第一話 第三王子現代へ
レオンハルト・アルヴァレインは、面倒ごとの気配に敏感だった。
それは、生まれつきの才能ではない。
王宮という場所で十七年も生きていれば、嫌でも身につく処世術である。
第一王子であれば、国の未来を背負う存在として扱われる。
第二王子であれば、有力貴族たちが勝手に派閥を作り、担ぎ上げようとする。
では、第三王子はどうか。
答えは簡単だ。
都合のいい時だけ呼ばれる。
儀式の人数合わせ。
地方視察の代理。
気難しい貴族令嬢の話し相手。
兄たちが出席を嫌がった退屈な会議。
そして今回のような、やたらと荘厳で、やたらと面倒な儀式への立ち会い。
勇者召喚の儀。
その響きだけは、確かに物語めいていた。
神殿の天井は高く、見上げれば首が疲れるほどだった。青白い魔石灯が壁面に並び、磨き抜かれた大理石の床には巨大な魔法陣が刻まれている。幾重にも重なる円。古代文字。星を模した紋様。魔力を通すための銀線が床を走り、神殿全体が一つの巨大な魔導器のように脈動していた。
中央には白い法衣をまとった神官。
その外側には、宮廷魔導士。
彼らの周囲を囲むように、鎧姿の近衛騎士たちが整列している。
玉座には父王アルベルト。
その左右に第一王子と第二王子。
そしてレオンは、少し離れた柱のそばに立っていた。
中心ではない。
だが、無関係でもない。
何かあれば厄介事が飛んでくる。実に嫌な位置である。
「……帰りたい」
レオンは誰にも聞こえない程度の声で呟いた。
すると、隣に控えていた老神官が眉をひそめる。
「レオンハルト殿下。まもなく儀式が始まります」
「だから今のうちに本音を出した」
「慎まれませ」
「始まったら慎む」
老神官は何か言いたそうに口を開いたが、相手が第三王子とはいえ王族である以上、それ以上は言えなかったらしい。代わりに小さく咳払いし、中央の魔法陣へ向き直った。
レオンは軽く肩をすくめた。
別に、儀式そのものに興味がないわけではない。
召喚術式としては、確かに大規模で精密だった。
異界の魂紋を捕捉し、空間座標を固定し、対象をこの世界へ引き寄せる。周囲に組まれた保護結界も複雑で、召喚時の肉体崩壊や精神損傷を防ぐための配慮も見える。
ただし、外周に一つ、気に入らない術式があった。
保護に見せかけた拘束式。
召喚された者を逃がさないためか。それとも、従わせるためなのか。どちらにせよ、品がない。
レオンは目を細めた。
勇者召喚。
異界より選ばれし者を呼び寄せ、迫り来る災厄に対抗する。
聞こえはいい。
だが、要するにこちらの都合で、見知らぬ世界の誰かを連れてくるということだ。
神官たちは希望に満ちた顔をしている。
騎士たちは救世主の到来を待っている。
貴族たちは、これで王国は救われると安心している。
勇者ならば応じてくれる。
勇者ならば戦ってくれる。
勇者ならば世界を救ってくれる。
随分と都合のいい存在だ。
レオンはそう思ったが、口には出さなかった。
口に出せば、面倒になる。
「始めよ」
父王アルベルトの低い声が、神殿に響いた。
神官たちが一斉に詠唱を始める。
古代語の重なりが空気を震わせ、魔法陣の銀線に光が走った。
床に刻まれた円が淡く輝く。
次に三角形。
その次に、星の紋様。
まるで眠っていた巨大な獣が目を覚ますように、神殿そのものが魔力を帯びていく。
光が強くなり、風が周囲に巻きおこる。
魔力の渦が神殿中央に集まり、空間が歪む。レオンの前髪がふわりと揺れた。騎士たちの鎧が微かに鳴り、神官の法衣がはためく。
視界を白に染める光が次第に薄れていき、魔法陣の中心に人影が現れた。
黒い髪。
見慣れない服。
肩にかけた鞄。
年齢は、レオンと同程度。
少年は石床に膝をついた。
「成功だ!」
「勇者様だ!」
「異界の勇者が召喚されたぞ!」
神殿に歓声が上がった。
