⑨求婚
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繋がれた手はそのままに、ラオフィーネとサザナミは向かい合う。
「……」
室内はとても静かだ。
時折、城外の冷めやらない歓声が聞こえてくるのみ。
ゆっくりとラオフィーネに近づいたサザナミは、空いている手でそっとヴェールをめくる。羽根のように軽いヴェールは音もなく床に落ちた。
ヴェール越しではないサザナミの紫色の瞳が、いつもより熱っぽい気がして、ラオフィーネの心臓がひとつ大きく跳ねる。
「ラオフィーネ……俺は、」
ぐいっと手を引かれ、倒れ込むように体勢を崩したラオフィーネ。
「っ……!!」
繋いでいた手は解かれ……身体ごとサザナミの両腕のなかに閉じ込められたあと、優しい力加減でぎゅっと抱きしめられれば頭のなかが真っ白になる。
(〜〜〜っっ!!!)
しかもサザナミは上半身は裸のままだ。
その素肌の胸に直に頰が触れてしまって、もうどうして良いか分からない。
ばくばくとラオフィーネの心臓がありえないくらい音を立てている。
(あ……、でも……)
ここでラオフィーネは気付いてしまった。
触れ合っているサザナミの胸からも、ドクドクと早鐘が聞こえてくる。
……同じだ。
サザナミもこれ以上ないほど、ラオフィーネのことを意識しているのだ。
「……やっと言える。俺は、ラオフィーネが好きだ。初めて会った日からずっと……好きだった」
「!!」
頭の上から降ってきたサザナミの声は少し震えている気がした。
「生誕祭が終われば、アウグストと君の雇用契約は終わる。だから、今日、伝えようと思っていた……」
抱きしめていた両腕を緩め、身体を離したサザナミを見上げれば耳まで真っ赤になっている。
でもそれはラオフィーネも同じだった。
(サザナミが……わたしのことを、好き?)
なんだか夢を見ているような気分だ。
サザナミが好意を持ってくれているのは知っていた。けれどそれはサザナミにとってラオフィーネが命の恩人だからで、異性として見てくれているなんて、これっぽっちも気付かなかった。
命の恩人だから、たとえ庶民だとしても、大切に優しく接してくれているのだと思っていた。
「ラオフィーネ。ずっと君と一緒にいたい。だから――」
サザナミが忠誠を誓う騎士のように片膝をついて、ラオフィーネの手をとる。
「俺の婚約者になってくれないか?」
思い切り目を見開くラオフィーネ。
(こ、婚約者って……つまりは「結婚」っていうことだよね)
――結婚。
その言葉にラオフィーネの胸はすうっと冷えていく。現実が押し寄せてきて、ラオフィーネは一瞬でも浮かれてしまった自分に対して自嘲する。
(そうだよ……わたしは一人で生きていくって決めたんだから)
「――無理です。わたしは誰とも結婚する気はありません」
ラオフィーネがはっきりそう告げると、今度はサザナミが言葉を失ってしまう。
まさか断られるとは思っていなかったのだろう。
サザナミは王子だ。
世の女性達が見初められたいと、夢見てしまうような相手。
そんな人をあっさり振るのは国中探してもラオフィーネくらいかもしれない。
サザナミの顔が強張っている。
彼のプライドまでも傷付けてしまったと、ラオフィーネは胸を痛める。
(ごめんなさいサザナミ。……そんな顔、させたくなかったよ……)
だが意外な反応が返ってくる。
「すまない、ラオフィーネ」
「え、どうしてサザナミが謝るの?」
「君にそんな哀しそうな顔をさせてしまった原因は、すべて俺にある」
「そっ、そんなことないよ。これはわたし自身の問題でっ」
「いや、俺が君と出会わなければ、きっと君は闇の法具を手にすることは無かった……。誰とも結婚しない、ひとりきりで生きていくなんてこと、考えずに済んだんだ」
「サザナミ……もしかして、全部知って……?」
ここ最近、おかしいと薄々思っていたのだ。
ラオフィーネは、キズナのことについて、それから自分自身が背負ってしまった呪いについて、サザナミに語ったことはない。
なのに先日、サザナミはキズナに向かって全てを知った口振りで話しかけていたのだ。
「じつは、キズナに教えてもらったんだ」
「いつの間に……」
あまりにも稀有なことに驚いてしまう。
法具の精霊が、主人以外の前に姿をあらわすことは普通はない。
しかもキズナに至ってはラオフィーネが話しかけても無視することが多かったのに……。
「おかげで色々納得がいったんだ」
「納得?」
「俺は幼い頃にラオフィーネに救われたあと、何度も君に会いに行っていたんだ」
「えっ? そうなの」
それこそ全然知らなかった。
「ああ。けれど君の父上に許してもらえず、会うことは一度も叶わなかった。……そうだよな、俺のせいでラオフィーネは闇の法具を手にしてしまった。娘を不幸にした元凶がのこのこやってきて会いたいだなんて、追い返されて当然だ」
(ええぇっっー!?)
