④幸せを願う
お待たせいたしました。
シリアス回で、アウグスト過去回。
この一話にアウグストのすべてが詰まってます。
アウグストは名門貴族、シュルツナー家の嫡子だ。
昔から王族の側仕えを多く輩出してきた家系で、アウグストの兄もまた、二十代という若さでアルベール国第一王太子殿下の側近を務めている。
兄は優秀だが、弟は名門家の「恥さらし」と、アウグストは後ろ指をさされている。それにも理由はあった。
もともとアウグスト自身、貴族としての生き方を窮屈だと思うきらいがあった。
――なににも縛られず、自由に生きていきたい……。
いつからか、そんな物語に出てくる冒険者のような生き方に憧れていた。
貴族の家にうまれ、一族の矜持を穢さないで生きることが、命よりも大事なことだと物心ついた時から教育されてきた。
その教えに染まりきった兄は、誰からも認められる人格者で、両親にとって自慢の息子だった。
アウグストも幼少期から教師がうなるほど頭は良かった。
勉強は好きだった。知らないことを知れるのは面白い。そのなかでも特にアウグストの興味が向かったのは世界史だった。
十歳のとき、他国の歴史をひもとき、真実を開拓していく途中で、アウグストは今まで学んだことの一部が「間違い」であることに気付いてしまう。
――貴族って、べつに偉くない!
勉強すればするほど、言語の違う大陸の歴史や文化を知れば知るほど、貴族という枠のなかで生きる自分はちっぽけな存在だと、気付いてしまった。
世界にはもっと尊いものや、敬うべきものがたくさんある。
貴族や王族たち、両親や兄も……自分と同じ"ちっぽけな存在"なのだと悟った。
野心家な両親のおかげで、王族と顔を合わせる機会は多かった。
サザナミにもだ。
初めてサザナミと言葉を交わしたのは、アウグストが十一歳になったばかりで、その時のサザナミは五、六歳くらいだった。
『その怪我、……だいじょうぶ?』
連れていかれた夜会で、ふと目の前にいた自分よりも幼い子供。
顔も、手の甲にも、たくさんの傷があって驚いて声を掛けてしまったアウグスト。
その後すぐに両親の強い視線を感じて、自分が失敗したことに気が付いた。
目の前の男の子は王族だったのだ。
この国の第三王子殿下。
許可もなく、失礼な口をきいてしまったこと、躾ができていなかったことを、青い顔で両親はサザナミに謝罪した。
周りの視線がただただ痛かった……。
『――ゆるす。ワタシの怪我が痛くないか心配してくれたのだろ?』
尊大な物言いは幼くてもやはり王族なのだと思った。
しかしサザナミは純粋な優しさと、幼い子供特有の繊細な感性を持っていた。微笑んだ瞳のむこうに寂しさの感情が見えて、アウグストは勝手に親近感を持ってしまった。
それからもサザナミとは夜会で顔を合わせることがあった。
一度、親近感を抱いたせいか、興味をもってサザナミを見るようになる。
十三歳のとき。
夜会の最中、サザナミは広間の隅で、今にも倒れそうにふらついていた。
どうしたのかと心配になったアウグストが近くに行こうか悩んでいると、次の瞬間、サザナミが上体を折り曲げ、血を吐いた。
――毒だ!
直感的に思った。同時に大きな声でアウグストは叫んだ。
『誰かっ! 医者を! 早く医者をよんでくださいっ!!』
騒めく人々の間を縫って床に伏したサザナミのもとに駆け寄ると、既に意識を失っていた。
でも息はある……。
まだ生きている……!
医者が駆けつけるまで、アウグストはサザナミのそばを離れなかった。本を読み蓄えた知識のなかで、必要なものを頭のなかから引っ張りだし、応急処置をする。
今まで耳に入ってきても、真実かどうか分からなかった熾烈な王位継承争いの噂は、どうやら本当のことだったのだ……。
アウグストは、やり場のない怒りや哀しみを感じる。
――サザナミ殿下は命を狙われている。
――あの日のたくさんの傷も、もしかしたら誰かに襲われたのかもしれない。
いくら王族とはいえ、幼い子供が背負うには過酷すぎる運命だろう。
不自然なほど到着の遅かった医者や騎士達に運ばれていくサザナミ。
今、この瞬間も、隣り合わせの「死」と必死で戦っているのだ。
――どうか無事に、戻ってきてください!
アウグストは心から願った。
夜会はお開きになり、いつの間にか両親と兄がそばにいて、冷たい瞳をアウグストに向けていた。
兄がアウグストを見て舌打ちをし「余計なことをするな」と吐き捨てた。
どういう意味だろうと思考を巡らせ、あることに思い至る。
――そうだ! 兄上は次期国王の宰相の座を狙っているんだった!
