第百四段 めくはせよ
【本文】
むかし、ことなる事なくて尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、物やゆかしかりけむ、賀茂の祭見に出でたりけるを、男、歌よみてやる。
世をばうみのあまとし人を見るからに
めくはせよとも頼まるるかな
これは、斎宮の物見たまひける車に、かくきこえたりければ、見さしてかへり給ひにけりとなむ。
【現代語訳】
昔、格別の事情があった訳でもなく尼になった方がいらっしゃいました。落飾して尼の身に姿をやつしたものの、世間の人が見物するような物が見たかったのでしょうか、賀茂の御祭りを見に出かけたところを、男が見かけて歌を贈りました。
世間を厭うて尼になられた御方だと思われますが、私にも目配せしてくださらないでしょうか、と心頼みに思われることです。
これは斎宮であった方がお祭りを見物しようと車で出かけた際に、このように申し上げたものですから、斎宮は見物を途中でやめてお帰りになられてしまったのでした。
【解釈・論考】
この段は第百二段と連動して、第六十九段の伊勢斎宮が京に帰られて以後の様子を描いています。「賀茂の祭」というのは賀茂別雷神社(通称 上賀茂神社)の祭礼のことで「葵祭」とも呼ばれています。賀茂別雷神社は飛鳥時代に創建されたとされ、古来から祭礼が行われていましたが、平城天皇(業平の祖父です)の時代の大同二年(807年)に勅命によって行われる祭祀に指定されました。現代でも続いている祭礼であり、毎年五月十五日に行われます。斎王行列などたいそう華やかで美しいそうですから、一度は見に行ってみたいものですね。出家して尼になった方も、このお祭りを見に行きたくなったのでしょう。
歌をみていきましょう。掛詞・縁語が連なっています。「うみ」「あま」「みる」「めくはせ」という言葉が掛詞になっており、掛けられている言葉がすべて海に関連する言葉ということで縁語の関係になっています。そうすることで、「海の漁師なら私に海藻を食べさせてください」という掛けられた言葉の意味を経由することで、「貴女からの目くばせが欲しい(こちらを向いてください)」という意味を導いている訳です。たいそう技巧的な歌です。この尼になった人は斎宮であった人だと物語文の末尾で語られているので、掛詞の中に海を連想する言葉を盛り込んでいるのも、二人の思い出の場所である伊勢の多気の地が海の近くであったことを踏まえたものとみるとなお味わい深いものがあります。




