とある男爵家のその後
本編「議長たちの思惑」くらいまで読み終わってからどうぞ
いつかこの日が来ることを、きっと彼は予想していたのだろう。事が起こった時、周りとは対照的に焦りも見せず、ただ淡々と受け答えをして連行されていった。
それは港に巨船が停泊を始めて10日目に起こった。マーギスタの住民たちは最初こそ畏怖を込めて巨船を眺めていたものだが、10日もたてばそれは景色と同化してしまい、感じていたはずの違和感は払拭されていた。
―――背の高い船のせいで景色が遮られてしまった。
そんな他愛もない愚痴が聞こえてくるのが精々だ。だから油断していたのかもしれない。その日、ワムロー男爵邸はいつもと変わらぬ日常を過ごしていた。幸いにもワムロー男爵の実兄が捕まったという事実は表沙汰にはならなかったし、実際近隣の住民も、青年執事もワムロー本人でさえ直接耳にはしなかった。それどころか、屋敷に入り込んだ暴漢に襲われたということで、近隣住民は以前よりも親身になって接してくれている。
実兄であるガードロスは確実に捕まっているだろうな、とは思っていた。それはある種の確信だったのかもしれない。
「旦那様、今夜の会合が延期になったそうです」
「急なことだな」
青年執事は主の執務室にて、ともに日々の仕事を行っていた。数日前から領地管理など、一歩踏み込んだ仕事を任されるようになったのだ。そのため、よほどの高位貴族の書状でさえなければ、届いた書状も勝手に開封して中身を確認していいと許可を得ていた。今回、勝手に開封していた封筒の中の一通がそれだ。
「こちらです」
書状を手渡され、ワムローはざっと目を通す。そこには急用のため延期にしてほしいという謝罪の旨は記載されていたが、延期後の日程は不明となっていた。差出人は懇意にしている中堅の子爵だ。政治に手出しできるほどの実力者ではないが、うまく立ち回り、有力者からの信頼も厚い人物だった。以前行った事業で懇意になり、成り上がりでしかないワムローではつかめない情報もこっそり流してくれる人物だ。
「……」
ワムローはその手紙を暫く無言で眺めていた。青年執事は不思議に思ったのだ。特に変哲もない一枚の書状を、なぜそれほど丹念に眺めているのかと。
時間にすれば二分にも満たなかったかもしれない。その間ワムローは動くことはなかったが、手早く書状を折りたたむと勢いよく立ち上がった。
「近々招いていない客人が来るようだ。その時はすぐに部屋まで通してくれ」
「え。は、はい。かしこまりました?」
ワムローの言葉に、青年執事は首をひねりつつそう返事を返した。そして男爵は手にしていた書状を折り畳み、そのまま蝋燭の炎を近づけ灰にしたのだった。
―――招いていない客とは誰なのか。
青年執事は思考を巡らせていたが該当する人物はなく、主の言葉を反芻しながら何も起きない日常を三日間過ごし、事件は起きた。
ドンドン!ドンドン!
早朝から叩きつけられた正面玄関のドアの音。
青年執事はすでに起きて朝の準備をしていた。主のスカーフにアイロンを当てるという重大使命の真っ最中だったのだ。料理人以外の使用人はまだ下りてきていない。主に至っては夢の中だろう。
柱の時計を見上げれば時間を見ればまだ日も昇らぬ早朝である。夜通し門番を待機させているわけではないので、何者かは勝手に正面門を開錠して辿り着いたのだと思われる。非常識極まりない。
「何事だろう」
玉ねぎ片手に料理人が顔を出す。その表情は不安げだ。
「わたしが出ます。何かあればすぐに旦那様に連絡してください。遠慮なく寝室のドアをぶち開けて構いませんからね」
「わかった」
屋敷の主の寝室に無断で入ってよし。と勝手に指示をだし、青年執事はタイを締めなおして玄関に向かった。いまだドアは激しく叩かれている。
「どちら様ですか。近隣にご迷惑ですのでドアを力任せに叩くのは止めていただきたいのですが」
青年執事はドアを開けず、まず声をかけた。その声が聞こえたのか、ドアを叩く音はすぐに止まる。訝しげに眉根を寄せていると、外から声が聞こえてきた。
「都市警備隊だ。ここを開けていただこう」
「!?」
仰々しく名乗られた名称に、青年執事は息をのんだ。都市警備隊―――それは街の警らを担当し、犯罪の捜査なども行う警察機関のことだ。そして彼の脳裏に三日前、ワムロー男爵が告げていた言葉がよみがえる。
―――招いていない客……これか!