神官たちは涙ぐみ、騎士たちは胸に剣を当てる。貴族たちの間にも安堵のざわめきが広がった。長く続いた不安が、たった一人の少年に向けられている。
そんな中、レオンだけは、黙って少年を見ていた。
少年は当然ながら、驚いた顔をしていた。
だが、取り乱す素振りを見せず周囲に視線を飛ばす。
天井。
壁。
魔法陣。
神官。
騎士。
王。
王子たち。
視線が早い。
状況確認をしている。
やがて少年の目が、一瞬だけレオンと合った。
その目には恐怖だけではない様々な色が映っていた。
驚き。興奮。警戒。そして、妙な納得。
レオンは片眉を上げた。
面白い。
召喚されたばかりの者がする目ではない。
老神官が、感極まった様子で前に出た。
「勇者様。よくぞお越しくださいました。我らアルヴァレイン王国は、あなた様を――」
「待ってください」
少年が手で制した。
神殿が静まり返る。
老神官は、口を半開きにしたまま止まった。
「は……?」
「説明は聞きます。状況も、だいたい察しました。勇者召喚ですよね。魔王か、災厄か、世界の危機か、そういう類の話でしょうか」
神官たちがざわついた。
「なぜ、それを……?」
「知識として」
少年は短く答えた。
声は少し震えている。だが、言葉の芯は崩れていなかった。
レオンは柱から背を離した。
召喚直後、冷静に状況を把握した。王国側が説明する前に。
どうやら、この者はただの少年ではないらしい。
少年は神官ではなく、玉座の王に向き直った。
「まず確認したいことがあります」
父王が静かに見下ろす。
「申してみよ」
「俺は、元の世界ではどういう扱いになっていますか?」
神殿の空気が止まった。
レオンは心の中で、小さく笑った。
そこを突くのか。
老神官が困惑した顔をする。
「どういう、とは……」
「俺は向こうで、突然姿を消したことになっていますか?」
誰もすぐには答えなかった。
沈黙。
その沈黙こそが答えだった。
少年は深く息を吐いた。
「やっぱりか」
先ほどまでの歓喜が、少しずつ冷えていく。
「つまり、俺は行方不明者になるわけですね」
行方不明者。
その言葉が、静まり返った神殿にひどく響いた。
しかし、少年にとっては何より重要な問題なのだろう。
老神官が慌てて口を開く。
「勇者様、召喚とは神に選ばれし魂を――」
「言い換えなくていいです」
少年は遮った。
「俺が消えれば、母さんが心配する。妹も不安になる。周りにも迷惑がかかる」
その声は、先ほどより低くなっていた。
レオンは少年を見る。
黒髪の少年は、異世界の神殿に立ちながら、自分の家族の事を考えていた。
魔法でも、勇者でも、王国でもなく。家族のことを。
「異世界召喚は理解します。協力できることがあるなら、話も聞きます。でも、俺の家族を心配させる召喚は受け入れられません」
神殿に、重い沈黙が落ちた。
レオンは少しだけ、少年への評価を改めた。
浮かれていない。
状況に飲まれてもいない。
そして、譲れない線を持っている。
悪くない。
父王が口を開いた。
「名は?」
「神代悠真です」
「カミシロ・ユウマ。そなたは、我らの世界を救う意思があるのか」
「あります」
神代悠真は即答した。
「ただし、俺の帰る場所を壊さないなら」
第一王子がわずかに目を細める。
第二王子は不快そうに眉を寄せた。
神官たちは明らかに動揺している。
レオンは、嫌な予感を覚えた。
こういう時だ。
理屈としては筋が通っている。
感情としても否定しづらい。
しかし、実行するには誰かが面倒を被らなければならない。
そういう案件は、だいたい自分に来る。
神代悠真は続けた。
「俺を勇者として使いたいなら、条件があります」
「条件か」
「はい」
神代は王をまっすぐ見上げた。
「こちらの世界に召喚されている間、俺の世界で代わりに生活する人間を用意してください」
神殿が凍りついた。
今度の沈黙は、先ほどまでとは違った。
困惑。反発。怒り。驚愕。さまざまな感情が、ざわめきとなって広がる。
