2-10
この後、セリナはトシに唇をふさがれた。
もう一言二言話してからのつもりだったが、いきなりだったので、目を閉じることを忘れていた。
ユキが下に降りてくる前に、トシは居間から出て行った。
セリナは呆然として、何をしていたかは覚えていない。
ちなみに、トシからのプレゼントはカミュの『異邦人』と『ペスト』だった。読むのに一ヶ月かかってしまった。
中学生活を送っていくうちに、いつからかトシとは疎遠になり、このときを最後に会わなくなった。
トシはもう中学に入学しているはずだが、今まで一度も会っていない。
セリナは顔を上げた。
茜色だった空も暗くなり、空き地からは虫の鳴き声が聞こえてきた。吹きつけてくる風は冷たかった。
「こんなこと、今まで忘れていたなんて。いい加減だなぁ、私は」
実は、セリナは本当によくわかっていなかった。
聞きかじりの知識しかなかったので、時間が経って意味がわかったとき、セリナは死ぬほど恥ずかしくなった。
できれば自分とトシの頭からこの記憶を消したいと強く願った。
セリナがすっかり忘れていたのは、その結果かどうかは知らないが。
再び風が吹き、セリナは寒さで身震いした。
すっかり遅くなってしまった。帰り道を進むセリナの足は自然と駆け出していた。
―トシくんが入学したとき、私はいったい、何をやってたんだろう。
帰り着いたときにはすでに暗くなっていた。
今日は母が仕事で遅い日なので、家には誰もいない。
鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
―んっ……。
目眩を感じ、頭を振った。
水の中にいるような感覚だった。
両手足の動きが鈍り、体が妙に冷たさを感じる。
目が開けるのが怖い。開けたら、またあのロボットになっているかもしれないから。
しかし、それは取り越し苦労に終わった。
安心し、何事もなかったかのように部屋に入っていく。
朝とまったく変わってない部屋を見回し、鞄を床に置く。体から力が抜けていった。
昨夜の夢の最後の瞬間のように、セリナは前のめりに倒れこんだ。
目を開こうにも瞼が思った以上に重かった。
制服のまま、夕食も食べないでフローリングの床で寝てしまいそうだ。
両腕に力を込めた。体が少し浮いたが手が滑り、また床に伏せてしまった。あきらめて目を閉じた。
どうでもよくなり、ここで眠ってもいいかな、とチラッと思ったりもした。
「ハッ! そうだ!」
セリナは両目を開けた。歯を食いしばり、妙に重たい体をゆっくりと起こす。そして急いで机にしがみついた。
「確かここに」
一番下の引き出しを開け、中を探る。
何冊もの本が重なり、目的の物が出てこない。
ようやく見つけた。セリナは一番下から分厚い本を二冊取り出した。小学校の卒業アルバムと個人的に所有しているアルバムである。
「いくらなんでも、写真までは」
残っているはずだ、と言葉を続けようとしたが、うまくいかなかった。
セリナはアルバムを開いた。
ユキと並んで写った写真が何枚かあるはずだ。
荒くなっている息を抑え、一度目を固く閉じてから、写真を見た。一枚一枚と眺めていくうちに、自分の顔が蒼くなっていくのを自覚した。
「ない、ないよ、ユキちゃんの写真。ユキちゃんが立っていた所、別の人が入っているよぅ」




