32. 同じ歩幅で、これからも
「おはよう」
「おはよう、萌々香」
今日から3学期ということで、我が家の朝は慌ただしい。よく晴れた空に白い光が、未だにお正月の雰囲気を運んでくる。
「げっ……ぞうきん忘れてた」
いつも通り、結翔が慌てている。
「もしかしたらと思って、用意しておいたわよ」
「サンキュー! 母さん」
今日はあやめちゃんが登校してくるそうで、冬休み明けだけど結翔の表情が明るい。
「今日、ポップアンドスター社に一緒に来る?」
「うーん……昨日のデザイン案、まだ頭から離れなくて」
「そっか。あれ、気に入ってたもんな」
「うん。だから、もう少しだけ」
「無理はするなよ」
「お父さんこそ。ちゃんとお昼、食べてね」
2人はそれだけ言って、それぞれの準備に戻る。
でも離れる前に目が合って、少しだけ笑った。
くすぐったいけど優しいやり取り。やっぱりこんな風になりたいなって思ってしまう。
「行ってきます」
「いってらっしゃい、萌々香」
※※※
「萌々香ーおはよう!」
「おはよう、佳澄!」
「ねぇ、ちょっと聞いていい?」
「なに?」
「……冬休み、若松くんと何かあった?」
「なっ……なにもないって!」
「はいはい。その顔が答えね」
「佳澄、朝から勘良すぎ」
そんなに私って分かりやすいのかな。
ペンケースに忍ばせたピンク色のシャーペンを手に取ると、今日も頑張ろうって思える。
顔を上げると、夏くんと目が合って胸が高鳴る――今日も部活が終わったら、一緒に帰れるんだ。
※※※
吹奏楽部での3学期のイベントといえば、卒業式。
毎年演奏する曲は決まっているので、今年も同じように楽譜を見ながら練習している。
そういえば1年前の今ごろは、初恋の人のことを考えていてあんまり練習に集中できなかった。結局振られちゃうんだけど、あの時の痛みも……今となればちょっとした思い出になっている。
初恋の人と付き合ったとしても、きっとうまくいかなかっただろうな。あの時は相手に何かをしてもらう、相手を頼ることしか考えてなかったし、恋人同士って楽しいことばかりだと思ってた。
けど、夏くんと一緒にいてわかった。
恋って盛り上がるだけじゃない。
辛い時も一緒に乗り越えていくことが大切なんだ。
……ってまだ、恋を全部理解したわけじゃないけどね。
私はピンク色のシャーペンで楽譜に書き込みながら、彼のことを思い浮かべていた。
「お疲れ様でしたー」
部活が終わって片付けをしてから、体育館まで急いで向かう。割とすぐにバレー部の人たちが出てきた。
夏くんは、私に気づくと小さく笑う。
「もも、お疲れ」
「お疲れ様、夏くん」
ふたりで向かうのは、いつもの公園のいつものベンチ。
どんなに寒くても、彼と一緒なら平気だ。
ベンチに座って彼に寄り添うだけであたたかい。
「今日からあやめちゃん学校なんだよね? 結翔が張り切ってて」
「うん。あやめも楽しみにしてた。元気そうだったから大丈夫だと思う」
「良かった」
「そうだ、フルートもまた吹いてたよ」
「本当? 何だか嬉しい」
「絶対に吹奏楽部入るんだって言ってた」
あやめちゃんなら、うちの吹奏楽部で活躍してくれるだろうな。その時は自分は卒業しているけれど、楽しみに思えてきた。
「……ありがとう、もも」
「え?」
「言いたかっただけ」
「夏くん……私も、ありがとう」
その言葉が、冬空よりずっと澄んで広がる。
そっと指を絡めると、自然に手が繋がった。
手のぬくもりだけで、今日はもう充分だった。
きっとこの先も彼と一緒なら――大丈夫。
そう思えたことが、少しだけ大人になれた証みたいで、私はまた彼の手を握り返した。
※※※
家のドアを開けると、いつもより賑やかな声が聞こえてきた。
「おかえり、萌々香」
「ただいま」
リビングには、お母さんとお父さん、それから凛々子おばあちゃんと――松永先生の姿もあった。
ちょうどその時、結翔が二階から降りてくる。
「みんな来てたんだ」
「たまにはね」
お母さんが笑う。
「なぁ、今日の晩飯ってお寿司だよな?」と、結翔の声。
「結翔くんはお寿司が好きね」と凛々子おばあちゃん。
「今日は仕事、いつもより早く終わらせようと必死だったよね」と、お母さんがお父さんに言う。
「ハハ……いつもこうスムーズだといいんだけど」とお父さん。
――いいな、こういう空気。
あたたかくて、ちゃんと繋がってる感じ。
「萌々香ちゃん、今日はどうだった?」
凛々子おばあちゃんが聞いてくる。
「うん……普通」
そう答えたのに、なぜかみんなの視線が少しだけ優しくなる。
「普通、ねぇ」
お母さんが意味ありげに笑う。
「なにその言い方」
「なんでもないよ」
そう言いながら、お母さんはどこか嬉しそうだった。
――もしかして、お母さんも。
昔、こんなふうに帰ってきてたのかな。
ふと視線を感じて顔を上げると、松永先生と目が合った。
「いい顔してるな」
「えっ」
「少し前より、大人になった顔だ」
その言葉に、胸が少しだけくすぐったくなる。
「……まだ全然だよ」
「フフ、それでいい」
迷いのない声だった。
「わからないまま進めるのが、一番大事だからな」
――ああ。
この人の言葉は、ちゃんと残る。
おばあちゃんやお母さん、お父さんの中にも、きっと。
そして、今は私にも。
「……うん」
小さく頷くと、松永先生は少しだけ目を細めた。
「いい恋、してるな」
「……っ!」
頬が熱くなる。
「顔に書いてある」
「もう……!」
思わずそっぽを向くと、後ろで笑い声が重なった。
お母さんの笑い声。
お父さんの、少し照れた声。
凛々子おばあちゃんの、やわらかな笑い。
――全部、ちゃんと繋がってる。
私はその真ん中に立って、少しだけ背筋を伸ばした。
きっとこの先も。
この人たちみたいに、誰かと一緒に歩いていく。
そう思いながら、小さく笑った。
――この気持ちも、きっとどこかへ繋がっていく。
終わり