「無茶を言う」
第二王子が冷たく言った。
「召喚された身で、我らに要求するか」
「します」
神代は即答した。
「召喚したのはそちらです。なら、条件交渉の余地はあるはずです」
レオンは笑いそうになる口元を押さえた。
なかなか言う。
この少年、勇者というより外交官か商人に近い。
だが、筋は通っている。
少なくとも、レオンには否定できなかった。
「家族を泣かせて始まる勇者召喚なんて、俺は認めません」
神代悠真の声は静かだった。
「世界を救う勇者が、自分の家族も守れないなんて笑えません」
父王の目に、わずかな興味の色が宿る。
レオンは心の中で舌打ちした。
まずい。
父が興味を持った。
アルベルト王が興味を持つ時は、だいたい誰かが働かされる。
レオンはそっと半歩下がろうとした。
その瞬間、父王の視線がこちらに向いた。
逃げ遅れた。
「レオン」
「父上」
レオンは即座に言った。
「まだ何も言われていませんが、先に申し上げます。嫌です」
「そなたが行け」
神殿中の視線が、今度はレオンに集まった。
実に迷惑だった。
レオンは気だるげに肩をすくめる。
「なぜ私なのです。兄上方がいらっしゃるでしょう」
第一王子が静かに咳払いする。
「私は王太子だ。王都を離れるわけにはいかない」
第二王子は鼻で笑った。
「私はこのような茶番に付き合うつもりはない」
「ほら、こういう時だけ便利に三男を使う」
レオンは深くため息をついた。
父王は表情を変えない。
「年齢が近い。王族教育を受けている。異界での潜入にも耐えられる判断力がある。そして、召喚の場に立ち会っていた者の中で、神代悠真と魂紋の波長が最も近い」
「後半は初耳です」
「今言った」
「でしょうね」
神代悠真は、申し訳なさそうな顔をしていた。
だが、要求を取り下げる気配はない。彼の中で、それだけは譲れないのだろう。
レオンは神代を見た。
面倒だ。
非常に面倒だ。
だが、この少年の目は悪くなかった。こんなところに飛ばされても、強い意思を持ち喚きもせず家族を忘れない。
その一点は、信用してもいい。
「これは王命ですか」
「王命だ」
「では、嫌ですが行きます」
老神官が安堵の息を漏らす。
レオンは神代悠真の前まで歩いた。
近くで見ると、彼は本当に普通の少年だった。騎士のような鍛えられた体ではない。魔導士のような魔力の気配もない。王族のような立ち居振る舞いもない。
だが、目だけは逃げていなかった。
「神代悠真」
「はい」
「君はなかなか交渉が上手いな」
「褒めて……ます?」
「半分は。残り半分は苦情だ」
神代は微妙な顔をした。
レオンは確認する。
「君の世界で、俺は君として振る舞えばいいのだな」
「はい」
「あまり時間もない。それでは、情報共有といこうか」
それからレオンと悠真は、身近な人物や悠真の人物像など手短にすり合わせをした。
どうやら神代悠真は、あまり目立たず大人しい人物のようだとレオンは、会話の中で感じた。
そして病を患っている事も判明した。本人曰く身体には何も影響は、ないらしい。
最後に黒いノートは、絶対に開いてはいけないと念を押された。
レオンは眉を寄せた。
解ってはいたが、この時点で任務の難易度はかなり高い。
そこへ、宮廷魔導士長が銀色の指輪を持って近づいてきた。
「レオンハルト殿下。こちらが偽貌の指輪です」
「名前からして不安だな」
「装着者の外見を、対象者に近づけます。今回は神代悠真様の外見に同調させます」
「近づける、か。完全ではないのだな」
「魂紋の差異がございますので、所作や雰囲気までは補正できません」
「つまり、俺の演技力に丸投げか」
「そのようになります」
「素晴らしい不完全品だ」
レオンは嫌そうに指輪を受け取った。
続いて、別の魔導士が前へ出る。
「さらに殿下には、異界文明適応支援術式を付与いたします」
「なんだそれは」
