⑨縁が交錯する時
お待たせしました。
船内を進んで、昇る階段を見つける。
ここから外……甲板に出れそうだ。
(わっ、風強い!)
やっと外に出ると、叩きつけられるような風圧に一瞬怯む。
甲板では混乱を含んだ怒声が飛び交っていた。
「アレはどこの船だっ!」
「後方からも二隻、近づいてきます!」
「密売がバレたのか、チクショウ! 見逃してくれるんじゃなかったのかよ!」
「おいっ、前方の船の様子がおかしいぞ!」
どうやら予定外のことが起こっているらしい。
だが、おかげでラオフィーネは気取られずに済んでいる。
(……キズナ?)
船の進行方向を、キズナはじっと見つめている。
(巫女さまを探してるんだ)
ラオフィーネも目を凝らしてみるが、必要最低限と言わんばかりの僅かな灯火と、頼りない星明かりの下ではよく分からない。
早く夜闇に慣れるように、何度か瞳を瞬く。
ーー"主 精霊だ"
ダインが空を見上げて一声。
間も無く、ぼたぼたと甲板に白い何かが降ってくる。
ひとつではない。
白い何かは、甲板に落ちたあと、にゅるりと蠢いた。
それは蛇の姿をした精霊だった。
「えぇっ!? もしかしてレクメス!?」
レクメスとは、ラオフィーネの父が身につけている降霊法具に宿る白蛇の精霊のことだ。
このように、いくつもの分身をつくりだせる。
ーー"よく似ているが レクメスでは無いようだぞ"
「本当だ。この蛇は赤い瞳だから違うね」
レクメスの瞳は青い。
だとすると同じ蛇の精霊でも別な存在ということになる。
(誰かが降霊法具で操っている……?)
船上にいる密売人達が、突然降ってきた白蛇に慄いている。
精霊に慣れているラオフィーネは、そばに寄ってきた一匹の白蛇に腕を伸ばした。
細長い胴をくねらせた白蛇は、ちろりと舌をのぞかせ手首にゆるりと巻き付いてくる。
ラオフィーネに対しては噛みつく様子もないが、船上にいる密売人達はつぎつぎと手足の自由を奪われ、身動きが取れなくなっている。
風に紛れて声がした。
「ーーネ! ……ラオフィーネ!」
はっとする。
風に散らされているが、耳馴染んだ声。
今ではもう懐かしさすら感じる、ずっと会いたいと願っていた人の声だ。
「……もしかして……父さまっ!?」
確かに父、シオンの声音だ。
「どこっ、どこにいるのっ!? 父さまっ!!」
暗闇に向かってラオフィーネは叫ぶ。
その時、船体が大きく傾いた。
転ばないように両足で踏ん張りながら、夜目の利くようになった瞳を船先に向ければ、突き出している縁に白い大蛇が巻き付いている。
大蛇の瞳は深海のような青。
(レクメスだ!)
間違いない。
まるで「久しぶり」と挨拶するように、レクメスは青く光る瞳を眇めてラオフィーネを見た。
波が盛大に割れる音がして、飛沫を上げながら、さらにもうひとつ赤い瞳の大蛇が聳えるように顕れる。
その背中に誰かが乗っている。二人だ。一人は女性。そしてもう一人は……間違いない、シオンだ。
「父さま!!」
「ラオフィーネ!」
大蛇の背から船の上に飛び降りた中年の男、シオンは真っ直ぐに駆けてくる。
「父さま、会いたかった!」
ラオフィーネは父の胸に飛び込むように抱きつく。
いつものように優しく頭を撫でられて、堪えきれず涙が溢れる。
「良かった……父さま、無事で……」
「ラオフィーネは大丈夫かい?」
「うん。わたしは大丈夫。でも、どうしてここに? それに父さま怪我してる」
見れば、右肘から指先にかけて包帯が巻き付けられている。
「アハハ……しくじって右手を潰されてしまったんだ」
「そんなっ!!」
シオンは軽く笑っているが、ラオフィーネは愕然とする。
(父さまは補修師なのに……!)
利き手である右手が使えなくなるということは、もう補修が出来なくなるということだ。
法具に紋様を施すことができなくなれば、補修師としては致命的だ。
治るのならばまだいい。でも、もしも治らなかったら……。
こんな仕打ちをしたガジムに対して怒りが沸く。
肩を震わせるラオフィーネを宥めるように、片腕だけで我が子を肩を抱きしめるシオン。
「気にすることはないよラオフィーネ。こうやってまた娘を抱きしめることができたんだから。それにね、もう二度と会えないと思っていたリーネにもまた会うことができた……」
「リーネ……?」
「そうだよ。彼女がキズナがいると教えてくれから、ここまで来れたんだ」
傍らに気配を感じた。
ーー"巫女……"
キズナがぽつりと呟いた。
(この人が……)
ラオフィーネは見上げる。
さきほどシオンと一緒に大蛇の背に乗っていた女性だ。
美しい人だ……。歳はシオンと同じ四十代くらいか。闇夜の中でも艶めく黒髪に、形の良い切長の黒い瞳。すっと通った鼻筋や、整った唇の輪郭。
だが、あるコトに気付いて、ラオフィーネは驚いてしまう。
(この人……似ている。わたしと……!)
