第百五段 かくては死ぬべし
【本文】
むかし、男、「かくては死ぬべし」といひやりたりければ、女、
白露は消なば消ななむ消えずとて
玉にぬくべき人もあらじを
といへりければ、いとなめしと思ひけれど、こころざしはいやまさりけり。
【現代語訳】
むかし、ある男が「このままでは(恋しさのあまり)死んでしまいます」と手紙を送ってきたので、女は次のように返しました。
白露よ、消えるなら消えるがいいでしょう。消えなかったからといって、それを玉にして緒を通して結び付けてくれる人もいないのですから。
というのを、男はたいそう無礼だとも思いましたが、女に恋する気持ちはいっそう強くなったのでした。
【解釈・論考】
好きな女性を恋しく思うばかりに「死んでしまいそうです」などと言うのは恋愛のアプローチとしては悪手であると思いますが、思わずそんなことを言ってしまう人というのは昔からいたようですね。この段の話とは直接関係はありませんが、大正時代の女流歌人・原阿佐緒は「吾がために死なむと云ひし男らのみなながらへぬおもしろきかな」という歌を残しています。「恋しくて死んでしまう」「君のためになら死んだっていい」などと口に出して言ったりする癖になんのかのと実際には死んだりはしない男たちのことを女はどこか冷めた目で見つめるものなのかもしれません。
さて、歌をみていきましょう。この段の女の歌も、原阿佐緒の歌と同じように痛烈です。男の命を「白露」に喩え、「消えるなら消えてしまえばいいじゃない」とはっきり言っています。さらに下の句では「誰が契りの約束の糸を通すものですか」と突き放している訳です。上の句で「消」の文字が三回も続いているのも女の気持ちを強調しているように感じられます。恋が実らなかった男には気の毒ですが、「白露」から始まる調べが美しく、この女のしなやかな感性が感じられるようで僕はこの歌が好きです。
と思ったら物語の男も「無礼だ」とは思いつつ、この歌に惚れ込んでいっそう好きになってしまった様子。さて、この男はここから女と結ばれることができるのでしょうか。