逡巡はわずかだった。青年執事はすぐにドアの鍵を開け、招いていない客たちを玄関ホールに招き入れた。総勢5名の制服を着た男たちが油断なく周りを見つつホールに足を踏み入れる。どんなに見渡してもここにいるのは執事一人だけだというのに。
「全員就寝中かと思い、激しい物音を出して申し訳ない。男爵は在宅だろうか」
隊長だろうか。壮年の男が一歩踏み見出し青年執事をじっと見据えた。鋭い眼光に怯みそうになるが、それを押しとどめて慇懃に頭を下げる。
「主はまだ就寝しておりますが、すぐに起してまいります。しばらくお待ちください」
「いや、いい。部屋まで案内してくれ」
丁寧に述べた言葉にまさかの返事を返され、青年執事はぎょっと目をむいた。屋敷の主人の寝室というのは、何者にも侵されない絶対領域だ。青年執事は気にせず出入りしているが、それは彼が『執事』だからであり、それだけ信頼関係があるからこそである。
「申し訳ございませんが、警備隊の皆様といえど男爵家主人の寝室に案内するわけにはまいりません。ここでお待ちください」
「通したくないのであれば力づくでやってみろ。おい、二人は一階を探せ。あとは俺と一緒に二階だ」
隊長の男は部下に指示を出すと、青年執事を押しのけ屋敷内部に踏み込んだ。慌てて行く手を阻むが力で敵うはずもなく、あっけなく押しのけられてしまう。
「おやめください!何の権限があって……っ」
「上からのお達しだ!」
執事は階段を上り始めていた隊長に追いすがり、腕を引いたが逆に体を押され床に倒された。背中から無防備に落ちたため、痛みと衝撃で一瞬息が詰まる。
「っ!」
「邪魔をするなっ」
床に倒れた執事に向かい、言葉を吐き捨てさらに階段を上ろうとした時―――
「警備隊と言いながら、無害な民を突き落すとは何事だ!」
怒鳴り声が屋敷に響いた。その声は間違いなくワムロー男爵のものだ。
「だ、旦那様……」
「すぐに部屋に通せと言っただろう」
体を起こし階上の男爵を見上げたところ、目が合って呆れたような声を出された。
ざわついた空気に、屋敷の使用人たちはいつもより早く目を覚まし玄関ホールに集まっていた。うっすら目に涙を浮かべている者もいる。
「それでは男爵、ご同行願いましょう」
勝ち誇ったような顔をした隊長が、身なりを整えたワムロー男爵を促す。部下たちの手にはそれぞれ押収した書類や書状、印鑑なども抱えられている。その中身は、過去の事業と共に、実兄ガードロスに依頼されていた仕事も含まれていた。
ホールには、得意満面の都市警備隊の面々と、悲壮感漂う顔色をした使用人に分かれていた。そんな中、男爵本人の表情には悲壮感など微塵もなく、いつもと変わらず堂々と胸を張り、大きくせり出した腹をさらに突き出していた。
「しばらく留守にする。領地管理は任せた」
「はい」
「噂話好きな者たちが揺さぶってくるだろうが、適当にあしらえ。お前はそういうことは得意だろう」
「お任せ下さい」
「少なくともこの先三か月分の招待はすべて断りを入れてくれ」
「はい」
「事業の相談もだ」
「はい」
「それと、港の造船についても見直しが必要になるだろう。出資者に連絡を取って相談してくれ」
「はい」
ワムロー男爵は手早く執事に指示を出すと、使用人の顔を一通り見渡した。そして小さく頷くと警備隊に促されるまま屋敷を後にし、門前に止められていた黒い小箱のような馬車で連行されていったのだった。
「……旦那さまぁ」
庭師の男が馬車を見送りつつ涙声で声を上げた。自分が朝早くから門番をしていれば、すくなくとも就寝中の突入は防げたのではないかと思うと胸が痛いらしい。
「わたし、旦那様の着換えを用意します」
「旦那様は朝食も召し上がっていないのです。簡単なものを作りますので、一緒にもっていってください」
年嵩の女性使用人が二階に駆け上がって行き、料理人は厨房に慌てて戻って行く。庭師兼、門番の男はすっかり落ち込んでおり、一人とぼとぼと門前に陣取っている。そして馬車が走り去った方向をじっと眺めていた。それらを見届け、青年執事は一人残ったもう一人の女性使用人に目を向けた。
「着替えと食事の用意が出来たら、旦那様に届けに行ってくださいませんか。わたしは急ぎしなければならないことがあります」
