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第百十九段 形見こそ今はあだなれ

【本文】

 むかし、女の、あだなる男の形見とて置きたるものどもを見て、


 形見こそ今はあだなれこれなくは

   忘るる時もあらましものを



【現代語訳】

 昔、ある女の、元の恋人で真心のない男が、形見として女のところに残していった物を見て、次のような歌を詠みました。


 今となってはこの形見がうらめしく思われます。これがなければあの人のことを忘れられるときだってくるであろうものを。



【解釈・論考】

 前の段に引き続き、男の振舞いに悩まされる女のお話です。「形見」というのは別れるにあたって自分を思い出す寄る辺として欲しいと相手に渡しておく品物のことです。現代の我々からすると、亡くなった人の形見という風にとらえてしまいますが、この時代は故人に限らず、離別に際して贈り物をすることがありました。ただ、このお話の場合は離別の理由がたとえば仕事でどこかへ旅立つといったどうしようもない理由というわけではなく、「あだなる」とありますので、男がこの女に飽きてしまったとか別の女に心を寄せてしまったとかそういうことなのでしょう。


 歌をみていきましょう。この歌は『古今集』恋(746)に題しらず詠み人しらずとして収められています。歌の意味はそのままです。『伊勢物語』のこの話では、「あだなる男」への恨み言という体で載せられていますが、『古今集』では作者も題も詞書もなく、ただこの歌だけがひっそりと収められています。作者は男性でしょうか女性でしょうか。形見を残してた人は故人でしょうか生者でしょうか。歌に込められた思いは、恋心の名残りでしょうか、恨みに思う気持ちでしょうか。『古今集』に収められているように歌それだけをみたとき、受け取り方は自由であり、読者が自分の心を重ね合わせる余地を幅広く持ち合わせている歌ですね。対して『伊勢物語』の記載では、これはやはり歌物語ですから、鑑賞する上での方向性を示しているようにも思われます。

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