そんなこと一度も父は話してくれなかった。
まさか一国の王子を追い返していたなんて。
「ちょっと待って! わたし、サザナミとの出会いを不幸だなんて思ったこと、一度もないからねっ!」
慌てて否定する。これは本当の気持ちだ。
確かにラオフィーネは、闇の法具が己の首から外れないと知ったとき、動揺はしたし、未来が少し暗く感じてしまったりもした。
けれどそれがあったからこそ、強く生きていこうと頑張れたのだ。
後悔なんてするはずない。
(あれ……じゃあ……)
ふと気付いてしまう。
(サザナミは、罪悪感から……わたしに求婚してくれた?)
命と引き換えになんでも願いを叶えてくれる法具。いつかラオフィーネの魂は闇の法具に捧げられる運命だ。だとしたらその真実を知ったサザナミは誰よりも責任を感じてしまったはずだ。
(そうだよ……普通に考えてあり得ない。サザナミは王子様で、本当ならもっと高貴で……国のためになるような女の人と結婚するはず)
ラオフィーネとサザナミでは、天と地ほどの身分差がある。
そういえば、ふんわりとだがサザナミに婚約者候補がいるような噂を聞いた気もする。
……ずきりと、ラオフィーネの胸の奥が軋んだ。
すぐ目の前にいるサザナミの声が、だんだん遠くなっていく。
「……俺はすべてを知れて良かったと思ってる。そのおかげで、今日に間に合わせることができた」
サザナミがいつも仕事をしている大きな机の引き出しから「あるもの」を取り出すと、ふたたびラオフィーネの前にやってきて跪いた。
「な……に……?」
ラオフィーネの小さな左手をそっと持ち上げるサザナミ。右手には親指と人さし指で摘むようにして「指輪」が握られていた。
「――それって!!」
ひとめですぐに分かった。
サザナミが握っているのは指輪。だが正確に言うならばそれは指輪の形をした――法具だ。
「ラオフィーネ、愛してる。君が俺に生きる希望をくれたように、今度は俺が……俺の命が、君を守る盾になる」
「だめだよっ! それだけは絶対にだめっ!!」
指輪をはめようとするサザナミに対し、必死で抵抗するラオフィーネ。こんな時に限って、イーフとダインはだんまりを決め込んでいる。
がっしりと掴まれた手から逃れようと、足を踏ん張ったり、空いている手でサザナミの頭を押しやったりするがびくともしない。
(だめ……そんなことしたら……)
逃げたくても逃げれなくて、ラオフィーネの瞳に涙が滲む。
サザナミの持っている指輪の法具……。
そこに刻まれている紋様には深い意味がある。
しかも「今日に間に合わせることができた」という台詞からピンときてしまった。
この指輪の法具は……ラオフィーネのために作られたものだ。
そして指輪に刻まれている紋様は、不備不足なく完璧な状態。その意味を読み解くことは補修師であれば簡単だ。
(罪悪感からなんかじゃない! サザナミは……本気で……)
『俺の命、ラオフィーネに捧げる――』
サザナミは、するりとラオフィーネの左手の薬指に法具を嵌める。
『たとえ……ラオフィーネの心が俺に無くても、俺のすべてを受け取って欲しい――』
そのまま大きな左手が、ラオフィーネの華奢な指先に絡むように触れてくる。
『永久、ラオフィーネの魂のもとに、俺の魂も在るように――』
微笑んだサザナミが、ラオフィーネの身体を自身のほうに引き寄せる。
さっきとは違い、今度は苦しいくらい強い力で抱きしめられた。
ラオフィーネはサザナミの腕のなかで咽び泣く。
(ばかだよ、サザナミ!)
