帰宅
マジックさんが金色の翼と話をつけて帰ってきたのは、おれが庭園に匿われてから一週間後のことだった。
「やれやれ……あの石頭どもめ、思っていたよりも時間がかかってしまったわい」
マリィに肩を揉んでもらいながらマジックさんは、それでも安堵の表情を浮かべていた。
「あのヤクザ崩れがよく引き下がってくれましたね」
「おかげでうちらが仕切っとる縄張りをひとつくれてやることになったわ。まったく小僧ひとりの命に高くついたわ」
すまねえなじいさん。
ツケといてくれ。
「リョウよ、こいつは貸しじゃぞ。見事世界を救って返してみせい」
もちろん。
あんたの目が正しかったことを証明してやるよ。
「しかし、実際問題どうやって救ってみせる気なんじゃ? わしらと魔族が和解するなんてありえん話じゃぞ」
「その件ですが、シグルスさんに直談判してみようと思います」
名前を出した途端、マジックさんは白目を剥いて逃げだそうとするが、そこはおれが素早く肩を掴んで阻止する。
どうやらこの程度の接触は庭園に暴力と見なされないらしい。
「どうにかシグルスさんを説得し、シグルスさんからイドグレスに上申してもらう。世界を救うには、それしかないんですよマジックさん」
「無理無理無理無理無理! あれは人の心なんぞ解さん!」
「そんなひとが遺跡巡りなんてやりますか!? 昔はどうだったか知りませんが、あのひとは人を憎んではいません! 今なら声だって届くはずです!」
おれが懸命になだめると、マジックさんはようやく落ち着きを取り戻し、ちゃぶ台まで這って戻ってきた。
「……一歩間違えれば、おぬしの命だけでは済まんぞ」
「じゃあどうするんですか。戦って華々しく散りますか? それとも魔族の奴隷として情けなく生きながらえますか?」
シグルスさんとの謁見は、人類にとって避けては通れぬ道。
だったらあのひとと多少なれど交流のあるおれが適任者だ。
いや……世界広しといえど、たぶんおれしかいないだろうな。
シグルスさんと腹を割って話し合える奴はな。
「まさかマジでおぬしに人類の命運を託すことになるとはなあ」
「冗談でいってたんですか」
「冗談ではないが……頼むからもうちょっと穏便な方法にしてくれんかのう」
話し合いに行くだけなんだから充分穏便だっつうの。
じいさんのシグルスさんアレルギーは相当なもんだわ。
一緒に連れて行こうかとも考えたがこりゃ無理だ。
「もちろん手ぶらでは行けません。土産はいります。だからこそ、マリィに頼んでおいた碑文の解読結果が必要なんです」
できれば調査結果を持って、それを報告するという形でシグルスさんと会いたい。
そうでもなけりゃおれだって怖くて顔をあわせられねえよ。
「だからさっさと解読しろよマリィ」
「おい、それが師匠に対しての言葉遣いか?」
だっておれ、魔法が使えないことが確定しちゃったんだもの。
あんたを師と仰いでもあんまし得がねえんだよなあ。
「まったく……おぬしと話しとるとボケ老人やっとる余裕がないわ。とりあえず、工房での解読結果が出るまで、おまえさんは自宅待機しといてくれ。その後のことはそのとき考えよう」
ボケる余裕がないことはいいことだろ。
あんたが隠居したら本格的にリグネイアが終わりそうだしな。
にしても、自宅待機ねぇ……。
「マイラルに帰ってもいいんですか?」
「カルヴァン家に決まっとるじゃろ。皆心配しとるから早く帰ってやれ」
ああ、そういやそうだった。
いちおうおれ、イルヴェスサの養子ってことになってるんだっけ。
「戻っちゃって大丈夫なんですかね。おれがいたら抗争に巻き込んじまうかもしれねえぞ」
「話はつけたといったじゃろう。万が一約束を違えようものなら世界最強の軍隊を敵に回すことになる。連中とてそのような愚は犯すまい」
……どうだか。
あのグゥエンがそう簡単に引き下がるとは思えないがね。
「わかった帰るよ。車を出してくれねえかな」
だが、ここは人間国宝さまの言葉を信じるしかねえか。
魔法使いでもないおれがいつまでも庭園にいるわけにはいかねえしな。
リグネイアの首都カロナールは、他国の主要都市と比較にならないほど近代化されている。
道路は舗装されているし区画整理もきちんとしている。
日本人がここに召喚されてきたら、異世界に召喚されてきた事実にしばらく気付かないかも? っていうぐらいのレベルの高さだ。
まあ、電柱も信号機もねえからちょっと時間が経てば気付くだろうけどな。
