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第百二十段 筑摩の祭

【本文】

 むかし、男、女のまだ世へずと覚えたるが、人の御もとにしのびてもの聞えてのち、ほどへて、


 近江なる筑摩(つくま)の祭とくせなむ

   つれなき人の鍋のかず見む



【現代語訳】

 昔、ある男が、好意を寄せている女がまだ男を知らないものと思われたものが、別の男とひそかに結ばれていたことを、しばらく経ってから知って、次のような歌を詠みました。


 近江の国の筑摩(つくま)神社のお祭りが早く行われて欲しいものです。私には冷たかったあの人はいくつの鍋をかぶるのだろうか。



【解釈・論考】

 これは解釈がやや難解な話です。ある男が、女を好きになって、その女はまだ初恋も知らないような人であるように思われた、といっています。女の人が初心(うぶ)であるということは、それだけでこの男からみたら魅力的にみえたということでしょう。その女がしかし、別の男と結ばれていたということで主人公の男はショックを受ける訳です。このあたり、主人公はこの女に「清らかさ」といったものを求めていたんでしょうね。女に対して自分の理想的な在り方を勝手に思い描いており、女の恋によってそれが裏切られたということで勝手にショックを受けている訳です。そのような幻滅の仕方というのは自己完結している分には個人の自由ですが、概してそういった人は皮肉を言わずにはいられないようです。


 歌をみていきましょう。上の句で近江国(今の滋賀県)の筑摩のお祭りのことについて言及しています。滋賀県坂田郡米原町に「筑摩神社」というものがあり、その祭礼では女が交渉をもった男性の人数だけ鍋をかぶって神前に詣でるという風習があるようです。「鍋冠(なべかんむり)祭」で調べると米原市がこのお祭りを紹介しているウェブページにアクセスできますよ。

 歌をみていきましょう。この歌は『拾遺集』雑恋(1219)に題知らず詠み人知らずとして「いつしかもつくまの祭とくせなむつれなき人の鍋の数みむ」とあります。研究者によると、おそらく地域の民俗風習に関連した、民謡のような歌を『伊勢物語』が採択し、話を創作したのだろう、と解釈されています。地元の人にとっては「つくまの祭」「鍋の数みむ」とあるだけで話が通じるところを、物語として広く伝播することを意識して初句を「近江なる」と変えてどこのお祭りなのか分かりやすくしているのでしょう。「近江」が男女二人が「逢う身」の掛詞としてもとれるので、物語の内容にも即した改変となっていますね。


 最後にこの段についての阿部敏子の解釈を引用にてご紹介しましょう。


『…「つれなき人」の「つれなさ」は、もちろんこの百二十段の男自分に対して無情なのであるが、その無情さが、全然まだ男性などには関心が動いたこともない、男の情など考えたこともないというような、徹底してけろりとした無関心さをしめす「つれなさ」だったのである。それで、さすがの男もはじめは女がまだまったく生娘なのだと、むしろある好感をもっていたのだろう。ところがふとしたことから、女が高貴な人とひそかに関係をもったことを知った。けれども女はよそめには依然として何のかげりもなくけろりとしている。男は完全な無視され方を感じて腹を立てるとともに、そんな女のつれなさに、そら恐ろしさと、あまりにもすさまじいたくましさを痛感したのではなかろうか。…』

(『伊勢物語(下) 全訳注』より)


なるほど、と思える解釈です。この見方だと、女のことがただ年若く、たまたま初恋をしたのが別の男だったというような受動的な人柄ではなくて、自分というものをしっかりもって自分の価値観でやり取りをする男を選んでいるような、年若ながらも自立した女性であるという風にみることができますね。

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