この指輪の法具は、おそらくグルドに教えを乞いながらサザナミが作ったのだろう。補修をするわけでもないのに、補修部屋の炉に火が入っていたことが何度かあった。グルドは濁していたが、この指輪に紋様を彫るために補修部屋を使っていたのだろう。
法具職人でも、補修補修師でもないサザナミは、きっと苦労したに違いない。
それでも法具の素材を手に入れ、ラオフィーネのための法具を作ってくれた。
接ぎ目のない指輪の形の法具は、それ自体が途切れることない「永遠の契約」を意味している。それからサザナミは己の血を合わせて紋様を刻印する。
二人の魂の婚姻を意味する紋様。
どんなに物理的な距離が離れていたとしても、お互いの魂はかたく繋がれている証。
(ああ……身体が、軽くなっていく……)
サザナミの生命力が法具を通して伝わり、ラオフィーネを癒していく。
人の肉体は「光」の属性といってもいい。
闇の属性の法具を身につけることで、確実に生命は削られていく。ラオフィーネの場合は、イーフとダインが共にいることで闇の抑制にはなっているが、それでもすべてを無効にすることはできない。
――だから、ひとりで生きていこうとした。
いつ終えるか分からない命を抱えて、伴侶を持つことなど考えられなかった。
(でも、もう……ひとりじゃ、ないんだ……)
血潮のように巡っていく温かさに、涙が溢れる。
肌の表面から、身体の内側から、サザナミの熱を与えられて、ラオフィーネははじめて魂の充足のようなものを感じていた。
「ラオフィーネ、愛している」
「わ、たし……結婚、しない……って、いっ……たのに……」
「すまない。でも、ラオフィーネをひとりにはさせない」
サザナミの声がすぐそばで聞こえる。
「俺は王族だ。これから先、俺の意に添わぬ相手と政略結婚させられることもあるかもしれない。だが……俺の心も魂もラオフィーネだけのものだ。だからラオフィーネの魂と結ばれたかった……」
「うぅ、強引な求婚……」
「すまない」
「ううん。ありがとうサザナミ。その……嬉しかったよ」
「そうか……」
安堵したように息をついてサザナミの両腕が緩む。
ラオフィーネの顔を覗きこんできて、頰に残っている涙の筋を指先で優しく擦ったあと、おでこに軽く口付けを落とされる。
(ひ、ひゃぁっっ〜!)
心の中で、なんとも言えない悲鳴を上げるラオフィーネ。
「婚姻といえば、誓いの口付けだが……、それはラオフィーネの父上に許可をもらってからにしないと、さすがに怖いな……」
「へ? 父さま?」
「ラオフィーネ、父上の安否が気になっているだろう?」
「それは……」
そうなのだ。
ずっと気掛かりで、不安で、夜も眠れていない。
そして生誕祭が終わったら、父を探すとラオフィーネは密かに決めていた。
「行こう、ラオフィーネ」
「えっ!?」
「カスファールに一緒に行こう」
「サザナミもっ!?」
「俺は俺で片付けないといけないことがある。それに……遅かれ早かれカスファールには行かないといけないしな」
そういえば、アウグストが言っていた。
交易を整備するため、カスファールの地に、サザナミが一時赴任することになったと。
そして、それを快く思わない者がいるということも。
(カスファール……どんな所なんだろう)
ラオフィーネは父を探すために行くが、自分がサザナミの助けになれることがあるなら、喜んで手を貸したいと思う。
そして一週間後、簡単な旅支度をすませたラオフィーネは、サザナミ達とともに南のカスファールに向けて出発した。
お読み頂き有難うございます!
次回から第四章が始まります。
宜しくお願いします!