同じ黒髪に黒目だけじゃない。
このリーネと呼ばれた女性の面差しは、ラオフィーネにそっくりだった。
「ラオフィーネ……貴女が……」
リーネの頰が濡れているのが見えた。
寄り添うようにシオンが隣に並ぶと言った。
「彼女はリーネ。僕の最愛の人で、ラオフィーネ……キミの母親だよ」
(母さま……わたしの……)
「ああ……、ずっと、会いたいと思っていたわ!」
感極まった声とともに、ラオフィーネは柔らかい胸のなかに抱きしめられる。
疑う余地などなかった。
でも、ラオフィーネは今まで母親のことを考えたことが、あまりにも少なかった。
「わたし……物心ついた時から父さまだけだった。だけどわたしの髪も瞳の色も父さまと違うから、本当は血が繋がっていないんじゃないかって思ってた」
「えぇっ、ひどい。そんなふうに思ってたのかい? ラオフィーネはちゃんと僕らの娘だよ」
「……うん。わたしの髪と瞳は、母さま譲りだったんだね!」
嬉しくなって、リーネにぎゅっと抱きつくと、温かさが全身を包んでくれる。
「ごめんなさい寂しい思いをさせてしまって……。ああ、こんなに大きくなって。私が知るのは、産まれたばかりの貴女だけ。でも片時も忘れたことはなかった……。嬉しい……本当に、会えて嬉しいわ……」
「わたしも、母さまに会えて嬉しい! でも、どうしてここに?」
聞きたいことは沢山ある。
此処にいることも。
どうして、父と離ればなれになっていたのかも。
「それに、母さまは巫女なの?」
リーネは頷いた。
「そうよ。わたしは巫女で、生まれたときから制限された暮らしをしてきた。でも十六になった歳に、法具補修師の修行にきていたシオンと出会って恋をしたの。巫女の結婚は、わたしの住む大陸では簡単にできることじゃない。強い霊視の力をもつ男性とでなければいけなかった……」
「うん。僕はそこまで強くないから、はじめから許される関係ではなかったんだけどね」
シオンが苦笑いを浮かべながらこぼす。
「だけど、お腹に子供がいると分かって、わたしは信頼できる世話役の人達の力をかりて、密かに産むと決めたわ。もしも巫女に子供ができたら、その子供も巫女として育てられるのが慣例だから、産んだあとすぐにシオンに託した……」
「そうだったんだ……」
「ずっと後悔していたの。巫女として逃れられないのは分かっていたけど、それでも一緒に付いて行くべきだったって……。だけど驚いたわ。罪人となったガジムを追って国を出たあとに、航海中に補給をお願いした船にシオンがいるし。昔、喚びだした祖霊の気配を感じたかと思えば、その法具が今はラオフィーネとともに在るなんて……」
「僕もまさかキズナを降霊させたのが、リーネだとは思わなかったよ。こうも縁が繋がるなんて」
ただただ驚いてしまう。
明かされた出生のこと。キズナがラオフィーネの母親であるリーネが法具に降霊させたこと。そして今の話でもうひとつ分かったことがある。
「キズナは精霊じゃなくて、祖霊?」
なんとなく、イーフやダインのような精霊とは違う気がしていた。
それにキズナは姿を顕してくれることも少ないことから、ラオフィーネは聞けなかった。一時期はキズナに嫌われていると思っていたくらいだ。
でも今は違うと分かる。
キズナなりに気を遣ってくれていたのだろう。
いつか自分の魂を喰う存在を目にするなんて、普通の人間なら恐怖と嫌悪しかないだろうから。
だけどラオフィーネにとって、キズナは命を救ってくれた大切な存在だ。
今も、キズナがいてくれたから、父と母と出会えたのだ。
ーー"そうだ オレは巫女がはじめての降霊で引き寄せられた祖霊 つまりラオフィーネの祖先ということになるか"
「キズナが、ご先祖さま……」
ーー"オレも驚いた まさかラオフィーネが巫女の娘だったなんてな でもよく似ていると思っていた"
キズナが穏やかに微笑んでから、リーネに向き直る。
ーー"巫女 オレとラオフィーネを引き離せるか?"
「ええっ!? そんなこと出来るの?」
キズナの宿っている闇の属性の降霊法具は、ラオフィーネの魂を喰らうまで離れないはずだ。それを防ぐためにサザナミは自分が身代わりになるように特別な指輪の法具を贈ってくれたが、それももう無い。
リーネはラオフィーネの首にある鎖に目を向けて、眉を寄せる。
あと一度、二度もキズナの力を使えば、鎖は動脈を裂き、ラオフィーネは絶命するだろう。
「やってみなくては分からないけど、儀式を行う必要があるわね」
ーー"オレを喚びだした巫女ならできるはずだ"
「ええ。わたしの命にかえても、ラオフィーネのことは助けるわ! でもその前に……」
リーネが夜空を仰ぐ。
ーー"主 ガジムだ 今度こそ我が喰ってやる"
そう言って、ダインが咆哮をあげる。
濃い闇色が上空に漂っているのが見えた。
ガジムだ。
幾重にも連なる鎖の法具が、ガジムの背中で翼となり浮遊していた。
お読み頂きまして、有難うございます!