◆8
──俺の中に犬がいる?どうして……。
エンの言っている意味がわからなかったが、すぐに記憶が蘇った。首を噛まれたと思った次の瞬間に体の中で異変が起き、いるはずの犬が消えていた。
「あの時か……」
──いやでもまさか。だって犬は動物なんだから、人の体の中に入れるわけがない。
「身に覚えあるみたいだな。まあその瞬間は俺も見てたんだけど……。ヒロナも見てたよね」
話を振られたヒロナは「はい」と答えた。
「正直に言うとあの時点でもうあなたは死んでしまったのかと思いました。ヘルハウンドに憑かれてまだ生きているなんて思ってもいなかった」
いつの間にかマントルピースに一番近い椅子に腰かけていたヒロナは手にティーカップを持ち、紅茶をすすった。赤みがかった茶色の液体が揺れる。
「どういうことですか?体の中に犬がいる?そんなの信じられません。だってあれは犬で──」
「違う!あれはヘルハウンドって言ってね、地獄の猟犬なんだ。絶望をもたらす黒妖犬。立派な悪霊の一種だ。吐き気がすると言ってたけどそれは悪霊を受け付けない拒絶反応だ。にも関わらず君はすごい早さでヘルハウンドと一体化した。滅多にないケースなんだ。大抵は耐え切れなくなって死ぬのに、君の中には今もヘルハウンドが生きてる。もう祓うことは不可能に近い。やろうとすれば今度こそ間違いなく死ぬね」
話を聞く限り、体内を這いずり回っていた『得体のしれないなにか』はヘルハウンドなのだろう。もうここまでくるとその存在を否定できなくなっていた。霊的存在ならば足音や爪音がしないことやあの異常な脚の速さ、急に目の前から消えて真鵬の体の中に入ってきたのも合点がいく。
「じゃあ俺はそのヘルハウンドっていう悪霊にずっと憑りつかれたままってことですか?」
「ヘルハウンドが自らの意思で出て行こうと思わない限りそうだろうな。魂が一体化した状態で無理に引っぺがそうとすると君の魂まで壊れて死ぬ。紙に貼りつけたガムテープをはがそうとしたら紙が破れちゃうイメージだ」
「そんな……」
──なんてことだ。
赤い目をした犬が目の前から消えたと思ったら、自分の心をネガティブな感情が支配していく感覚を思い出した真鵬は身震いした。もう二度とあんなのはごめんだ。
「あなたたちは何者なんですか?俺を助けられなかったってことは本当はこんなことにならなくてもよかったってことですか?他の四人はどうなったんですか?ちゃんと教えてください」
少しの沈黙のあとに口を開いたのはエンだった。
「名乗ってなかったな。俺はエンっていうんだ。こっちはヒロナ。平たくいうと悪霊退治が仕事だ」
「……はい?」
「いやいや、そんなに信用できないみたいな顔するなよ」
──いきなりそんなことを言われて信用できるほうが問題だと思うんですけど。
とはいえエンが放っていた炎や今自分の周りを回っている青い魔法陣を見ると信じざるをえない。明らかに非日常的なことが起こりすぎている。しかも自分の中に悪霊がいるとなると頭ごなしに否定するわけにもいかない。
大人しくエンの話を聞いてみると、エンとヒロナは猩々緋(しょうじょうひ)という名の悪霊退治集団の者らしい。その猩々緋のリーダーがエンで、エンとヒロナを含めて全員で七人で構成されているということだった。
その七人でこの大きな屋敷に住んでいるが、他の五人はそれぞれ別の仕事に出ていていないから紹介できないと言われた。しかしそんなこと真鵬にとってはどうでもいいことだった。
「俺たちは年がら年中悪霊退治をしてるわけだけど、一年のうちでこの時期が一番危ないんだ。それでさっきあんなに怒っちゃったんだけど。その点では今も怒ってるよ。ほんっとうにアホだな、君……ってそういえば名前聞いてないな。なんて呼べばいい?」
「……大鉄真鵬っていうので好きに呼んでください」
「マホウね。わかった。ありがとう」
「あの、この時期が危ないってどういうことですか?なんの関係が?」
悪霊はいつでもどこでも危ない感じがするが、やけに活発になったりする、ということなのだろうか。
ふう、と一息ついたエンはおもむろに「ハロウィンって知ってる?」と真鵬に尋ねた。