「神代悠真様の世界で生活するための知識補助術式です。殿下の視界にのみ、必要な情報が半透明の表示として浮かびます」
「本ではないのか」
「常時携帯性を重視いたしました」
「それは、助かる」
魔導士は誇らしげに胸を張った。
「召喚術式の残滓より、現代世界の膨大な情報を収集いたしました。一般常識、生活、学業、人間関係、娯楽、恋愛、戦闘儀礼まで網羅しております」
「今、戦闘儀礼と言ったか?」
「はい。体育祭、文化祭、屋上決闘などです」
神代悠真が頭を抱え言った。
「屋上決闘は普通ありません」
魔導士が目を丸くする。
「ですが、収集資料には頻出すると」
「それ、漫画とかアニメです!」
「物語資料も貴重な文化情報では?」
「参考になりませんよ! 展開としては胸アツですが」
何やらよく分からない事を口走る悠真を尻目にレオンは魔導士を見た。
「この時点で信用度がかなり下がった」
「殿下、情報はあくまで補助です」
「つまり責任は取らないと」
「そのようになります」
「実に王宮魔導士らしい仕事だ」
皮肉を言ってから、レオンは指輪をはめた。
淡い光が全身を包む。
銀灰色の髪が黒へ変わる。
灰青の瞳が、神代悠真と同じ色へ変わる。
頬の輪郭も、肩幅も、背丈も少しずつ調整されていく。
光が収まった時、そこに立っていたのは神代悠真だった。
ただし、姿勢と目つきだけはレオンのままだった。
神代が微妙な顔をする。
「俺、こんなに姿勢よくないです」
「知っている。今後の課題だな」
「俺のキャラを守ってください」
「努力はする」
「一番不安な返事です」
その時、レオンの視界の端に淡く青白い文字が浮かび上がった。
異界文明適応支援術式起動
対象世界:現代日本
対象身分:高校生
主要任務:神代悠真として生活し、家庭・学校・交友関係を維持すること。
なるほど。表示そのものは悪くない。
次にレオンが高校生というワードに、集中すると次の文字が浮かぶ。
高校生
現代日本における若年教育階級。
主な任務は学業、交友、部活動、試験、青春、恋愛感情の処理。
失敗時、孤立・補習・黒歴史化などの状態異常が発生する可能性あり。
レオンは沈黙した。
「すでに言いたいことが多い」
「何か表示されましたか?」
魔導士が期待に満ちた目で聞く。
「青春の処理とは何だ」
「重要項目です」
「そうか。なら、やはり信用できない」
神代悠真が不安そうにこちらを見る。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ではない」
「即答しないでください」
「だが、やるしかないのだろ?」
レオンは神代を見る。
そこには、自分の家族を心配して異世界の王に条件を突きつけた少年がいた。
面倒なことになった。
それは間違いない。だが、もし自分が逆の立場なら。
自分の世界から突然連れ去られ、残された家族が嘆くと分かっていたなら。
彼のように、堂々と条件を出せただろうか。
レオンには、答えられなかった。
「君の家族を守ればいいのだな」
「はい」
「帰る場所を壊さない」
「お願いします」
神代悠真は、深く頭を下げた。
異世界に召喚された勇者が、身代わりにされる第三王子へ頭を下げる。奇妙な光景だった。
だが、悪くない。
悪くないがまたしてもオレなのか。面倒だ。だが王命ならばやるしかない。
レオンは諦めて前を見る。
「神代悠真」
「はい」
「王族として約束する。君の帰る場所は、俺が守る」
神代は顔を上げた。
その表情には、安堵と不安が混ざっていた。
「俺も、この世界でできることをします」
「ああ。頼む」
床に、召喚術式の残滓を使った転移陣が展開される。
今度はレオンを現代日本へ送るための魔法陣。
神官たちが詠唱を始め、淡い金色の光が足元から立ち上る。
レオンの視界に、また半透明の表示が浮かぶ。
警告:異界転移開始
到着後、周囲の安全を確認してください。