次期国王は誰になるかまだ決まっていない。
そして兄は、自分の仕える第一王太殿下を次代の国王にと望んでいる。
シュルツナー家は全力でそれを後押しするだろう。
もしも兄が国王の片腕とばれば、シュルツナー家は貴族のなかでさらに一目置かれる存在になる。
さまざまな思惑を孕んだ王位継承争い。
さきほどの兄の台詞は、つまり、サザナミが「死ねば良かった」と言いたかったのだ。
背筋がすっと冷たくなる。
『兄上はクソだな……』
気持ちが口から漏れてしまった。
けれど兄は何も言わなかったため、聞かれていなかったのかと思えば、屋敷にたどりついてすぐに、ボコボコにされた。
『俺が糞なら、お前は糞以下だ! 堆肥にもならないクズだ!』
逃げるようにアウグストは屋敷を出て、愛馬に跨り、王都を飛び出した。
行く宛などない。
満天の星を見上げながら走って、見つけたのは寂れた教会。
中に入ると、星明かりが射し込んでステンドグラスが優しい色を足元に落としている。
アウグストは祈った。サザナミの無事を……。
それからさらに数年が経った。
アウグスト十八歳。
サザナミはもちろん生きている。
あの夜の祈りのお陰だとは思ってはなかったが、それでもサザナミの「生」を願うものが此処にいることを神々に宣言したつもりでいた。
死を望む者がいたとしても、同じように生きていてほしいと思う者だっている。
ひとりじゃない。
そういうことを、あの夜はとても強く思っていた気がする。
家庭教師の仕事をしながら、アウグストは休日になると、あの寂れた教会に通っていた。
そこで一人の庶民の女性と出会い、生まれてはじめて恋をした。
貴族の令嬢達のように心身ともに飾り立てたところがないぶん、魂の強さや、素朴な美しさに惹かれた。
――美しいと思えたのは、これで二人目。
一人目はサザナミだった。
命を賭して懸命に運命に立ち向かう姿は、何よりも尊いものに見えた。
そしてアウグストが愛したい彼女は、幼い頃に両親を病で亡くしたあと教会に引きとられて過ごし、今は王都にある劇場で下働きをして生計を立てている。
貴族と庶民とでは身分差があると言い聞かせ、身を引こうとする彼女をアウグストは諦めなかった。
家名を捨てて構わないから、ずっとそばにいたいと願った。
案の定、そんなアウグストの行動は、すぐに家族に知れることになる。
夜会やお茶会では、シュルツナー家の次男は庶民の女と駆け落ち寸前、頭がおかしくなったという噂で持ちきりだった。
おかげで両親には物凄い剣幕で、縁をきるように厳しく言われた。
――本当に、駆け落ちしても良いかもしれない。
アウグストは本気だった。
貴族でなくても、この頭脳があれば、仕事くらい見つけられるはずだ。
縁を切るのではなく、求婚することを決めた。
自分で稼いだ金で、指輪を買い、話したいことがあるから教会で会おうと約束をとりつけた。
求婚は彼女の両親が眠っている教会の裏手にある墓前で、と決めた。
しかし悲劇が起こる。
約束の当日。
アウグストが教会に行くと、そこには変わり果てた姿の彼女がいた。
腹に大きな刺し傷があった。
野盗に襲われたのだと、遺体を引き取った神父が嘆いていた。
――野盗? 違う!!
王都の周りにでる野盗は、貴族や商隊など、金を持っていそうな者を襲う。
庶民の荷物だってない女を、わざわざ狙ったりしない。
だとしたら……彼女は……。
答えは簡単だ。
貴族としての体裁を重んじるシュルツナー家が、アウグストの素行を黙って見ているわけがなかったのだ。金で、殺し屋でも雇ったに違いない。
――私のせいだ! 私が貴族に生まれなければ!
ーーいや……私が彼女を愛さなければ良かったんだ!
脳裏に家族の顔が浮かんだ。
同じ血が自分にも流れているのだと嫌悪し、怒りと、後悔とでアウグストは慟哭し、同時に己を激しく呪った。
それが過ぎると、ただただ愛する者を亡くした哀しみと絶望だけが、アウグストのすべてになった。
『愛している……』
氷のように冷たくなった彼女の左手をとり、アウグストは用意していた指輪をそっと嵌める。
涙がとまらなくて彼女の眠る顔がちゃんと見えなかった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
狭い遺体の安置室は暗闇と静寂に満ちていた。
ふと気付いて、傍らを見るアウグスト。
神父が来てくれたのだろうか。
床には細い蝋燭が立てられ頼りない灯火が揺らめいている。
少しずつ空気のなかに、朽ちていく肉体の臭気が混じりはじめた。
そろそろ埋葬しなければいけない。
けれど、アウグストは動けないでいた。
――このまま、私も一緒に……。
アウグストは彼女と一緒に永遠の眠りにつきたいと思った。
それが暗く閉ざされてしまった心に残る、唯一の希望だった。
しかし、光は舞い降りる……。
安置室の扉が開いた。
緩慢に首を捻り、見遣ったところで、眩い月光に瞳を射られる。
月光?
