やかな笑みで挨拶を返してくる。
「予約はしていないんだが、空きはあるかな?」
沢白が尋ねると、三条は手元のタブレット端末をスワイプしていく。
「えー・・・、今日のフライトはっと・・・。お、問題ありません。午後から経済犯罪部が仙台に飛ぶのに使うそうですが、それでもバンカーにはあと2台残りますから、使っていただいて大丈夫ですよ」
言いながら、三条はタブレットを沢白の方に差し出した。沢白は受け取ると、氏名や目的地、予定帰投時刻を入力していく。
「助かるよ。静岡までなんだ」
「あぁ、それだと新幹線で行くしかありませんから、ちょっと時間がかかりますね」
「そうなんだ。リニアで名古屋まで出てそこから移動するのも面倒くさいからな」
「全くです。空中自動車がなかった時代を考えると、その不便さにぞっとしますよ」
三条はそう言って首を横に振る。そうして、沢白から返されたタブレットを操作していった。
沢白が入力した情報は、空中自動車の台数管理だけでなく、国土交通省が所管する飛行経路管理にも使用される。三条はその情報を国交省に送ったのだ。
手続きを終えて、沢白は空中自動車へと乗り込んだ。
見かけは黒塗りのセダンで、陸用自動車とほとんど差異はない。
プロペラは車の底に格納されていて、飛行モード時に出てくる仕組みになっている。
空中自動車の実証実験が始まった二十年前は車の上にプロペラや翼、ジェットエンジンをつけただけといったような無味乾燥な仕上がりだった。
それに比べると、随分と実用的なデザインに変わったものだった。
エンジンスイッチを入れると、カーナビに先ほどタブレットから入力した目的地が表示されている。
沢白はカーナビを何回か操作し、目的地までの自動操縦を設定した。
入力を終えて少し待つと、バンカーの屋根が音を立てて二つに割れ、日光が差し込んできた。
やがて屋根が見えなくなった。
離陸準備が整い、カーナビに〝enjoy FLIGHT〟の文字が表示される。
すると、空中自動車が静かに上昇していった。。
沢白はこの離陸の瞬間が好きだった。
旅客機では味わえない距離で、空を舞い上がる瞬間を見ることができて、たまらないのだ。
プロペラの振動が運転席に伝わってくる。
視界もどんどん高くなり、すぐに青空が沢白の目に飛びこんだ。
空中自動車のフロントは西に進路を取り、ゆっくりと専用航路に進み始めた。
専用航路に入っても、他の車両はいない。
沢白は満足しながら、ひと眠りつこうとシートを後ろに倒した。
〝鳥小屋〟を飛び出した空中自動車は、一路静岡へ向かう。
空中自動車は、東海道の空の下、静岡・山梨の県境にある山々の真上を進み、やがて峠の休憩所のような駐車場に着陸する。
1時間ほどの旅路だった。
着陸のアナウンスで、沢白は目覚めた。
ここは神楽峠の中腹。能味尊の事故現場から数百メートル離れている駐車場だ。広い駐車場だが、車は一台も止まっていない。
着陸した空中自動車を地上走行モードに切り替え、沢白は事故現場まで向かった。
うっそうとした草木が茂る峠道は、急なカーブが何度も続く道だった。<スピード落とせ>の標識が目に入る。
速さを尊ぶようなドライバーなら攻める道だろうな。沢白は運転しながら、そう思った。黒川に初めて会った日、蓮井が独りごちた言葉を思い出す。
『飛ばし屋かよ』
あの日、黒川は駐車場をかなりのスピードで飛び出した。
蓮井の評通り、黒川がスピード狂であったなら、往診から帰る能味尊の原付を急カーブですれ違いざまに轢いたとしてもおかしくない。
しかも、峠を進む間、対向車とまったくすれ違わなかった。
あまり使われない道なのだろう。だとすれば、飛ばし屋がより好む道だ。
東京に戻って、黒川の運転がどんなものであったか調べる必要がありそうだ。
数分運転すると、事故現場に到着した。幅の狭いうなった道で、日ごろ街中しか運転しないようなドライバーであったら、対向車がすれ違うのも恐怖を感じる道だろう。
現場を過ぎると、200メートルほどストレートが続いていたので、沢白は幅広の道路脇に車を停め、歩いて事故現場へ戻った。
2年過ぎていることもあり、現場周辺には事故が起きたような形跡は残っていない。ガードレールの向こうには神楽峠を覆う深緑の木々が広がっている。昼前だというのに、道は暗く、そして寒い。
そこへ、1台の軽トラックが対向車線をのろのろと走ってきた。
軽トラックは、さらにスピードを落とし、沢白の隣に車を停めた。
「兄ちゃん。こんなところで何しとるんだ」
訝し気な顔をした運転手が、窓を開けて聞いてくる。
沢白が車内を覗き込むと、乗っているのは運転手一人だった。
作業着を着た高齢の男だ。トラックの荷台には野菜が積んである。近所の農家だろうか。
沢白は捜査官バッジを見せた。
「2年ほど前のひき逃げ事故を調査しています」
そう言うと、男は目を丸くした。
「能味先生の事故を調べとるんか?また今頃になってなんで・・・」
今度は沢白が驚く番だった。
「能味尊さんをご存知なんですか」
「このあたりに住んどって、先生のことを知らん人間はおらんよ。生まれたての赤ん坊から死にかけの年寄りまで、みんな先生の世話になっとるからな」
「先生はどんな方でした?」
「どんな方ってそりゃいい先生だったよ。何かあればすぐ来てくれる先生さ。だからあの日も佳奈さんの往診に山梨まで行ったのさ。・・・でもそうかい、とうとう警察もあの金持ちを捕まえる気になったかい」
佳奈さんというのは、未亜が話していた往診先の患者のことだろう。正確には警察ではないのだが、それよりも老人の一言が気になった。
「・・・あの金持ち、とは?」
「やだな、分かっとるくせに。東京の金持ちだろ。射撃場のオーナーに金掴ませて、自分は事故のあった日に神楽峠なんか走っとらんと、嘘ついて逃げたんだろうが」
老人は憤懣やるかたないといった様子で言い切った。
「射撃場のオーナーに金を掴ませた・・・」
「みんな知っとるよ。事故からしばらくして、あのおんぼろ射撃場が真新しく変わったんだ。
どうみてもその金持ちから口止め料をもらったとしか思えん。
わしらのような何の学もねぇ人間ですらわかっとるのに、なんで警察は動かねぇんかと、かかぁと言いよったところなんじゃ」
浜尾未亜の話から、射撃所のオーナーがこの事故に何らかの関与をしていることは予測していたが、そこまであからさまな兆候があったとは、想定外だった。