家族と遭遇した場合、自然な挨拶を推奨。
推奨語句:ただいま。
「そこはまともだな」
レオンが呟くと、悠真が慌てて言った。
「妹には普通に『ただいま』でいいです。余計なことは言わないでください」
「余計なこととは?」
「我が妹よ、とか、今日も健やかだな、とか」
「言わない」
少し考えて、レオンは尋ねた。
「黒いノートは?」
神代が固まった。
「見ないでください」
「それは、見ろという意味か?」
「違います!」
その反応だけで、かなり重要物品だと分かった。
見ないと約束すべきか。任務上は見るべきか。そこまで言われると気になるが判断は後だ。
光が強くなる。
神殿の輪郭が白く滲んでいく。
父王の姿も、兄たちの姿も、神官たちの姿も遠ざかっていく。
「レオン」
父王の声が聞こえた。
「任せたぞ」
「王命なので従います」
レオンは少しだけ間を置き、付け加えた。
「イヤですが」
次の瞬間、世界が反転した。
浮遊感。
耳鳴り。
体が細い糸になって引き伸ばされるような感覚。
それは長かったようにも、一瞬だったようにも感じた。
そして、光が消え足裏が硬い地面を踏む。
レオンはゆっくりと目を開けた。
そこは、見知らぬ住宅街だった。
石畳ではない。
地面は黒く、滑らかで、わずかに熱を持っている。
左右には背の低い家々が並び、見たことのない材質の壁と窓が夕焼けを映していた。
細い柱が道の脇に立ち、そこから黒い線が空へ伸びている。
遠くでは、鉄の箱のような乗り物が低い音を立てて走っていた。
馬がいない。
魔獣もいない。
なのに箱だけが走っている。
現代日本。
神代悠真の世界。
空は夕暮れに染まっていた。
王都の赤とは違う、どこか淡く、静かな色だった。
魔石灯ではなく、道の脇に立つ街灯がぽつぽつと明かりを灯し始めている。
空気に含まれる魔素は、アルヴァレイン王国の王都とは比べものにならないほど少なかった。これでは、派手な魔法は使えない。偽貌の指輪の維持にも注意が必要だろう。
レオンの視界に表示が浮かぶ。
検索結果:現代日本の住宅街
一般市民の居住区域。
治安は比較的安定。
ただし不審行動は通報対象となる。
推奨:落ち着いて行動してください。
「不審行動の基準が分からない時点で、すでに危険だな」
レオンは小さく呟いた。
目の前には一軒の家があった。
表札には、見慣れない文字で「神代」と書かれている。
だが《バイブル》が自動で補助してくれたため、意味は分かった。
ここが、神代悠真の家。
彼の帰る場所。
レオンは息を吐いた。
ここから先は王宮ではない。
レオンハルト・アルヴァレインという名も使えない。
護衛も侍従もいない。
あるのは、借り物の顔と、不完全な術式と、面倒で重い約束だけ。
その時、玄関の扉が内側から開いた。
少女が顔を出す。
黒髪を肩のあたりで揺らした、小柄な少女。
目元は神代悠真に少し似ている。
神代美琴。
おそらく、悠真の妹。
少女はレオンを見るなり、眉をひそめた。
「お兄、何してんの。家の前で突っ立って」
レオンは一瞬だけ、視界の端の表示を見る。
妹
同じ親を持つ年少の女性家族。
兄に対して遠慮のない態度を取る場合がある。
対応:自然体を心がけること。
自然体。
それが一番難しい。
神代悠真の言葉を思い出す。
普通に、ただいま。
余計なことは言わない。
レオンは口を開いた。
「ただいま」
美琴はじっとレオンを見た。
一秒。
二秒。
三秒。
その沈黙は、神殿の儀式よりも長く感じた。
やがて美琴は、さらに眉をひそめる。
「……お兄」
「何だ」
「今日なんか、キモい」
レオンは沈黙した。
視界の端で、《バイブル》が遅れて表示を出す。
警告:違和感を持たれています。
推奨対応:平静を装う。
レオンは心の中でため息をついた。
現代高校生活、一日目。
王命による潜入任務は、玄関先からすでに難航していた。