区画整理がきちんとされているおかげで、平民と貴族が住む場所もキッカリ分かれている。
貴族の住む区画は『黄金区域』なんて呼ばれているわけだが……カルヴァン家はなぜか平民の住む区域にあるのだ。
疑問に思って一度聞いてみたら「土地が安かったから」という返答が帰ってきた。
貴族のくせに国営の工場であくせく働いているし、もしかしたら金の亡者なのかもしれねえな。
そら他の貴族たちからも煙たがられるわ。
没落したといわれてもやむなしよ。
「おかえりリョウ! よく戻ってきてくれた!」
車から降りてカルヴァン家の敷地を跨ぐと、イルヴェスサが大慌てで迎えにきた。
「マジックさまから命を狙われていると聞いたときは気が気でならなかった。いったい何をやったんだ?」
グゥエンの腕をたたき落としてやった――……とは、さすがにいえねえよなぁ。
その辺は適当にお茶を濁すか。
「積もる話は後にしよう。さあ上がってくれ、今日はご馳走を用意してあるから!」
イルヴェスサに促され居間にあがると、そこには宣言通りたいそうなご馳走が用意してあった。
ご馳走っつってもおれが日本でいつも食ってたような、豪勢すぎて逆にちょっと品性を疑うレベルのものではない。
イルヴェスサの奥さんであるアリンダさんが手によりをかけて作ったものだ。
「さあリョウくん、遠慮なく食べていってね」
アリンダさんは決して美人ではないが、男を包み込む包容力のある素敵な女性だ。
作る飯もそこら辺のコックよりずっと美味い。
おれが昔つきあってた顔だけの女どもより百倍いい女だ。
駆け落ちだと聞いているが、イルヴェスサが惚れ込む気持ちはよくわかる。
「そういやイルヴェスサさん、実家には帰らんのか? 親父さんとはとっくの昔に和解してるんだろ?」
「ん? ああ、いずれ帰るよ。いずれはね」
これで禁断の恋で逃避行とかだったらカッコいいんだが、実際のところは世継ぎさえ出来れば誰でもいいって話だもんな。
アリンダさんとの間には子宝に恵まれなかったんだから、第二婦人ぐらい受け入れりゃいいものを。貴族らしからぬ貞操観念を持ってる純情なおっさんやな。
「こうして無事、息子も生まれたことだしな」
「息子じゃねえよ!」
こいつ、マジでおれにカルヴァン家を継がせる気なのかよ。
最近会ったばかりの奴隷のガキだぞ。しかも戦争犯罪人。
とても正気とは思えねえ。
「誰でもいいんなら他を当たってくれ。おれは自由に生きたいんだ」
「最初はそうだったが、今はリョウしかないと思ってるぞ。君にとっては得しかない話だと思うんだが、どうして拒むんだ?」
損か得かはおれが決めること。
おれはもう、そういうのはうんざりなんだよ。
栄華なんぞとっくの昔に極め尽くしてもう飽きたわ。
「まあそういわずに。時間はたっぷりあるんだからじっくり考えてみてくれ」
やれやれ、なんでおれはこんな奴に拾わちまったんだか。
変人と変人は惹かれあうってか。ぞっとしないねえ。
かつてのおれはパパやじっちゃんの操り人形だった。
周囲に流されて人生を決めるのはもうなしだ。
あんたらとの生活はそこそこ楽しかったけど、残念ながらここはおれの居場所じゃねえよ。
海の向こうにゃおれを待ってる奴がたくさんいる。
恐ろしい敵も、あまり頼もしくない味方も、そらもうわんさかとな。
そいつらとしのぎを削りあっておれは生きていく。
お上品なのはおれには似合わねえのさ。
「……ちょっと日差しがまぶしいな。カーテンを閉めるぜ」
イドグレスにいたときのクセでさ。
外からてめえの姿が丸見えの場所にいるとどうにも気分が落ち着かねえ。
もっとも、こんな市街地で何か危険があるわけでも……。
――隣の家の屋上に、誰かがいる。
いや、屋上に人がいるのは別に不思議なことじゃない。
問題はそいつが肩に押し当てているモノだ。
あれはもしかして……ライフル銃か!?
もしかして、おれが窓際に来るのを待っていた?
いや、まさか。
ここは一般の住宅街だぞ。
こんなところで狙撃しようものなら事はおれと金色の翼だけの問題じゃなくなる。
国中を巻き込んだ大騒動になるかもしれないぞ。
あのグゥエンがそんな危険を犯すか?
だが確かに――保身さえ考えなければ、ターゲットの意表をつくのには効果的ではある。
要は証拠さえ残さなければいいのだ。
証拠さえなければ事件は迷宮入りにできる。
疑惑だけで法は人を裁けない。限りなくグレーでも黒ではないかぎり無罪なのだ。
どうやらおれは、グゥエンに一杯食わさr




