「裏はない」
黒川との対決を終えた沢白は現場となったホテルを後にして、永田町駅へ歩き始めた。
時刻は22時。黒川と話したら直帰するつもりでいたが、黒川の挑発を受けて火がついてしまった。これから〝鳥小屋〟に戻り、今度の事件を見直すつもりだった。
報道陣や野次馬で発生した人混みをかき分け、ようやく路地に出た沢白にだみ声をかけてくる人間がいた。
「挨拶もなしに帰るの、沢白ちゃん」
よく知っている特徴的な声に、沢白は振り向く前から顔をしかめた。
せっかく顔を合わせず、帰れると思ったのに。
沢白は、声のした方へしぶしぶ体を向けた。
白髪頭の小男が立っている。歳は沢白と同じくらいだが、随分と老けて見える。よれよれのスーツに、薄汚れた革靴を身につけて、厚い唇を意地悪そうにゆがめていた。
「捜査はどうした」
沢白は今しがた出てきたばかりのホテルに顎をやる。
「こっちは動かす兵隊が多いの。指示さえ出しときゃ、ちょっとくらい抜け出しても問題なし」
「それはそれは。いいご身分だな。福澤警部」
男は、警視庁捜査一課強行犯四係の係長だった。沢白が都内で臨場した場合、現場捜査を指揮していることが多く、何度もやりあってきた刑事だ。
「顔出しただけなんて珍しいね。こっちはその顔見た瞬間、臨戦態勢に入っちゃったっていうのに」
「あぁ、ちょっとな・・・」
「うちの人間を引き抜いた件と関係してんの?」
にやついた顔だが、その小さな目は鋭く光っていた。
SSBCから分析官を一人派遣してもらうよう警視庁に要請したのは、30分ほど前のはずだ。
もう福澤の耳に入っているのかと、驚きそうになったが、この男の情報収集能力が、ほとんど化物並みだという事実を思い出す。
「なんの話だ」
「とぼけるなよ。良いこと教えてあげるから」
「良いこと? 何だそれは」
「ないしょ」
薄気味悪い顔に、沢白は踵を返す。
「うそうそ、ごめん。沢白ちゃん、許して!」
福澤が両手を合わせて拝むようなポーズで追ってくる。
全くこの男ときたら、さっきまで凄んできたかと思えば、次の瞬間にはおちゃらけた態度で翻弄する。
警察相手の管轄権争いで負けなしの戦績を残す沢白だが、福澤はやりにくい刑事だった。広域捜査官になる前からの知り合い、というのも影響しているのだろうが。
そそくさと歩く沢白を追いかけながら、福澤はなおも一人でしゃべる。
「だってさ、広域捜査庁ってどちらかというと分析、うちでいうところの筋読みがメインじゃない?
それなのに、分析官寄越せって言うのも妙な話だなぁと思ってさ、しかも急にだよ。ちょっと気になるでしょ。
で、そこに臨場要請が来て、行ってみたらまぁびっくり。沢白ちゃんがいるんだもん。
しかも、ガイシャと喋っただけでお帰りと遊ばしちゃあさらにびっくりよ」
相変わらず刑事のくせによく喋る。
これで検挙率が警視庁どころか全国一位なのだから、並みの刑事なら嫉妬や羨望を通り越して、絶望するぞ。
沢白は呆れながらも、立ち止まる。
これ以上、無視していれば、一緒に地下鉄に乗って本部まで来かねない勢いだ。
そうなる前に、ここで話を終わらせよう。
「そもそも引き抜いていない。警視庁に応援要請を頼んだだけだ。うちはおたくと違って、少数の自転車操業だ。人手が足りないんだよ。
あんたに見つかっちゃしょうがないが、黒川周辺を調べているのは間違いない。ここからは捜査上の秘密だ。以上」
早口で一気に話し終えると、福澤をじろっと見る。
福澤は何を考えているのか、にこにこと笑っている。えびす様のような見た目だが、中身は疫病神だと沢白は思っている。
「そうかそうか、うん。ありがとうね」
「・・・で、良いこと、とは何だ?」
「あ、黒川が桜田門に圧力かけてきたよ。うちで捜査しろってさ」
「事件が起こってまだ1時間しか経っていないのに、もう圧力が来たのか」
「現場に参事官が来てたのよ。あのホテル、今日は藤原センセを囲む会やってる最中だから。
で、ガイシャと仲良しのセンセが参事官呼び出して、それが桜田門の上に流れてってやつさ。あの人、副総監とツーカーだもの」
藤原祢佳の御用聞きで警視庁の参事官が馳せ参じた・・・。
「・・・そうか。わざわざすまんな」
沢白がすんなり引き下がったのが意外だったのか、福澤が目をしばたかせた。
「随分聞き分けがいいね。具合でも悪いの」
「いや、あの時代の寵児殿にはかなり嫌われているからな。そんな予感はしてたんだ」
「そっか。ま、あんまり無茶しないようにね」
「で、どんな裏があるんだ」
それ以上、福澤が深入りしてこないことに、沢白は警戒した。
「裏? 何の話だよ」
「とぼけるな。こちらが渡した情報は、はっきり言って、ただの公開情報だ。ギブアンドテイクの対価にはなりえない。それはお前が一番分かってるはずだ。
それなのにお前は藤原議員と繋がっている警察幹部の情報をこっちにもたらした。裏があると考えるのが普通だ」
「うっわぁ。今日の沢白ちゃん、いつにも増してよく喋るねぇ。言われてみれば確かに大した情報貰ってないな・・・。でも、裏はないよ。あくまで善意の情報提供!」
言いながら、福澤は左手でピースサインを向ける。自分の時計が目に入ったのか、途端に慌て始めた。
「もうこんな時間だ。さすがに現場に戻らないと。じゃあね」
言うが早いか来た道を、走る、というより転がるように引き返す福澤。
裏はない-ー。その言葉を真に受ける馬鹿はおらんぞ。
去り行く元公安刑事を見ながら、沢白は言葉に出さずに毒づいた。




