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ジンクス

「いち、に、いち―――はいターン」


 手拍子の音と、女性の声。屋敷の者たちはそろそろ休憩に入る頃だろうと、手早く飲み物と軽食の準備に取り掛かっていた。それはこの数日、見慣れた光景だ。

場所はバーガイル伯爵家のホール。数日後に迫ったデビュタントに向け、主役であるライナのダンスレッスンの真っ最中だった。


「まだ右へのターンが遅れがちに思うけど、ほぼ完璧だと思うわ」


 ダンスレッスンの指導を買って出たのは、アンヌだった。いつもは下ろしているピンクゴールドの髪を一纏めに結い上げ、ドレスも華美なものではなく装飾が限りなく減らされたワンピースを着用していた。ちなみに腕まくりをしている。未婚の娘であれば隠すのが常識である(うなじ)を晒しているのは、指導に熱が入りすぎて暑くなったからだった。


「そろそろ休憩にしませんか」


 息を整え提案したのは、ライナの相手役を務めていたジュネスだ。グレイが相手役をすると立候補したのだが、デビュタント本番でペアになる男性はまだ16歳。グレイの体格・身長は成熟しすぎていて本番に向けての練習にはそぐわないと却下されたのだった。ちなみにクレールも候補に挙がったのだが、俊敏な動きが出来るほうがいいとジュネスに白羽の矢が立ったのだ。ちなみにクレールはとても残念そうにしていた。


「そうね。立て続けに練習しても疲れるだけね」


 アンヌのその言葉を待っていたかのように、廊下に待機していたニーナ率いる侍女たちが手早くテーブルセッティングを済ませていく。ライナとアンヌが椅子に座ったのを見計らい、立ったままだったジュネスが口を開いた。


「アンヌ様、申し訳ございませんが午後の会議に間に合わすため、これにて失礼します」

「あら、もうそんな時間?仕方ないわね、今日はここまでにするわ」


 アンヌの声音には多少『がっかり』は含まれていたが、ジュネスを引き留めることはなかった。ダンスの練習の成果が出ているためだろう。


「グレイ様によろしくお伝えして」

「はい。―――ライナ」


 アンヌとのやり取りを終えた後、ジュネスは椅子にちょこんと座って冷たい果実ジュースを飲んでいたライナに歩み寄った。正面に立たれ、ライナはジュネスを見上げる形になる。


「とても上手くなってるよ。デビュタント当日、グレイ様を驚かせよう」

「―――!」


 片目を瞑り、茶化すように言うジュネスにライナは嬉しくなって大きく頷いた。上手くなっていると褒められたことも嬉しいし、グレイを驚かせるという事が出来るというのであれば、それは楽しみでわくわくする。

 手を振って見送るライナと、はにかみながら手を振り返して屋敷を出発するジュネスを見ていたアンヌは心から思った。


『……ほんと、兄妹みたいね』


ジュネスは完全にライナを甘やかすことはなく、要所要所で飴と鞭を使い分けている。ライナも信頼を持って接しており、傍から見ると仲の良い兄妹にしか見えないのだ。決して恋人に見えないところが絶妙ですらある。ちなみにずっと飴を差し出しているのは、言わずもがなグレイだ。


 見送りが終わり、午後のティータイムとなった。テーブルには小さなサンドウィッチとフルーツの盛り合わせが用意されており、さらにチョコチップの入ったクッキーまである。それを摘まみながら穏やかな時間が過ぎていく。


「そういえば、今日はミラビリス様はいらっしゃらないの?」

「奥様は旦那様と観劇に向かわれましたよ」

「まぁ、仲のよろしいこと」


 傍に控えていたニーナがにこやかに返答し納得した。道理でクレールがいないわけだ。ファヴォリーニの介助も兼ねて同行しているのだろう。一時期の冷戦が嘘のように、ここ最近のミラビリスとファヴォリーニは仲睦まじい。そのきっかけを作ったのはライナだ。


「?」


 チラリと視線を向けると、オレンジを食べていたライナが首を傾げて目だけで問いかけてきた。『どうしたの?』と言いたいのだろう。


「ねぇライナ。いいことを教えてあげるわ」


 アンヌは心持ち身を乗り出し、笑みを向けた。

 少し前まではアンヌの笑顔が怖く感じたものだが、今はそんなことを感じ取ることはない。ライナに向ける敵意が感じ取れなくなったからだろう。それどころか、最近は堅物だったグレイを骨抜きにしたライナに興味があるようだ。


「デビュタントでは、最初は絶対16歳同士で踊らくちゃいけないの。けど、そのあとは自由なのよ。誰と踊ってもいいの」

「……」


 果汁で汚れた手を布巾で拭き取りつつ、ライナはうんうんと頷いた。真剣に聞く気があるようで、吹き終わった手は膝の上で揃えられている。


「デビュタントダンスが終わった後―――直後に踊った人と結ばれるってジンクスがあるのよ」


 ―――えっ!


 思わず動きが止まったライナがおかしかったのか、アンヌが声をあげて笑った。給仕していたニーナもくすくすと笑いだす。


「なんて可愛い反応なのかしら!そう思わなくてニーナ」

「はい。初々しゅうございますね」


 二人から笑われ、ライナは思わず身を縮こまらせた。頭の中に一瞬でよぎったのは、絶対にグレイと踊らなくちゃ!という物属的なことだった。それが自分でもわかっているから、恥ずかしくて居た堪れない。


「先に言っておくけど、わたしのデビュタントにグレイ様はいらっしゃらなかったわ。すでに遠征部隊に配属されていたから、ちょうど遠征時期と重なっていてご出席していただけなかったの」


 そう言ってアンヌは少し悲しげに微笑む。当時の悲しさを思い出したのだろう、眉を寄せつつ視線を遠くへ向ける。けれどすぐに視線を戻すと、一転して楽し気な笑みを浮かべた。


「あの時は代わりにお父様が踊って下さったわ。あの時のわたくしは……グレイ様以外の男はほとんどみぃーんな芋に見えていたのよ。だから他に選択肢はなかったわ。うふふ」


 茶化して言うアンヌは、当時のことはもう思い出でしかないとライナに示しているようであった。それは切なくて悲しい過去の恋。


「ねぇライナ……このジンクス叶えてね。きっとよ」


ライナは胸の奥に湧き上がった気持ちを言葉にできないまま、ゆっくり頷いたのだった。


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