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第百十四段 翁さび

【本文】

 むかし、仁和の帝、芹川に行幸(みゆき)し給ひける時、いまはさること似げなく思ひけれど、もとつきにけることなれば、大鷹の鷹飼にてさぶらはせ給ひける。摺狩衣の袂に、書きつけける。


 翁さび人な咎めそ狩衣(かりごろも)

   今日ばかりとぞ(たづ)も鳴くなる


おほやけのみけしきあしかりけり。おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞きおひけりとや。



【現代語訳】

 昔、仁和の帝が芹川の野に行幸なさったとき、ある男が今は年をとってそういったことは似つかわしくないと思ったけれど、以前は従事していたこともある役目だということで、鷹狩りの鷹の管理者としてお供をすることになりました。そこで、摺染(すりぞめ)の狩衣の(たもと)に歌を書きつけたのでした。


 皆さま、どうかこのような年老いた翁が摺初の狩の衣を着ているのを咎めてくださいますな。獲物となる鶴の泣き声のように、今日が最後の私の晴れ舞台なのかもしれませんから。


これをみて、帝のご機嫌が悪くなられました。男は自分のことを詠んだつもりであったが、帝も若くない方でいらっしゃいましたので、自分のこととして聞かれておられたとかいうことです。



【解釈・論考】

 仁和の帝というのは光孝天皇のことです。この帝は、清和天皇と二条后との間に生まれたお子である陽成天皇が若くして帝位を退かれた後(記録上は病によるものとされています)、元慶八年(884年)に御年五十五歳で即位なされました。即位なされてから元号を仁和と改められたので、仁和の帝とも呼ばれています。

 「行幸」というのは「ぎょうこう」とも「みゆき」とも読み、天皇が宮中の外へお出かけすることを意味する言葉です。このときは芹川というところに出かけたとのことで、これは今の京都府にある、伏見の鳥羽離宮の近くにあるそうです。野に出かけたということで、このとき鷹狩も行われたようですね。鷹狩というのは、勢子(せこ)役の人間が追い立てた小動物や鳥などを、飼いならした鷹を放って捕えさせるという形式の狩猟法です。『日本書紀』にも記録があるので、平安時代より以前から日本に伝わっていたようです。その、鷹狩の鷹の世話をする役目に、年老いた主人公が選ばれたという訳なのです。このとき、主人公は摺染の狩衣を着ることを許されていました。摺染の衣は、官位の高い人々しか着用が許されていませんでしたが、鷹狩における鷹の世話人には特別にこの摺染の狩衣を着用しても良いということになっていたのです。まさしく年老いた主人公としてみれば、人生最後の晴れ舞台であるように思われたことでしょう。そういった背景で、この段の歌を詠んだという訳です。


 歌をみていきましょう。初句の「翁さび」ですが「さび」という古語にはいくつかの意味がありますが、ここでは「さびれた」「弱々しい」といったニュアンスでとっておくのがいいでしょう。初句自体が二句目の「人な咎めそ」を導く序詞となっているので、初句の意味自体はおおまかな取り方でいいです。上の句全体で「私のようなさびれた翁が摺染の狩衣を着ているのを、皆様どうかお許しください」といったメッセージになっているのです。そして下の句では「田んぼの鶴も今日という日だけは声高らかに鳴いていたいのですよ」と言っている訳で、自分自身が張り切っていることを表したかったのでしょう。しかし、田の鶴というのはこの場合では狩られる獲物な訳で、まさしくその最後の鳴き声という意味にも取れますね。

 この歌をお聞きになられた帝が自分のことかと思って機嫌が悪くなってしまったというのも、それは当然のことでしょう。五十五歳ということで当時としてはかなりの高齢で即位された方ですので「翁さび」の初句も心に引っかかったでしょうし、下の句の意味も不吉な意味合いが込められているようにも感じられたでしょうね。歌の名手であるはずの主人公ですが、このようなミスを犯してしまったというところに哀れさも感じられる話です。

 このお話は「摺狩衣」がキーワードとなっており、初段「信夫摺りの狩衣」を連想させますね。初段で溌剌と登場した少年貴族も物語が終盤になるにつれて年老いた老人となってしまいました。男の人生の落日も、徐々に迫ってきているということなのでしょう。


 なお、史実では光孝天皇の芹川の行幸は仁和二年(886年)のことであり、在原業平はその六年前に没しています。『後撰集』雑にはこの段のお話の内容を端的に表した詞書と共に、この歌が業平の兄・行平の作として収められています。史書(『三代実録』)と照らし合わせると若干の矛盾はありますが、行平としてもこの芹川の行幸がほとんど最後の御奉公であったということ、それだけにその日の行平の装いも勇壮華麗であったことなどが『三代実録』の記事に残されており、この段の話はそれを元にしたものであるとみられます。

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