……いや、違う。
それは月の光を浴びて輝いた、黄金色の髪。
『遅くなった……、許せ――』
声がした。
アウグストは瞠目する。
初めて聞いた時よりも低い声。尊大な物言いは変わらない。
けれど……細い灯火を宿し瞳はどこまでも慈愛にみちている。
――何故……貴方のような方が、此処に……!!
彼女を喪ってしまったこともだが、今、目の前にサザナミがいることも、あまりにも現実離れしていて、夢なんじゃないかと思う。
『サザナミ殿下……何故……』
とうに嗄れた喉で呆然と問いかける。
サザナミは何も言わず、横たわる彼女の前にしゃがみ込むと、黙祷を捧げる。
それを信じられない気持ちで見詰めるアウグスト。
黙祷が終わると、サザナミは身につけていたマントを外し、ボロボロの衣服のままだった彼女をそれで包む。
『今宵は、とても月明かりが美しい晩だ。きっと神々も見守っていてくださる……』
しっかりしろと、サザナミに腕を引っ張られて立ち上がるアウグスト。
二人で彼女を傷つけないように丁寧に運び、埋葬する。
彼女の遺体のうえに、少しずつ土をかぶせていく。
『私のせいで……死なせてしまった……。苦しい思いを、させて……』
天上の神々と、サザナミに懺悔する。
罪を償うためなら、なんだってする。
それでも、一番に戻ってきてほしい彼女の魂は、もう戻ってこないけれど。
『確かに、この女が死んだのは、おまえが原因かもしれない。けれど……この女は、愛する者に見送られるんだ。幸せに違いない』
『――……っ』
サザナミが、素手で土を掬い、彼女の上に落としていく。
その光景はアウグストの眼裏に深くやきついた。
そして、夜明けがやってくる。
立ち上がったサザナミが、アウグストに向かって片腕伸ばす。
『俺と一緒に来い、アウグスト』
『!!』
『俺のそばでは頼りなく、危険なことも多いだろうし、兄君からも恨まれるだろうが』
『サザナミ殿下……』
『それでも、このままシュルツナー家に帰るよりかはマシだと思うぞ? 世界は広い。王侯貴族なんて本当はちっぽけな存在だ』
同じだ。
サザナミも、自分と同じことを考えていた。
『俺が毒で倒れている時、なんの損得もなく手を差し伸べてくれたのは、お前だけだった。ずっと……心強く思っていた』
ああ……あの幼い頃と時と同じく、サザナミの瞳がふと寂しさに翳る。
アウグストはサザナミの土で汚れきった手を恭しく取ると、その甲に、自分の額を押し当てた。
心は譲れない。
アウグストの心は、多分これからも、愚かな自分を悔やむ気持ちと、彼女への愛を抱き続けるだろう。
――だけどこの頭脳は、サザナミ殿下、貴方に捧げます……
サザナミに唯一、手を差し伸べたのがアウグストであったように、アウグストのために駆けつけてくれたのは、王族のサザナミだった。
アウグストが、美しいと思った最初の人。
そんなサザナミのためならば、シュルツナー家を敵に回すことも、卑怯な手段を使うことだって厭わない。自分のすべてでサザナミを次代の国王にしてやろうと思った。
しかし……。
サザナミは卑怯な手を使うことも、誰かの命を貶しめる行為も許さない。
それに、国王になるつもりも無いようだ……。
たった一つ、サザナミが心から望んでいることは、愛する人と一緒になること。
そしてアウグストは、"ラオフィーネ・エルネスタ"という女のことを知る。
サザナミの最愛である、庶民の少女……。
ずきりと心が痛む。
一歩間違えば、自分のように愛する者が消される可能性だってある。
アウグストは慎重に動くことを決めた。
だがラオフィーネ・エルネスタは、幼い頃にサザナミの命を救った法具補修師だという。
普通の女とは違う。
それならば、いつか、共に手を取って歩ける道もあるだろうか。
――ただ、ラオフィーネ殿に会いにいって、父君に追い返されたというのが気になりますが……
王族を平気で追い返す人間など、滅多にいない。
アウグストからしたら、サザナミは王族として立派だし、国王の器だと信じて疑わないが、命を脅かされず健やかに生きる幸せな人生を送って欲しいと願う。
今すぐには無理だ。
けれど、いつかそういう道を切り開いてあげることができたら、あの夜、手を差し伸べてくれたサザナミに報いることができるとアウグストは思った。
お読み頂き有難うございます!