「け、けど……わたしなんかが行って、無事にお届けできるでしょうか……」
不安げな様子で眉を寄せている。本音を言えば執事本人が出向き、何がなんでも男爵と面会をして着替えと食事を届けたいところだ。だが、今自分がしなくてはならない最も大事なことは、自分にしかできないとわかっている。最悪食事が主に届かないとしても、強制ダイエットとして受け入れてもらうしかないだろう。それに警備隊も飢え死にしない程度には差し入れてくれるはずだ。それが決して美食ではないとしても。
「明日はわたしが出向きます。警備隊の連中には『差し入れが届いていないと判明した時には、それ相応の機関に申告する』とお伝えなさい」
「は、はい」
有害なものでない限り、家族からの差し入れは認められた権利だ。どうせパンの中にもメスを入れ、密書でも隠されていないかと確認するのだろう。
―――探りたければ探ればいい。
どうせなにも出てこない。そして押収していった書類も隅々まで検閲すればいいのだ。こんな無作法なやり方で、屋敷の主人を連れ去った警備隊に青年執事は苛立っていた。
間髪入れずの差し入れは、警備隊を欺くのに有効かもしれない。隅々まで調べ尽くして時間を無駄にしてもらおう。
「その間に、俺は先手を打たせてもらう」
思わず一人称を昔のように『俺』とした執事は、にやりと口元に笑みを浮かべた。
結局のところ、結論を言えばワムロー男爵は釈放された。警備隊に身柄を拘束されて一か月が経過していたが、とりあえず身の潔白は証明され、無事に屋敷に戻されたのだ。それもすべて、青年執事が男爵の言葉通り『造船の出資者』に素早く連絡を取った成果だった。
出資者とはつまり、グレイ・バーガイル伯爵。そして彼はいまロットウェルにいて、ロットウェルにはファーラルという議長が居る。そしていまマーギスタはファーラルの闇の精霊を阻止できないという枷を背負っていた。
隣国ということもあり、根回しにはそれなりの時間がかかったが、それでも一か月で保釈されたというのは異例であった。
「伯爵に借りを作ってしまったな」
幾分スマートになって戻ってきたワムロー男爵は、一か月ぶりの暖かな食事に満足げに舌鼓を打っていた。料理人は嬉しそうに続々と厨房から食事を運んでくる。肉、肉、肉、野菜。時々果物。そして酒。甘味も取り揃え、嬉々としている。
「旦那様、領地の者や近隣の住民も、旦那様の無実を訴え出てくれていました。どうか顔を合わされた時にはお声をかけてあげて下さい」
「……そうか」
ワムローが拘束され、屋敷の少ない使用人たちが奔走している中、立ち上がったのは領地の民と、屋敷の近隣住民だった。嘆願書を送ったり、直に拘置所に談判に行ったりとワムローの無罪と釈放を訴え続けてくれたのだ。その存在は屋敷の使用人たちをも勇気づけることになっていた。
バーガイル伯爵経由のファーラルからの脅しも十分に効果があっだろうが、自国の民たちからの訴えが中央の役人たちの痛手となったことも確実だ。
「領地にはまた、礼を兼ねて赴こう」
「はい」
「屋敷の庭は解放できるか?」
「庭、ですか?」
主人の言葉に執事は不思議そうにしつつ頷いて見せた。
「無罪釈放を祝してガーデンパーティでもどうかと、思うのだが……」
もごもごと口ごもる様子に、ぽかんとしていた青年執事だったが、すぐに主が言いたいことが分かり表情を綻ばせた。
「いいですね!うっかり門が開きっぱなしになってて、近隣の人が来てしまってもしょうがないですし!」
「うー…こほん」
「内輪のパーティのつもりが、うっかり食事を作りすぎてしまう事もありますよね!」
「あ、ああ……」
「楽団とか呼んでもいいかもですよ」
「節操がないことだな」
「いろんな方が訪れれば、きっと楽しいですよ」
旦那様の提案が嬉しく、青年執事は笑顔でパーティの計画を口にした。貴族は呼ばない。近隣の住民だけを集めたささやかなパーティ。
「それならば―――」
頭の中で計画を練り始めていた青年に、男爵は顔を向けた。そして口を開く。
「お前の家族も呼べばいい」
思いがけない言葉に、青年は動きを止め……涙が零れる前に顔を俯けた。そして小さく返事をするのだ。ただ一言『はい』とだけ。
ワムロー男爵家話は、これに手一旦終わりです。
お粗末さまでした!




